ことばにならない風の声

今日もどこからか風はやってきてやがてまたどこかへいくだろう。
何に向かっているのか己でさえもわからずに、、。

大分・宮崎・熊本、旅行!

2012-10-07 23:49:26 | 旅行




そうなのだー!行って来たのだー!
九州へ来たものの、この福岡県から出ることってそうなくて、九州もっと色んなとこ行きたいなぁと思いつつ、な感じでしたが、
この前初大分、宮崎、熊本でした。


車をレンタルして、私含め6人で行きましたのよさ。
いつものじんかんの6人なんだけど、その人らの実家へいこう!ツアーという感じですね。
6人のうち2人が大分で1人が宮崎の島浦という、島生まれの子がいて、その3人の実家へ伺いました。


まず朝早くに北九州を出て、車で大分までドライブ~、何時間だろ、3時間?もかからないで大分に到着。
そこでふたりの実家に行く予定もなかったようなあったようなで、事前に連絡もせずで、大分に着いてから二人が実家に連絡。
来ていいよ、とのことで行きました。
1人はかわいいそらくんという犬が迎えてくれて、コスモスがきれいなお庭のおうちでした。
お父さんだけいらっしゃって、みんなの写真を撮ってもらいました。
とてもやさしそうな顔したお父さんだった。


もう1人は、お母さんがわざわざ私たちのために近くのおいしいシュークリームを買ってきてくれてて、
コーヒーとシュークリームを図らずも3時のおやつの時間にナイスタイミングで頂きました。
それぞれの家、30分もいたかどうか、という感じやったけど、ご両親あたたかく迎えてくれてありがたや。
うれし申し訳なし、緊張しました。けど、なんか妙に嬉しかった。




そんで、大分ではこれを食べなくてはーということで、、


どーんんん!!!!



大分名物、日向丼、です。大分の名物かはわからないけど。
まぐろを味噌とかごまとかであえてあるもので、うん、何口か食べさせてもらったけどおいしかった。


それで私はといえば、人生初の海鮮丼と呼ばれるものをいただきましたー!
どーんんんん!!!!!





お魚が新鮮やった。けど高いねぇ、うーむむ。



そんなこんなで大分をあとにし、その日はやっとこさ、宮崎へ。
宮崎の延岡市島浦出身の友達の実家にお泊まりさせてもらいました。








豪華な夕食。
んもう、みーなさんであったかく歓迎してくれて、これはこれは、本当に驚いたし嬉しかったし、申し訳なかったし、たのしかった。
おじいさんおばあさんから、お父さんお母さんみんな、あったかい。



島浦はね、人口も少なく、みんなが家族みたいな雰囲気で、その島浦出身の子がなんでこんな子なのかわかる気がしたね。
というか、島の人がみんなその子そっくりというか、なんていったらいいのか、その子の持つあの人なつっこいあっけらかんとした明るさは
こっからくるんだわ、と見て感じれた気がしたね。
もっと島を探検したかったけど、時間もなく、次の日、すぐまた移動したのだった。




次は、一応メインイベントでもある、高千穂峡へ、いざ参らん!

だだーん!










いんやーすんげかった。
なんかこんな景色が日本の中にあるのか!と。うん。
帰りね、こっからまた福岡へ帰るときに熊本を通っての道だったんだけど、
熊本の阿蘇山付近まで登ってて、すんごく空が近く感じたし、てんきがよかった、
なんかね、景色がとーっても雄大なんだ、こんな景色見るのはじめてだった。
大分に入ったところから、見渡すとこ遠くが全部でこぼこの山があって、こんなでこぼこの風景って地元じゃ見ないな、と感動してて、




一応写真撮ったけど、これ見ても、、という感じね、これは大分。


熊本は、ちょうどその車で走った道がということもあるんやろうけど、もう山脈がありありとわかるし、
時には、ある山脈の頂上を見下ろしていたりして、なんかね。とにかくでっかい景色だった。








けんど、しかし、どこもゆったりした田舎という感じで、懐かしい気持ちになったね。
やっぱり田舎はいいなぁと思いましたわさ。




それに、みんなの家族に会うってずっと前からみんなの夢だったけど、それが着々と実現していることがうれしいたのしい。
ここでこの子は育ったんか、過ごしてきたんか、ってね。
すんごい不思議な気分やった。
そして、みんなの両親には大変お世話になりました。
至れり尽くせり、とはこのことやった。
とにかく、たのしい旅行でしたの~。





うんとこしょ。

2012-10-05 20:40:50 | 日記




どっこいしょ。


久しぶりじゃのう。ふぉっふぉ。



えー、学校が始まり、もう1週間が終わりを迎えました。
1回目の授業は全てなんというのか、こういう授業をします、みたいな回でありまして、すぐ終わります。
けど改めて、ああこの1回目でこれを本当に履修するかどうか判断するのね、と今更分かってきたところであります。

