憂国のZ旗

日本の優れた事を様々話したい。

③民主党が、櫻井よしこ氏に抗議の質問状 「岡田氏の集団的自衛権」発言は「誤解与える…」

2015-09-30 22:44:31 | 政治
>民主党が質問状! NHK「日曜討論」での発言を「事実無根」として訂正・謝罪を要求!
2015/09/28
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/267609

という訳で、櫻井よし子氏の反論に、民主党の近藤洋介役員室長が内容は全く同意できないとして、
再質問を行った。その件に関して、当ブログは民主党岡田氏の言っている事をあげる所存です。

2015年09月17日 13:37
>岡田克也  自民筆頭理事の国会質問
http://blogos.com/article/134487/

この記事が重要なのは、集団的自衛権を個別的自衛権と言い換えるべきという不当な意見が述べられているためである。決して、岡田氏の意見に賛同する為ではない。この意見は不穏当でしょう。




【ポスト安保法制 安倍政権の課題】民主党幹部のあきれた変節 過去には一定の理解示していた「集団的自衛権」
2015.09.29
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150929/dms1509291550004-n1.htm

混乱のなか、安保法案が採決された参院特別委員会=17日、参院第1委員会室【拡大】
★(1)

 安倍晋三政権の次なる課題を取り上げる前に、民主党など野党が安全保障法制の国会審 議で取った、極左的な無責任さは許せない、といいたい。村山富市政権のころから、野党といえども防衛問題では、あまりポピュリスト(大衆迎合)的主張は言 わないコンセンサスに達していたのを根本的に否定した。

 安倍首相が「戦後70年談話」で、村山談話も継承して、欧米を困惑させるような歴史観は取らないと表明し、しなやかな大人の対応をしたのとは対照的である。

 新旧の民主党幹部の発言を振り返れば、集団的自衛権が「明らかに違憲」などとは絶対に言えないはずなので、ここで紹介しておきたい。

  まず、民主党の岡田克也代表は、昨年2月10日の衆院予算委員会で「日本国民の生命財産が外国からの侵略によって損なわれようとしている、これは個別的自 衛権ですね、それに並ぶような事案について集団的自衛権を認める余地がそこにあるんじゃないか。これは、確かにそういう議論は私はあっていいと思います」 と発言している。

 岡田氏は、2003年5月3日の読売新聞の座談会でも「集団的自衛権は非常に幅広い概念だ。第三国が米国と戦争になっ た時、日本が出かけて行って武力行使をするのは憲法を逸脱している。米国本土が攻撃された場合も憲法上は問題だ」と発言したうえで、「ただ、日本を防衛す るために活動している米軍が攻撃された場合、日本に対する行為と見なし、日本が反撃する余地を残すのは十分合理性がある。今の憲法は、すべての集団的自衛 権の行使を認めていないとは言い切っておらず…」と語っている。

 そういう認識を前提にすれば、冷静な論議が可能だったと思う。

野田佳彦前首相(民主党元代表)は、著書『民主の敵』(新潮新書)で、「集団的自衛権を認める時期」という項目を設けて、「憲法上、それは行使できないと いうことになっています。これを踏み越えることができるかどうかが一番の肝です」「いざというときは集団的自衛権の行使に相当することもやらざるを得ない ことは、現実に起きうるわけです。ですから、原則としては、やはり認めるべきだと思います」と記している。

 あの鳩山由紀夫元首相(同)も、10年1月26日の参院予算委員会で「集団的自衛権、まさに個別的であれ集団的であれ、この自衛権というものを所有するというのは憲法でも認められて、自然権として認められているものだと解釈します」と答弁している。

  生活の党と山本太郎となかまたちの小沢一郎共同代表(同)も、ベストセラーとなった著書『日本改造計画』(講談社)で、「私は現在の憲法でも、自衛隊を国 連待機軍として国連に提供し、海外の現地で活動させることはできると考えている」「憲法前文の理念、第九条の解釈上可能であるだけでなく、むしろ、それを 実践することになる」などと書いている。

 自衛隊を現行憲法下で戦場に送れば、戦死者続出になりかねない。

 これ以外の野党幹部らの注目発言は、極論的な安保論議に終止符を打つために執筆した自著『誤解だらけの平和国家・日本』(イースト新書、10月発売)に詳細に記しておいた。

 ■八幡和郎(やわた・かずお)  1951年、滋賀県生まれ。東大法学部卒業後、通産省入省。フランス国立行政学院(ENA)留学。大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任 し、退官。作家、評論家として新聞やテレビで活躍。徳島文理大学教授。著書に『誤解だらけの韓国史の真実』(イースト新書)、『歴史ドラマが100倍おも しろくなる 江戸300藩 読む辞典』(講談社+α文庫)など多数。





集団的自衛権「解釈変更を」 国家戦略会議分科会が提言

2012年7月7日0時18分
http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201207060738.html
 野田政権の国家戦略会議フロンティア分科会(座長・大西隆東大教授)は6日、野田佳彦首相に2050年に向けた日本の将来像を提言する報告書を提出した。憲法解釈を変えて集団的自衛権の行使を認めるよう求めるなど、首相の持論に沿った内容となった。
 首相は官邸で報告書を受け取り、「近々まとめる(経済政策の)日本再生戦略に存分に反映させたい」と表明。「社会全体の議論喚起につながることを期待したい」とも語った。9月の民主党代表選や次の衆院選を視野に、今回の報告書を土台とした政策づくりを検討している。
 報告書は「『共創の国』づくり」と題し、少子高齢化や財政難、原発問題などに直面する日本を「課題先進国」と表現。政府や自治体、企業、個人の能力をつなぎ「新たな価値を創出する社会」を目指すとした。
 首相の持論がにじむ安全保障政策は「能動的な平和主義」を提唱。「米国や価値観を共有する諸国と安全保障協力を深化し、ネットワーク化を目指す」とし、 「集団的自衛権に関する解釈など旧来の制度慣行の見直しなどを通じて、安全保障協力手段の拡充を図るべきだ」と強調。集団的自衛権の行使を禁じる憲法解釈 の変更を求めた。
 首相は就任以来、集団的自衛権は「現時点で憲法解釈を変えることは考えていない」という姿勢だが、2009年の著書では「集団的自衛権は認めるべきだ」との考えを示していた。
 集団的自衛権では安倍、麻生両政権が有識者会議を設け行使容認に向けた議論を始めたが、政権交代でたなざらしになっている。
 経済・財政面では「2020年に基礎的財政収支の黒字確保」と目標を掲げ、消費増税など「負担増」を主張。「国際的なルール形成を主導する」とした項目では、「TPP(環太平洋経済連携協定)を足がかり」とするよう求めた。
 社会保障は「世代間の所得移転から世代内移転を強めるよう改革する」とし、「給付の見直しなどの効率化」も要請。少子高齢化で若者の負担が増す現状を見直すもので、税と社会保障の一体改革と同じ方向だ。
■フロンティア分科会報告書(骨子)
▽少子高齢化など「課題先進国」日本が国際社会に先駆的モデルを示し貢献
▽政府の大きさに固執せず、自治体、企業、個人などと「共創の国」づくり
▽国際的なルール形成を主導。経済ではTPPを足がかりに
▽歳出削減、経済成長、増税で2020年に基礎的財政収支を黒字に
▽アジア太平洋からインド洋で大規模な変化が予想され、日米同盟強化が必要。集団的自衛権の(憲法)解釈見直しも検討
▽国家安全保障会議を設置


