ここでのお手伝いときたら農作業である。
専業農家のような大それた農作業ではないけれど、ね。
こっちに来てからした仕事と言えば、大根の間引き、耕耘(初めて耕耘機?っちゅーの、それやった)、畝立て、
種まき(玉ねぎ、大根、小松菜、人参など)、大根の苗植え、草取り(古墳、玉ねぎとか大根のところ)とかね。
してますねんけど、ね。
まぁ、そういうのってこう、なんというか、やったーお仕事だわん!なんて思えるものでもなくて、
はぁやりますかぁ、とどうも冴えない返事(顔)になってしまうのです。
んで、そのような作業ができる格好(長袖シャツ、もんぺ、靴下、長靴、軍手、手ぬぐい、麦わら帽子)になって準備万端!
いざ出陣!、、となるのである。
そんで、そのお仕事は大抵父と一緒になってやるのですが、そのときの父との会話がなんとも面白い。
父としたら、この仕事がつまらんくなって嫌にならないようにと会話をしてくるというのもあって、父劇場となったりもする。
けれど、会話がのれば、次から次へとおはなしはころころかわり、笑いあり真面目あり、楽しくやっている。
こうやって誰かとやる分には、ね、時間はさほど気にならないけれど、これが1人となればそうも言ってらんないやろうなぁとも思う。
まぁしかし、畑に行けば、ここの住人の誰かどうかおるし、その人らとの会話がまたうれしいもんがある。
別にこれと言って何を話すわけでもないけど、なんやかんやね、
「宮崎さん引退やってね。」
「それで今日紅の豚テレビであるらしいよ。」
とかから、
「何してんの?」
「ん?今日はね、ここの草取り。これからここに人参植えんねん。」とか。
「雨降りそうやね、午後からかね?」
とか、そういったことから、なんやかんや話したり笑ったりして、面白い。
時にスイカジュースやら、しそジュースやらくれたりして。
動き出す前までは、頭も身体もぬぼーっとしてこりゃいかんよなと自分でも思いながらの、ぬぼーをしている。
けんど、それが動いて始まってしまったらそんなもんや、というのんか、
動き始めたら、途端にさっきまであった面倒やなぁとかそういった想いでしめられていたこの頭の中がすーっとしてる。
自分でも不思議なくらい、すきーんとしてくる。
それで、いつの間にやら、この草手強いな、とか、、ちょっとこれじゃいかんか、こんなもんか?とかそういったことでいっぱいになって、
さっきまでのぬぼーはなんだったんだってくらい、それがもうどっかにいってしまって、いまこれをしている自分がいるだけになる。
それがなんだかよい感じで、どうも仕事を終えたあとって気持ちがよい。
まず見るからに(畑を見ても)変わったから、ここからここまでこんなことした、とか、目に見えるからやりがいがあるし、きれいやなって思う。
そんな感じがよいよなぁ、こういうのっていいなぁって思う、やったあとはね。
自分のやっていることがなんなのかこんなにもはっきり見せてくれるものってそうしたことがなかったということにも気づいた。
なんかなるほどと思えるような、自分で自分のしていることがこうしてこうなったっていう感覚っていいなって思った。
とか、言っているとまた仕事を増やされそうな気もするからある程度にとどめておくことにしよう。
そんなこんなで、今日も草取りに出たが、もうお昼前から雨がざざっと降ってきてしまって中断となってしまったのだった。
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