まだ授業決められない、どうしよか、と言ってもそう選んでいられるような立場でもないというね、はは。
がんばります。



最近夜眠くなるおかげで、朝起きる癖がつき調子がよろしいです。
学校に行くと色んな人に会って話すこともできるしいいなぁと思う日もあれば、一日中一人の日もあって
1人で授業受けて、1人で次の授業まで時間つぶして、ずっと頭の中でもんもん、、
その日は無性にさみしい、孤独だわという気持ちになりながら暗い道を自転車こいで家に帰ったのでありました。
そういうことを感じさせる日ってなかなかないんだな、と思うね。
なかなかないんだよなぁ、本当に心から、あれ、、私、ひとりだ、、、ああ、と思わず夜空を見上げてしまう感じね。




えー、授業って不思議ね、その先生それぞれによっても雰囲気がてんで違うし、そら生徒によってもではありますが。
生徒みんなぽつぽつと1人で受けてしんと静まった授業の雰囲気のよろしいことよろしいこと。
もう生徒が大勢受けている、特にみんなが受けれるような学部も学年も問わない授業は出れないわ。
うるさすぎて騒がしくて、、。



あーそだそだ、日本史の授業がちょいと面白そうだなと思いました。
なんかね、歴史学を見る手法について、この二つをみなさんに学んでほしいみたいなこと言ってました。
一つは、過去をいまの目線で見ない、つまりいまの常識というものや価値観などから過去のことを判断してはいけないということ。
これは、えーっと、藤原雅彦さんが書いた本に同じようなこと書いてたなって思い出した。
全ての物事そうですけど、とも言っておった。


あともう一つは、根拠となる史料を示す、つまり史料を見て事実を知る、というのか、これがないと何も歴史学のことは語れないとのことだそうで。
歴史小説?などはその史料を示す必要がないから、作者が思う通りに想像して書いてもいいわけだけど、
歴史学者というのはそういうのはしてはならなくて、だから、結構「わからない」と言うしかないことが多いそうです。
事実、歴史の教科書は分厚くて、いっぱい詰まっているイメージがあるようだろうけど、
何もわからないことだらけなのですよ、とおっしゃっていたのです。
それがなんか印象的で、へーえ、と思いました。


それで、授業では、日本という国、日本人であるということを歴史学の視点から見てみるということができたらなぁという感じだそうで。
先生曰く、前は国境(一本の線でくっきり切り分けられる)という概念がなかったわけだから、日本というその空間も
とっても変化してきたわけで、いまでこそ、こっからここってなっているけども、、
前は国と国との間の微妙なグレーゾーンがあったものだということね、ふむ。
そのいまの中国や韓国がこれほどまでに反日なのか、ということも過去を知らないとだめだということ。

日本人であるということも、日本人という枠組みがいかに定かではないか、
※江戸時代の統治下に北海道や沖縄は含まれていたか、いやいなくて、明治何年って言ったっけか、10年?やっけ、
その頃に、やっと琉球国が日本という国に含まれるようになったわけで、それまで沖縄はアメリカの統治下にあったりと、
一言で、日本人と言っても、この枠組みもどういったふうに変化してきたのか、それを知っていかないと、
歴史学の視点から、日本人であるということも見ることができないと言うわけです。
一言に日本、日本人と言ってもその空間や枠組みは絶えず変化してきたわけで、
いま私たちが思う空間や枠組みだけでは片付けられない、もっと深い、重いものがあるということですね。
なんか面白そうだな。


※訂正:明治に入るまでの沖縄の統治国、アメリカとありましたが、それは戦後の間違いですよね。
   1945年から1970年頃までですものね。琉球は薩摩藩に接収されているものね。
だそうです。いやぁよかった。自分でもこんなにあやふやで書いていいものなのかと思っていたのでした。
調べたらいいのだろうけど、はい。ありがとうです。


けどね、何で面白そうと思うのか、これも自分が欲しいような、聞きたいような内容というか、
自分が好むような考え方?見方?で話すからこの人、面白そうと思うのだろうか、となんか変にごちゃごちゃ思ってしまって。
結局言ってほしい内容を言ってくれるからいいのか、自分が聞きたい内容しか興味が持てない、のか、、。
例えば、面白くなさそうと思った先生は自分とは違った感じからものを言うところが自分にはすんなりと入ってこなくて、
面白くなさそうって突き放す感じは、もっと違った視点や感じ方で偏見?なしで見れたら、やはりその言葉の入りようは違ってくるんだろうか。
とか、ごちゃごちゃ思ったのですが、いやぁ、けどそんなの難しいなって。
自分の欲しいと思っているものから片っ端から固めていく感じから抜け出せない、
すると友達もそういう類い、自分が好む感じの人ばかりになる、って当たり前でそうとしかできないのか。
いんやーよくわからなくなってきた。

こういうことを思ったり感じる前に自分のこの大事大事にしている想いを破ってくる人に出会うときってのは衝撃なのでしょうか。
つらいだけなのか、それが非常に良いものにつながるのか、そういう人に出会ってみたいかもしれないぐらいには思う、、のと同時に、
とってもこの私の気持ちと共感し合える、とってもとことん話せる、という人に出会いたいとも思っているんだな。




なんかごっちゃんごっちゃんな話になった。
最近、お味噌汁がたまらなくおいしい。
やっと作るようになった今日この頃でした。