記事
岡田克也
2015年09月17日 13:37
自民筆頭理事の国会質問
http://blogos.com/article/134487/

月曜日(9月14日)の参議院の安保法制特別委員会で、自由民主党の筆頭理事である佐藤正久議員が、私の2003年、10年以上前の読売新聞における対談での発言を部分的に切り取って、「岡田代表も集団的自衛権の行使を認めている」という発言をしました。

委員会という場での発言です。私のホームページに対談の全文を載せていますので、是非ご覧いただきたいと思いますが、この発言で、私が申し上げたのは3つです。

まず最初に、

「集団的自衛権は非常に幅広い概念で、その中で、米国本土が攻撃された場合など、これは憲法上は問題である」

ということを申し上げたうえで、次の2段目で申し上げたのが、佐藤さんはそこだけを引用されたのですが、

「日本を防衛するために活動している米軍が攻撃された場合、日本に対する行為と見なし、日本が反撃する余地を残すのは十分合理性がある」

こういうことを申し上げたわけです。

「集団的自衛権の中身を具体的に考えることで十分整合性を持って、憲法との関係を説明できる」という部分だけを佐藤さんは取り上げて、私が集団的自衛権の行使を部分的に認めていると言われたのです。

しかし、そのあと続きがありまして、同じ発言の中で、私が述べているのは、

「ただ、日本を守るため公海上に展開している米軍艦艇が攻撃された場合という限られたケースなので、むしろ個別的自衛権の範囲を拡張したと考えた方がいい。集団的自衛権という言葉を使わない方がいい」

と、結論は集団的自衛権ではなくて、個別的自衛権の拡張という形で対応すべきと述べているのです。

最後の結論の部分を切り取って、その真ん中の部分だけを強調し、私の発言の自分に都合のいい所だけを取り出したというのは、まさしく捏造(ねつぞう)であり、自由民主党の筆頭理事として、無責任な態度だと言わざるを得ません。

是非ホームページをご覧いただきたいと思います。

▼読売新聞 与野党4幹事長・憲法座談会(2003年5月3日朝刊)

抜粋→ http://www.katsuya.net/20150917_yomiuri.html
全文→ http://www.katsuya.net/opinion/2003/05/post-77.html


