高橋若木さんインタビュー記事「デモと民主主義」
これを読んでわたしみたいにわくわくする人や反対に、はあ?なんて思う人や、
いろんな人といろんな考えがある。
世界の人の数が、今何人なんだっけ。
72億人以上になるのか。
そんだけの顔の違いがあるって想像もできないけどすごいことだね。
その数だけ人の思いはある。
この人とこの人はほとんど一緒だねなんて言えないね。
同じこの家で暮らしていてもちょっと話すとわかるようにわたしとあなたってまったく違うひとりの人間なんだーって感じだもの。
この社会はほとんどできあがってしまっているように思うけれど、
少し考えてみるとできあがりはないよね、できあがりを見ることはずっとないだろうね。
自分たち人間ひとりひとりがなまものなのと同じように
この社会全体もなまものだもの。
ずっと中途のうつりゆく変わりゆく。
社会とひとつことばで言っても社会ってないから、これが社会です!どーーん!て指し示す対象はどこにもないよね。
言うならば、このあたまの中にあるともいうのかな。
井上雄彦さんの漫画、バガボンドで武蔵がさ、あのじいちゃんだれだっけ、むっちゃかわいい、、
あの"いんえい"じゃないほうのじいちゃんにさ、武蔵が尋ねたことがあったさ。
武蔵「天下無双とはなんだ」
いんえいじゃないほうのじいちゃん「、、むにゃむにゃ、、天下無双とはことばじゃ。ただのことばじゃよ。にんまり、、むにゃ、。」
とかそんな場面があったと思うだよ。
わたしの脚色が含まれていたら読み返して訂正していただきたいが、、。
まったくのなまもので、しかもあるけどないけどあるけどみたいな社会で暮らしているぼくらは
社会や政治やいろんなことに対してなんとでも勝手に言えるのはみんな知っているけど、
もうすこし思うと、そうやって言ったりなんだりしてこの社会をつくっていっているのは自分たちなんだってことは
ある意味あたりまえでもありながら、びっくりもしちゃったりする。
それくらい当事者なのにあんまり当事者意識を持たないから。
テレビや新聞のニュースが全部どこからの情報のもとだと探ると、どっかに暮らしているだれかにたどりつく。
そりゃそうなんだけど、そのニュースをうんだのはまぎれもなくどこかのだれかで、
そのニュースを今日の7時のニュースにしようとたくさんのニュースの中から選択して決定し制作に力をそそいでいる人も
どこかのだれかであることは間違いなくて、そりゃそうなんだけど。
そんなこと言い出したらこのわたしが今見えている何もかもはどこかのだれかが発案してつくったり売ったり
買ったり譲ったりもらったり、いろんな人の手と思いが積み重なって今わたしの目の前にある。
みんなにとっての目にうつる何もかもがそうなんだと思う。
全部最初から当然のようにあったわけじゃなくて、どこかのだれかさんが開発してうみだしてきたものなんだ。
そういうことって案外気づきにくいのね、おかしなもんで。
自分がこの社会のあり方に疑問持ってこうした方がいいのじゃないかって思って言ったりなんか動いたりして
やってみるのはそれも含めて社会のあり方なのだと思う。
それらには内も外もなくひっくるめて社会と呼ばしたりするものなんやないかな。
それでから、自分がもっとこういう暮らしがしたいからこういう社会でありたいからって動くのは
とってもなまなましい感じだよね。
そのままを受け入れて完成された社会がさもまっとうにあってわたしは少し暮らしにくかったりもするけど仕方ない我慢するわ
なんて思うのはちょっとさみしいやんか、おもしろくないやんけ。
だってわたしがつくっていくしかないのだもの。
とか思わしてくれる文章でした。
わくわくだけじゃないですやはし。
やっぱりどきっとします。すべて自分のことだと思うとたのしいようなこわいような複雑な気持ちです。
けどどきっとしない人もいるかと思います。
どきっといっしょにしていきたいと思うのであります。
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