岡田克也ホームページ
2003年05月03日(土)
報道
読売新聞 2003年5月3日
「与野党4幹事長・憲法座談会」

http://www.katsuya.net/opinion/2003/05/post-77.html
見直し進め政治活性化
国際貢献を現実的視点で
読売新聞社は3日の憲法記念日を前に、憲法問題に関する与野党4党幹事長の座談会を開いた。政治の活性化に向けて憲法が果たすべき役割や、イラク戦争、北朝鮮情勢を踏まえた日本の安全保障のあるべき姿などについて、活発に論議が交わされた。
総論
飯尾氏 読売新聞の世論調査で、「憲法改正をすべきだ」との回答が6年連続で過半数を超えているように、憲法改 正論議がタブー視されなくなってきた。国会でも憲法調査会で議論が進んでおり、憲法改正の具体的な手順や方向性がそろそろ出てきてもいい時期だ。各党の考 え方を聞きたい。
転機迎えた国会調査会/山崎氏
山崎氏 憲法改正は真に必要な大きな政治課題だ。国会に憲法調査会が設置されたことは画期的な前進だった。(調査会報告までの)残された2年間、どういう作業を進めて憲法改正手続きに入っていけるのか、非常に大事な転換点に来ている。
岡田氏 憲法論議は55年体制を反映し、偏っていた。GHQ(連合国軍総司令部)が作ったので全面的に正当性が ないという「押しつけ論」は、日本国が半世紀以上も憲法を受け入れてきた以上、私の世代は理解できない。他方、改正を論じることすら反動だという考え方も 極めておかしい。時代とともに国の基本法を議論するのは成熟した民主主義にとって当然だ。(過去の)呪縛(じゅばく)から逃れ、具体的議論が始まったのは 非常に好ましい。
国民的議論起こすべき/冬柴氏
冬柴氏 憲法改正は衆参各院の3分の2以上の賛成で発議し、国民投票の過半数の賛成が必要で、世界に類例のない ぐらいの硬性憲法だ。この硬性規定は、日本が戦前に犯した過ちの反省に立ち、国民の権利・義務や平和(を守るため)に大変厳しい縛りをかけたためだ。公明 党は最初は「論憲」だったが、今は「加憲」で、環境権、プライバシーの保護など、加えるものがないか検討している。そういうものを提案し、国民的論議を巻 き起こしていくべきだ。
藤井氏 「不磨の大典」と言われた明治憲法が55年続いた。(戦後は)それ以上に時代の変化が激しいのに、何も やらないのはおかしい。また、「押しつけ」かどうかはともかく、GHQが1週間で作ったのは事実で、言葉の整合性など、随分ミスがある。自由党は2000 年12月に新しい憲法を作る基本方針を出しており、憲法改正を前提に議論を進めている。
飯尾氏 統一地方選でも、「政党離れ」が言われた。明治憲法と比べて、現憲 法の一番重要な改正点は議院内閣制の採用なのに、政党がしっかりしないのは大変困った事態だ。政党条項のある憲法や政党法を持つ国がある一方、憲法や法律 で無理やり政党を支えるのもいかがなものかという議論もある。憲法と政党との関係をどう考えるか。
山崎氏 実際は政党離れというより、政治的無関心の広がりではないか。政治を担う者として反省すべきで、我々に も責任がある。憲法に「結社の自由」は書いてあるが、政党の規定はない。憲法にきちんと政党を位置付けることは意味がある。一方で政党への膨大な金額の国 庫助成がある。憲法に政党を規定して政党法を制定し、政党の役割や使命、要件を定め、国家の監査を入れて透明な運営を行うことで、国民が政党を理解し、政 党を通じて議会制民主主義を運営することは必要だ。
飯尾氏 憲法には、国民と政治をする者との約束という側面がある。国民に信用されていない政党が中心になって政党条項を作り、憲法改正を発議することに矛盾はないか。
山崎氏 結社の自由は認められており、既成政党が信頼できないなら、新しい政党ができてしかるべきだ。反論すれば、国民は自らの水準以上の政党は持てないのだから、国民の水準が低いと言わざるを得ない。
冬柴氏 小選挙区制では、多様なニーズに応えられない。棄権する人は政治的に成熟しており、政治に無関心ではな いと思う。国民の意識に、政党が応えていないのではないか。憲法への規定はしてもいいが、しなかったら駄目でもない。議院内閣制は政党がなければ成り立た ず、憲法は当然、政党を前提にしている。
岡田氏 議院内閣制は政党を前提とし、国庫助成も入っているので、憲法上の政党の基本的要件を定め、政党法も制 定すべきだ。ただ、国による政党の監査など、権力の介入にならない工夫をしないと意味がない。政治への無関心と政党離れの問題は分けた方がいい。政治に関 心はあっても意識的に無党派の人もたくさんいる。政党離れの背景には、政党が国民の信頼を裏切っていることがあり、国民に説明責任を果たすことが大事だ。 国民の意識が多様化する中、選挙や案件によって政党を使い分けるのは自然ではないか。膨大な党員の上に本部組織があるピラミッド型より、もう少しオープン なシステムの政党像を作ることが国民の意識に近い。
飯尾氏 今の政党で政党法を議論すれば、今の政党の形を受けた政党法ができてしまう。新しい政党の姿を法律に書くことはできるのか。あるいは今は過渡期なので、新しい政党の姿を待った方がいいのか。
岡田氏 政党法は、あまり既存の政党を前提にせず、政党として必要最小限の要件、権利・義務などを書いておけばいい。
藤井氏 米国や英国でも、政党の枠は非常に緩やかだ。政党法を作るのは、やや時代に逆行する感じがある。政党助成金に関する公認会計士の監査や情報公開など、政党には厳しいチェックが必要だが、あまり憲法でがっちりと書くのはどうか。
※政党条項:政党のあり方や役割などを明文化した規定。日本は1995年に政党への公的助成制度を導入し、政党が法人格を持てるようになった。だ が、政党法はなく、憲法も21条で「結社の自由」を定めているだけで、政党への直接の言及はない。ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、韓国などの憲法 には、政党条項がある。
【直接民主制】
住民投票の是非や首相公選にも関連
飯尾氏 政党離れの一方、国民投票など直接民主制的な動きを望む声は強い。現憲法は、典型的な間接民主制で、憲法改正以外の国民投票の規定はないが、どう考えるか。
山崎氏 この問題は首相公選制とも結びついている。国民投票に過度に依存すれば、議院内閣制が機能しなくなる。 憲法改正で首相公選制を採用すれば、公選のための国民投票法はあり得る。また、憲法改正に限定した国民投票法を作る議論が先行している。きちんと結論を出 し、早く作った方がいい。
藤井氏 例外的に国民投票があるのは正しい。代議制民主主義の下にも直接民主制があっていい。首相公選制には反対だが、例外的に国民投票がある憲法にすることはいい。ただ、エネルギー、安全保障など国の根幹に触れるものについての(特定の自治体に限定した)住民投票はおかしい。
冬柴氏 首相公選制には反対だ。国権の最高機関の国会に屋上屋を重ね、それと違う国民の結論が(首相公選で)出 た時にどちらを優先するか、秩序が乱れる。国政レベルではやらない方がいい。ただ、首長は大統領的であり、地方自治には相反しない部分があるだろう。地方 議会の決定と住民投票結果が違った場合も考え、非常に例外的に法律で住民投票を定めることが必要な感じがする。憲法改正に関する国民投票法は必要だ。
岡田氏私は首相公選反対論者だ。立法府の多数勢力がリーダーを選ぶ議院内閣制の方がリーダーシップを発揮できるはずで、発揮できていないとすれば、 やり方、仕組みの問題だ。住民投票は、(質問の)聞き方によって結論が変わる問題もあり、一定の範囲で認めることは賛成だが、拡大は慎重に考えるべきだ。
【首相の指導力強化】
「政府と与党」調整カギ
飯尾氏今の議院内閣制の運営が有権者に満足を与えていない側面がある。戦前の遺産もあり、官僚主導や、政治家も含めて省庁がバラバラという問題が指摘されている。
山崎氏 小泉政権になり、首相のリーダーシップの問題はかなり改善した。橋本政権の行政改革で内閣機能が強化さ れ、そこにうってつけの首相が出てきた。議院内閣制でも首相のリーダーシップの改革は十分できる。経済財政諮問会議により経済政策が一元化されるなど、内 閣・首相官邸と官僚の関係は様変わりしている。今は官邸の意向を伺い、従おうとする作用が働いている。政党側は、アンシャンレジーム(旧体制)のまま動い ているところがあるが、自然に調整されていくと思う。
飯尾氏 官僚との関係では首相のリーダーシップが強まったが、与党との関係には矛盾が残っているのではないか。
山崎氏 官僚もまだ非常に迷っている。以前はまず与党に相談し、与党の了承を得られるものを閣議に上げて決め る、変な意味のボトムアップだった。最近は郵政改革や道路改革でも、官僚がまず首相官邸の意向を探り、官邸の意向が先に出て官僚が与党との調整に走り回る トップダウンのルートができた。官邸のトップダウン(による政策)を与野党含めた国会で十分論議し、最終的に決定する今の小泉首相のやり方の方が国民に好 ましいのではないか。
岡田氏 第1に、与党と政府の関係はきちんと整理するべきだ。民主党が政権を取れば、「次の内閣」大臣は全部政 府に入る。そうでないと、政府と与党の対立が続き、議院内閣制を殺してしまう。第2に、内閣府に調整権限を集める発想はいいが、機能していない。重要でな いものは各省庁に任せ、本当に調整を要するものを内閣府で担当するように整理し直した方がいい。第3に、首相がリーダーシップを発揮するため、閣議の意思 決定は全会一致とせず、多数決とすると法律に書いた方がいい。
冬柴氏 橋本行革は財政と金融の分離など縦割り行政の弊害の是正で大きく進歩した。内閣府も強化された。従来の政治家と官僚の関係は、随分と我々の思う方向に向かっている。
藤井氏 行政は、役人でなく与党が握るのが大前提だ。与党の政調会長など、しかるべき人が皆内閣に入れば、党と の調整はなくていい。国会は党首討論などの運用ができていない。首相のリーダーシップは大変大事で、非常事態の時は首相が公務員に直接指示していい。ま た、中央政府のスリム化が重要だ。
山崎氏 議院内閣制で首相のリーダーシップを確立するには、憲法65条の「行政権は内閣に属する」を「内閣総理大臣に属する」と改正することが決め手だ。
岡田氏  逆に言うと、それ以外は憲法を変えなくてもできるということだ。
【イラク問題と国連】
武器使用基準緩和9条と切り離して
飯尾氏 日本の場合、憲法に平和主義がある一方、日米同盟も結んでいる。そして、憲法の制約を国連中心主義に関 係づけることで、国連平和維持活動(PKO)その他を処理してきた歴史がある。だが、イラク戦争では、米国が戦争をやると決めた時点で、国連が無力化し た。米国が国連に協力しない事態が続いた場合、国連中心の安全保障には限界がある。憲法の平和主義を国連中心主義に置き換えるのは難しくなったのではない か。
山崎氏 イラク問題で、国連安全保障理事会の機能が低下したことは事実だ。機能を回復するため、イラクの復興人道支援に関して、新しい安保理決議の採択に取り組むことが必須だ。日本は安保理理事国ではないが、新しい決議の草案を書くぐらいの役割を演ずるべきだ。
岡田氏 今回、北朝鮮問題もあるから、同盟国の米国についていくしかないという議論がされたことは非常に残念 だ。将来、米国単独主義が強まると非常に不安定な世界が待っている。国連は引き続き重要だが、安保理改革では、少なくとも2つの常任理事国が反対しないか ぎり、拒否権行使にならないという改革をまずやるべきだ。
冬柴氏 国連重視と日米同盟の関係について、国連憲章が一般法で、日米同盟は特別法だと私は整理している。 1945年の国連憲章により、各国は集団安全保障に移っていく。日本国憲法は、国連憲章の思想を映し出しているが、集団的自衛権(の行使)は無理だ。それ を補完するため、日米同盟で日本の安全保障を守る構成が取られた。イラク問題は、678、687、1441という安保理決議の文脈で(根拠を持って)攻撃 が行われたという見方は十分できる。日本の国益を見た時、(中東は)決定的に重要であり、イラクでの人道支援や復興は、国際協調や日米同盟と関係なく非常 に大事だ。
飯尾氏 憲法は日本の海外での活動について必ずしも積極的に述べていないが、国益上重要な活動のあり方をどう考えるか。
冬柴氏 憲法前文は国際協調に満ちあふれ、98条は条約を誠実に順守するとしている。我々は国連の平和活動に積 極的に協力する法律的な義務を負っている。憲法9条は「国権の発動たる戦争」を禁じたもの以上ではなく、国際貢献のため日本が海外に出ていくことは是認さ れている。政府見解では、任務が武力行使を含む場合、自衛隊の国連軍参加は憲法違反としているが、国連の安全保障措置と日本の国益を追求する戦争を混同し ているのではないか。私はこの解釈に合点できず、参加できると思う。ただ、法律上できるということで、実際にやるかどうかは国民とともに判断しなければな らない。
藤井氏 第1次世界大戦後の国際連盟の反省に立ち、国連ができた。米国には早く国連という場に戻ってほしい。国連という仕組みが崩れると、力によって物事を決める19世紀的な社会になる。これだけは絶対崩してはいけない。
岡田氏 憲法は国際協調主義を訴えているが、憲法を作った時に、日本がそこに能動的に関与する発想はなかった。 国連軍参加を否定するつもりはないが、行うのであれば憲法にきちんと書くべきだ。国連憲章が優位だということだけでは、憲法を軽んじることになる。ただ、 国権の発動たる戦争とは趣が違うので、PKOでの武器の使用は、あまりにも厳しく考える必要はなく、国際的基準で考えていいのではないか。
冬柴氏 自衛隊が海外に出ていく法体系ができたが、武力行使と武器使用は全然違う。武器使用は国際基準というか、国際貢献にいく人が安心して身を守れる法制でなければいけない。それが武器使用で、9条の武力行使とは全く関係ない。
岡田氏 今の政府解釈は、自然権的な権利として自らを守る武器使用は許されるが、現実に法律上認められているも のはだいぶ広がっている。さらに国際基準にまで広げるには従来の解釈では読めなくなる。国連決議がある場合には、(武器使用を)緩やかに考えるとの解釈で いいのではないか。
藤井氏 PKOは国連の決議でやる。外国に出ていって、日本だけが「撃ってきたら撃ち返していい」という話では通らない。やはり(武器使用基準は)国際基準、つまり任務遂行のため必要なものであるべきだ。
※武器使用基準:国連は、PKO参加部隊に自衛のほか、任務遂行を実力で妨害する者などに対する武器使用を認めている。これが一般的に国際基準とさ れる。これに対し、自衛隊の武器使用は、「憲法が禁じる武力行使に当たらない範囲」として、正当防衛と緊急避難に限定され、厳しく制限されている。 2001年のPKO協力法改正で、自衛隊員本人・同僚に加え、他国のPKO要員や国際機関職員の防護が可能となったが、任務遂行のための威嚇射撃などはで きない。
【北朝鮮危機と「自衛権」解釈】
集団的自衛権行使認め政策判断
飯尾氏 イラク問題にめどが立つと、国際政治の焦点は北朝鮮の脅威にどう対処するか、になる。米朝関係が緊迫すると、「保有するが行使できない」とする政府解釈を含め、集団的自衛権が問題になるのではないか。
山崎氏 集団的自衛権は行使できるはずだという議論は、非常によく理解できる。最近、米共和党の上院議員8人が 来日し、小泉首相と会談した時、「日本に対する攻撃は米国に対する攻撃とみなす」と明確に言った。だが、「米国への攻撃は日本に対する攻撃だ」と言葉では 言えるが、行動は取れない。北朝鮮が暴走し、在日米軍が前面に出る際、これでいいのかという忸怩(じくじ)たる思いはある。一方で、定着した憲法解釈を時 の政権が変えることが許されるか、ということがある。やはり憲法改正で、自衛権は行使でき、自衛権には個別的自衛権と集団的自衛権が含まれると明定するこ とが必要だ。
岡田氏 集団的自衛権は非常に幅広い概念だ。第三国が米国と戦争になった時、日本が出かけて行って武力行使をす るのは憲法を逸脱している。米国本土が攻撃された場合も憲法上は問題だ。ただ、日本を防衛するために活動している米軍が攻撃された場合、日本に対する行為 と見なし、日本が反撃する余地を残すのは十分合理性がある。今の憲法は、すべての集団的自衛権の行使を認めていないとは言い切っておらず、集団的自衛権の 中身を具体的に考えることで十分整合性を持って説明できる。ただ、日本を守るため公海上に展開している米軍艦艇が攻撃された場合という限られたケースなの で、むしろ個別的自衛権の範囲を拡張したと考えた方がいい。集団的自衛権という言葉を使わない方がいい。
冬柴氏 国連憲章と憲法9条の最も違う点は(戦力の保持と交戦権を否定した9条)2項だ。これは(国連憲章の) どこにもない。日本はそれほど強い戦争放棄をした。9条を維持する限り、個別的自衛権以上は行使できない。それでは集団的自衛権は(米国だけが行使する) 片面ではないかとなるが、そのために日本の区域・施設を無償、あるいは年間数千億円の思いやり予算をつけて提供している。集団的自衛権の行使は、この憲法 を前提とする限り無理で、憲法改正も不要だ。
藤井氏 集団的自衛権は国際司法裁判所でも定着したもので、頭から否定するのはどうか。集団的自衛権は主権の行 使だが、集団安全保障はある種の国際機関への主権の譲渡で、全然違う。集団的自衛権が国際的に定着している以上は、真っ正面から認めるが、あくまで主権の 行使だから、どこまで出ていくかは日本国が決めればいい。
【今後の取り組み】
飯尾氏 今ある憲法を生かしていくのは当然だが、直すべきところを直す場合、必要不可欠な部分を直すのか全般的な手直しが必要か。有権者は、将来の憲法改正の手順や方向が見えにくく思っている。
山崎氏 日本国憲法は、世界で13番目程度に古い憲法だ。同じ第2次大戦の敗戦国のドイツが50回以上(ドイツ 基本法を)改正したのに比べて、半世紀以上も1点も改正されていないのは問題だ。この間に価値観が随分変わっており、国民的規範の憲法が過去の古い価値観 に基づく点は是正しなければならない。例えば、環境という言葉は憲法に1か所もない。権利と義務の関係でも国民の義務は3つしか規定されておらず、義務の 強化が必要ではないか。憲法改正の核心は9条だ。今の憲法は独立を失った時にできており、独立を回復した以上、独立国家が当然持つ主権と、主権を守るため の手段を明確に定めるべきだ。
まず改正規定を直すべき/岡田氏
岡田氏 今はこの国が明確な将来ビジョンを描き切れていないので、憲法の全面的見直しは少し時間を置いた方がい い。だから、具体的に個々の問題点を見直す考え方に立ち、まず憲法改正規定を直すべきだ。国民投票をする以上、衆参各院の発議は(現行の)3分の2以上で なく、2分の1以上で十分だ。そうなれば、改正が現実味を持ち、議論がより真剣に行われる。憲法9条を素直に読めば、自衛隊は違憲という解釈が出ても不思 議でない。集団的自衛権の問題も含め、だれが見ても分かりやすい形にした方がいい。
冬柴氏 (改正要件が厳しい)硬性憲法は、日本が再び戦前のような侵略的な富国強兵、極端な中央集権にならない ためだ。憲法改正で一番気をつけなければいけないのは戦前回帰だ。(公明党の)加憲も改正だから、その視点を失ってはいけない。それ以外の部分で改正は考 えたらいい。その際、権利よりも、環境を守る義務、プライバシーを侵さない義務という形がいい。山崎氏と同じ思想だが、あまりにも権利が多すぎる。
「公共の福祉」記述具体的に/藤井氏
藤井氏 この憲法は、占領者は「占領地の現行法律を尊重」すべきとした(戦時国際法の)ハーグ陸戦規約 (1907年)違反だ。9条は直さなければいけない。文章がつたなく、整合性がないうえ、日本政府が間違った解釈をしているから。「公共の福祉」も、憲法 に書いているのは米国ぐらいで、分からない概念だ。世界人権宣言も国際人権規約も、「公共の福祉」の内容を「他人の権利を害してはいけない」などと具体的 に書いている。我々は、こうしたことを国民にすべて提言すべきだ。
【出席者】
◇岡田克也(おかだ・かつや)氏民主党幹事長
通産省官房企画調査官などを経て1990年に衆院初当選。93年に自民党を離党し、新生党に参加。新進、民政党を経て98年に民主党に。党政調会長などを経て昨年12月から現職。東大法卒。当選4回。49歳。
◇山崎拓(やまさき・たく)氏自民党幹事長
福岡県議を経て1972年に衆院初当選。官房副長官、防衛長官、建設相、自民党国会対策委員長、同政調会長などを歴任。2001年4月から現職。早大商卒。当選10回。66歳。
◇冬柴鉄三(ふゆしば・てつぞう)氏公明党幹事長
弁護士を経て1986年に衆院初当選。公明党国会対策副委員長、自治政務次官、新進党政策審議会副会長、衆院決算委員長、新党平和幹事長などを歴任。98年11月から現職。関西大法卒。当選5回。66歳。
◇藤井裕久(ふじい・ひろひさ)氏自由党幹事長
大蔵省主計官などを経て1977年に自民党から参院議員初当選。90年に衆院議員。93年に新生党に参加、細川・羽田内閣で蔵相。新進党を経て99年1月から現職。東大法卒。衆院当選4回(参院2回)。70歳。
◇司会飯尾潤(いいお・じゅん)氏政策研究大学院大教授
政治学・現代日本政治論。埼玉大専任講師、助教授、政策研究大学院大助教授を経て、2000年から現職。著書に「民営化の政治過程」など。東大大学院法学政治学研究科博士課程修了。40歳。



民主党が櫻井よしこ氏に再質問状(全文) 「貴殿の回答は何ら説得力がない」

2015-09-30 20:22:01 | 政治
民主党の再質問状の趣旨は、集団的自衛権を岡田代表が過去に必要視してはいないと言う事で、
外務大臣時の発言は問題にならない。

読売新聞(2005年5月3日)と中央公論(2005年7月号) における発言を、民主党が
切り貼りしても、説得力に欠けると考えるのが普通である。
従って、 2 その上で、以降の文章は説得力がない。

3 なお、貴殿は、「未来永劫ないのかと言えば、それはいろいろなこと がこれからもあり得るわけですから、すべてにわたって未来を否定する、そういうイデオロギー的な考え方は我々はとらない」(本年4月28日定例記者会見) と明確に述べています。
こう言うのを屁理屈と言うのである。

再質問という自体が、莫迦げているとは思わないのか。脳タリンと申し上げる。


2015.9.30 20:01更新
民主党が櫻井よしこ氏に再質問状(全文) 「貴殿の回答は何ら説得力がない」
http://www.sankei.com/politics/news/150930/plt1509300028-n1.html

民主党の近藤洋介役員室長が櫻井よしこ氏に送った再質問状の全文は次の通り。
 9月28日付の小職からの質問状に対し、本日、貴殿からの回答を受領しました。速やかにご回答いただいたことは多としますが、その内容は全く同意できないものです。したがって、下記のとおり、再度お訊ねいたしますので、10月2日までに書面でご回答願います。
 1 まず、貴殿が回答の中でお認めになったように、「集団的自衛権は必要ですと、民主党政権の外務大臣として言った」との貴殿の発言が事実に反することが明確になりました。
  2 その上で、貴殿は回答の中で、岡田代表が「集団的自衛権は必要」と述べた根拠として、読売新聞(2005年5月3日)と中央公論(2005年7月号) における発言を挙げています。しかし、この中で岡田幹事長(当時)が述べたことは、「日本を防衛するために活動している米軍が攻撃された場合、日本に対す る行為と見なし、日本が反撃する余地を残すのは十分合理性がある」(読売新聞)、「日本の利害に直接関わるような地域で、同盟国である米国が攻撃を受けた 際、日本が傍観していていいのか、という問題意識はある」(中央公論)ということであって、「集団的自衛権は必要」とは一言も述べていません。そして、 「むしろ個別的自衛権の範囲を拡張したと考えた方がいい。集団的自衛権という言葉を使わない方がいい」(読売新聞)と結論付けています。したがって、「集 団的自衛権は必要だと言っているとの私の理解は間違っていない」との貴殿の認識は明らかに誤りです。
3 なお、貴殿は、「集団的自衛権は要らない」と岡田代表が党首討論(6月17日)で発言したことを挙げて、「180度の転換」としていますが、こ れも誤りです。岡田代表は、安倍政権が進める集団的自衛権の行使は憲法違反であり容認しないとしつつ、「未来永劫ないのかと言えば、それはいろいろなこと がこれからもあり得るわけですから、すべてにわたって未来を否定する、そういうイデオロギー的な考え方は我々はとらない」(本年4月28日定例記者会見) と明確に述べています。
 4 また、貴殿は、「民主党と共産党が組む」とのご自身の発言について、連立ではなく「選挙協力」について批判し たものと回答されました。しかし、貴殿が先例として挙げた自民党と社会党の関係は、選挙協力ではなく連立政権です。貴殿の発言は、民主党と共産党の連立政 権を視聴者・国民に惹起させるものであり、自社さ連立政権を持ち出したことは明らかに不適切です。
 5 以上のとおり、貴殿の回答は何ら説 得力がなく、『日曜討論』における貴殿の発言が事実無根であることが明らかになりました。貴殿のような実績のある論客がこのような回答をされたことは非常 に残念ですが、誤りが明確となった以上、貴殿は発言を撤回・訂正し、岡田代表及び民主党に謝罪すべきです。貴殿のご見解を伺います。
以上



櫻井よしこ氏が民主党に反論 「民主党への期待は所詮、無理なのかと感じ始めています」

2015-09-30 19:34:08 | 政治


2015.9.30 14:25更新

>櫻井よしこ氏が民主党に反論 「民主党への期待は所詮、無理なのかと感じ始めています」
http://www.sankei.com/premium/news/150930/prm1509300005-n1.html



ジャーナリストの櫻井よしこ氏は30日、自身のNHK番組での発言に事実誤認があったとして、民主党から発言の撤回と謝罪を求める質問状を受け取ったことに対し、反論する回答文を民主党本部に送付した。全文は以下の通り。

 ◇ 

 9月30日 民主党役員室長 近藤洋介殿

 9月28日付で貴殿よりファクスでいただきました問い合わせについて回答いたします。

 × × ×

 岡田克也氏が「民主党政権の時の外務大臣として」「集団的自衛権は必要です」と言ったと、私が語ったのは事実です。「外務大臣として」という部分は「民主党が野党時代の幹事長として」の思い違いであり、訂正します。

 同件は、今年9月14日、参議院の「国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」で、自民党の佐藤正久議員も取り上げました。岡田氏は党幹事長だった平成15年5月3日の「読売新聞」で以下のように発言しています。
 「集団的自衛権は非常に幅広い概念だ。第三国が米国と戦争になったとき、日本が出かけて行って武力行使をするのは憲法を逸脱している。米国本土が攻撃された場合も憲法上は問題だ。ただ、日本を防衛するために活動している米軍が攻撃された場合、日本に対する行為と見なし、日本が反撃する余地を残すのは十分合理性がある。今の憲法は、すべての集団的自衛権の行使を認めていないとは言い切っておらず、集団的自衛権の中身を具体的に考えることで十分整合性を持って説明できる。ただ、日本を守るため公海上に展開している米軍艦艇が攻撃された場合という限られたケースなので、むしろ個別的自衛権の範囲を拡張したと考えた方がいい。集団的自衛権という言葉を使わない方がいい」

 また、17年7月号の『中央公論』誌上で、読売新聞編集委員の橋本五郎氏の取材を受けて、以下のようにも語っています。

 --今回のビジョンでは、集団的自衛権の問題に触れていない。どうしてなのか

 岡田「安全保障論議をする際に、集団的自衛権こそが極めて重要な問題であるように語られているが、ややシンボル化されすぎているように感じている。もちろん、日本の利害に直接関わるような地域で、同盟国である米国が攻撃を受けた際、日本が傍観していていいのか、という問題意識はある。ただ、これは個別的自衛権の拡張という考え方で対応できる部分もあるだろう」
--理屈ではなく、実態論でいくということか

 岡田「そうだ。集団的自衛権の議論にすると、神学論争に陥ってしまう。また、集団的自衛権を安易に認めてしまうと、地球の裏側であっても行使できるということになりかねない。仮に集団的自衛権を憲法なり法律なりで認めるとしても、きちんと制限を明示したほうがいいだろう。いずれにせよ、より具体的な形で議論すべきだ。そして、最後にはその時々のリーダーが政治生命を賭けて決断しなければならない」

 岡田氏の発言で赤線を引いた右の部分(※太字部分)は明らかに集団的自衛権の必要性を認めています。集団的自衛権の行使に踏み込むか否かは、「その時々のリーダーが政治生命を賭けて決断」すべきことだと、正しいことを言っています。

 事実上、集団的自衛権は必要だと言っているとの私の理解は間違っていないと考えます。

 ところが、今年6月17日の党首討論で岡田氏は「集団的自衛権の行使は要らないんです」と断定して、発言を締めくくりました。これは180度の転換ではありませんか。

 × × ×

 「民主党が共産党と組む」との私の発言に対して、貴殿は「民主党と共産党が連立を組むことが決まっているかのような誤解を視聴者・国民に与えるものです」と決めつけていますが、私の発言を再度調べてください。
念のため、私の発言を以下に記します。

 島田敏男NHK解説委員「櫻井さん、今の安倍1強の自民党をどうごらんになっていますか?」

 櫻井「今まで1年ごとに政権が代わるというのを私たちは体験してきたわけですよね。第1次安倍内閣から始まって、自民党、それから民主党になったらもっと短くなった。これでは国の政治もできないし、国際社会における日本国の主張なんて誰が聞いてくれるんだろうと思いますと、やっぱり長期政権というのは必要だというふうに思うんですね。それがたまたま今、安倍政権であって、私はその意味では1強とかって言う代わりに、言う前に、政権、政治の安定性ということについていえば必要なことだというふうに思いますね。これはだって、また3年後には総裁選挙がありますし、来年には参議院選挙があるわけですから、いろんな段階での民意の表現というのは可能なわけですから、やっぱりできるだけ安定した政権の中で、下で、国政を担ってほしいと私は思います」

 島田「櫻井さん、来年夏の参議院選挙、注目されます民意の反映という視点からどう見ますか?」

 櫻井「私ね、今思い出すのはね、自民党と社会党が手を組んで政権を奪還したときですね」

 島田「自社さ政権ですね」

 櫻井「あの時は、自民党の支持者も社会党の支持者も怒ったと思いますよ。だって全然違う価値観の人たちが一緒になって、政権をとるためだけにやったわけですね。今、岡田さんが言っていることは、共産党なんかと一緒に選挙協力やりましょうと言っていますね。同じことだというふうに思うんですね。じゃあ自民党と社会党の協力で何が起きたか。社会党が没落してしまったわけですよね。もう今、社民党5議席ですか、もうほとんど政党の体をなしていないところまで落ちてしまった。じゃあ今度、民主党と共産党が選挙協力したときに、どっちが食い込んで、どっちが取られちゃうのか、これやってみないとわかりませんけれども、いずれにしても、岡田さんはかつて、『集団的自衛権は必要です』と、民主党政権の時の外務大臣として言った人が、今は『それは必要ありません』と180度変わって、民主党が共産党と組むというのは、かつての自民党と社会党のことを思ってもですね、あまりにも国民を、さっきあなた国民を馬鹿にしているとおっしゃったけれども、これこそ国民を馬鹿にしていることだと、私は思います」

以上の私の発言は、自社両党の無節操な連立を批判したうえで、「民主党と共産党が選挙協力したときに」何が起き得るのかに言及し、民主・共産両党の協力関係を批判したものです。

 貴殿は私が民主党・共産党の関係について視聴者や国民に誤解を与えると論難しますが、そのような誤解を与えているのは民主党の皆さんではありませんか。以下、民主党議員の方々の発言を示します。

 9月19日、共産党の志位和夫委員長が安保関連法制廃止に向けて「国民連合政府」構想を提案。

 9月20日、岡田氏は秋田市内での記者会見で「かなり思い切った提案で、注目している。選挙区で競合を避けるのは重要だが、政策をどうするかなど、さまざまな議論をしないといけない。提案の中身についてよく話を聞きたい」(産経ニュース9月22日)と、発言しました。

 辻元清美政調会長代理はNHKの番組で「(安保法に反対する)国民の声を受け止める大きな受け皿がいる」(同)と、共産党の提案を前向きに受け止めていることを示唆しました。

 9月21日、岡田氏は大分市内の記者会見で共産党の提案を「思いきった提案だ。特に選挙協力について重要な提案を頂いた」(読売新聞、9月22日)と語り、またもや前向きに検討する姿勢を見せました。
同日、菅直人元首相は「1人区では安保法制廃止の野党統一候補を擁立すべきだ」とブログで発信しました(産経ニュース、9月22日)。

 9月24日、岡田氏は「最大の支持団体である連合の古賀伸明会長ら幹部との定期協議に出席し、安倍政権に対抗する野党勢力の結集を目指す考えを表明。共産党との協議について『向こうの主張を確認する作業から入りたい』と理解を求めた」(時事通信、9月24日)。

 9月25日には、岡田・志位会談が行われ、会談後、岡田氏は「政策が一致していないと国民にとって困ったことになる。選挙協力もなかなか難しい」と述べた一方で、「協議の継続では一致した」(毎日新聞、9月25日)と語っています。

 一方、『赤旗』は次のように報じました。

 志位氏が「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」の実現をよびかけ、「丁寧に説明」すると、「岡田代表は『思い切った提案をいただいたことに、敬意を表します』と述べ」、「両者は『今後も引き続き話し合っていく』ことで一致しました」

『赤旗』は会談後の志位氏の発言として、「全体として、たいへん良いスタートが切れたのではないかと思います。引き続き私たちの考えを丁寧に伝え、一歩一歩、合意にむけて進んでいけたらいいと思います」と語ったことも伝えています。

 これが27日のNHKの番組前までの民主・共産両党関係についての報道です。両党の協力、連携がどう決着するのかは不明ですが、話し合いが継続している状況を踏まえて論じた私の発言に問題があるとは思いません。

 つけ加えるならば、共産党とのあるべき関係について、民主党内にも批判があるのは周知のとおりです。

 金子洋一参院議員は9月20、21の両日、「共産党などとの協力には大反対だ。根本的な考え方が違う」「決して共産党などとの連携をしてはいけません」などとツイッターに書き込みました(産経デジタル)。

 前原誠司元外相は9月24日、「『安保法廃止』のみで共産党と選挙協力するのは論外だ」とする文書を自身が率いるグループの会合で配布しました(時事通信、9月24日)。

 その他にも反対意見は少なくないはずです。民主党は3年3カ月、政権を担当した経験をもつ野党です。その点で他の野党とは異なる責任ある言動を、私は民主党に期待していますが、安保法制を巡る議論ではそのような期待は所詮、無理なのかと感じ始めています。

 以上、私の見解です。

      櫻井よしこ


「文民統制」を理解しない民主党に政権担当の資格なし

2015-09-30 13:37:10 | 政治



「文民統制」を理解しない民主党に政権担当の資格なし 自衛隊が柔軟性とプライドをもって任務につけることを目指した安保法制
JBpress 2015/9/29 11:35 森 清勇
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20150929-00044865-biz_jbp_j-nb

 安保法制は混乱のうちに成立した。審議過程で民主党をはじめとした廃案志向の野党が多発した中に、「歯止めがないじゃないか」という発言があった。

 しかし、この発言には矛盾がある。歯止めを利かすのは自分たちが属する国会と政府による「文民統制」、すなわちシビリアン・コントロールであるということを忘れた発言であるからだ。

 特に民主党は政権を執ったことがあるにもかかわらず、シビリアン・コントロールを信頼していないか、あるいはシビリアン・コントロールについて深く考えていないことを告白したような言動で、政権担当の資格を自ら放棄したに等しかった。

■「狂気」集団と化した野党

 平成27年9月19日付「産経抄」に良い記事があった。ニーチェの言葉だそうであるが「狂気は個人にあっては稀有なことである。しかし、集団・党派・民族・時代にあっては通例である」というのである。

 言うまでもなく、9月17日の参院特別委での採決時の混乱を説明するに当って引用されたものである。採決、あるいは採決に至る過程における意見発表などにおいて、民主党がしばしば採った暴力を含むルール無視の行動を指している。

 民主主義の模範を示すべき国会がこれでは、今後、どんな暴力が出てきてもおかしくない。議論の末に多数決で決めるのは民主主義の基本中の基本ではないだろうか。

 「議論が尽くされていない」という世論調査の結果を踏まえた、さらには自分たちの廃案志向が重なっての採決反対であろうが、ここには大きな矛盾があった。

 審議を尽くさなかったというのは野党自身が仕かけたことであったからである。議員数に基づく委員会の構成では与党が断然多かった。しかし、戦後日本のあり方をがらりと変えかねない重要法案であることから、衆院では野党に9割の質問時間が充当された。

 ところが「これほど分かりにくい法案である」ということを強調したい野党は、国民になぜ法案が必要になっているか、(今後)数次の国会審議を待たずにな ぜ今なのか、すなわち国家と国民のリスクが異常に高まっており、明日では覚束ないという基本的なことにはほとんど触れようとしなかった。

 「地球の裏側まで行くことになる」、「アメリカの戦争に巻きこまれる」、「自衛隊員のリスクが増える」、「徴兵制になる」などなど、日本の安全に無関心 かつ無責任な憲法学者の「違憲法案」という声を背景に、国民がパニックを起こすようなことばかりを喧伝する方法を採った。
「日本の防衛」という大前提を忘れたかのような暴論に持って行き、またシビリアン・コントロールがしっかり機能してきた自衛隊の歴史を一顧だにしない、議会人とも思えない発言ばかりが目立った。

 参院与党は、野党への温情が国民に混迷をもたらすことを再び危惧したが、国民の理解を深めたいという強い願望から、ここでも野党に譲歩して6割の質問時間を割り当てた。

 与党の質問は中国や北朝鮮の軍事増強と当該国の内政の混乱が日本にもたらす危険性などに触れ、主として法案の必要性の議論であった。しかし、野党はここでも違憲問題と法的整合性や、行動の範囲などを限定して「歯止め」を求めることなどを迫った。

 首相や防衛大臣が「新三条件に基づき、総合的に判断する」と答弁すると、発言に満足しない野党は、「どこまで拡大するか分からない」「首相次第ではないか」などと詰め寄った。

 法案の審議をよそに国民に不安をまき散らし、「時々の政府で、判断でぐるぐる変わる」などとアピールする方法は、正しく狂気の政党としか言いようがない。

■戦前の軍の暴走はなぜ起きたか

 満州事変から中華事変への流れを見ていると、軍が投入され、政府が追認するというパターンが処々に見られた。今日言うところのシビリアン・コントロールが機能していなかったのである。

 戦前における軍の行動は、表向き「好戦的」という見方もできようが、必ずしもそうとばかりは言えない面があった。それは、当時の法体制に問題があったからである。

 戦前の政軍関係は、今日の状況とは根本的に異なっていた。明治憲法第11条に「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とあるように、軍は参謀総長および軍令部長を通し て天皇に直結していた。いわゆる軍の行動に関わる軍令事項は、「統帥権の独立」と称されたように、政府のコントロール下にはなかった。

 政府の一員であった陸軍大臣と海軍大臣は予算や人事などの軍政権を握っていたが、軍の直接的な行動には関与できなかった。さらには、軍部大臣武官制を 採っており、政府の施策を軍が好まない場合は、最大の抵抗として陸・海軍大臣を出さないで、組閣させない、あるいは倒閣に持っていくことも可能であった。

 軍が政府に関わりなく独走しないために、東条英機首相は陸軍大臣ばかりか、参謀総長までも一時的に兼務したことがある。軍部独裁とも言われるようになる統帥権の独立は、明治憲法11条によって保証されていたのである。
鈴木貫太郎内閣は終戦を目指すが、軍部が反発して大臣を出されなければ政府が瓦解して、終戦交渉などは全然進められない。そこで、軍部の要望である「決戦」を表向き標榜しながらも、腹芸で終戦の交渉を進めるよりほかはなかった。

 翻って、今日の自衛隊の行動に、統帥権独立に匹敵するような法的根拠があるというのだろうか。自衛隊の存在さえ違憲だという憲法学者も多い中で、自衛隊が動ける範囲は雁字搦めにされている。

 政治による命令・指示がなければ、1人の隊員も動かせない法体制下にある。こうした状況下で、政府が、自衛隊の行動を簡単に容認するとでも言うのだろうか。

 政権を握ったことのある民主党のシビリアン・コントロール理解は余りにも不自然であり、幼稚ではなかろうか。

■累次のPKOで見た厳格な文民統制

 自衛隊の海外派遣が始まって23年が経過した。カンボジアに派遣された部隊の任務は「道路や橋梁の修復等」であり、移動途中に負傷者がいても「任務に無い」というので救助してやれなかった。

 その後、現地が大洪水に見舞われ、応急復旧のための資材運搬を州知事から要請されるが、「輸送」は任務にないとうことで断る以外になく、派遣隊員たちをして「我々は何の為に、誰のために来たのか」と悔しがらせたこともしばしばあったと仄聞した。

 他の海外派遣でも、深い穴に落ちた子供の救助に手出しができないなど、「与えられた任務」からはみ出すということで、能力を有しながらも、手出しできず、悔しさだけが積み重なっていたと聞いた。

 現地指揮官には「助けたい」「支援したい」という強力な願望があっても、手出しをすれば、昵懇であった記者などに「任務違反」で報告しますよと言われて は、二進も三進もできない。現に依頼された簡単なことをやったばかりに、命令違反として問題化したことも報告されている。

 現地にやって来た国連の関係職員が宿泊や給食を依頼してきたときも、上級司令部に問い合わせ、さらに陸上幕僚監部が政府や国連の関係部署と調整するなど、自衛隊は法令に厳格に従うことを学んできたし、実行してきた。

 自衛隊の海外活動は平和維持や人道復興支援、災害救助などであり、混乱を助長したり、紛争に仕立て拡大するためではない。しかし、付与された目的への過 程において、人命救助や輸送支援などがあっても任務の許容範囲と解する柔軟性がなければ、派遣隊員の士気にも影響を与える。

■ポジリストでは、自衛隊は能力を発揮できない

 今回の安保法案審議に於いて、ほとんど議論されることはなかったが、行動の制約をなるべく受けないように留意した答弁をしていたように感得した。従来の「○○はやってよい」という任務付与方式では自衛隊が十分に期待に応えられなかったという反省があったからに違いない。

 例えば、ホルムズ海峡の機雷除去を列挙したとすれば、それは典型的なポジリスト方式である。日本の輸送路が絶たれ、日本の存立危機事態が起きるのは、何もホルムズ海峡の機雷だけとは限らない。どこで、何が発生するかなど、あらかじめ分かったものではないからである。

 もちろんシミュレーションや演習などで、かなり現実に近い想定を立てることは、誰もが行ってきたことであろうが、現実にはそうした想定にない裏をかく、いわゆる「想定外」が故意にも偶然にも頻出することになる。

 現地指揮官が臨機応変に対応するとしても、指揮官には想定内のことしか許されていなければ任務達成はできないし、挙句、自分たちの存続さえ危殆に瀕することに成り兼ねない。

 こうした観点から、軍隊への命令付与は、日本を除くすべてが「xxはやってはいけない」というネガティブ方式で行われている。「xx」は人道に悖(もと)ることや国際条約・国際慣習法に反するようなことであり、指揮官は持てる力を存分に発揮することができる。

 これまでの「○○はやっていい」という形の任務付与方式では、問題があり過ぎたことを縷々説明した。雁字搦めの任務付与は派遣部隊の柔軟性を奪う。部隊の行動には「想定外」が付き物である。

 今次の安保法制は、例えば「自衛隊の任務」では、従来あった「直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛する」から「直接侵略及び間接侵略に対し」が削除され、直接・間接侵略以外の事象、例えばテロなどに対しても対処する柔軟性を持たせている。

 このように、「直接侵略及び間接侵略に対し」を削除しポジリストでないようにしたことから、自衛隊の任務は当然多様化するが、迅速に対処する態勢をとることができるようになる。

 この意味で、今次の安保法制はネガリスト方式への一里塚とも見ることができよう。

■おわりに

 戦後の日本には、統帥権の独立のようなものは一切ない。それにもかかわらず、自衛隊の独走を恐れるあまり、自衛隊が軍事的合理性を以って独自に決めれば いいことまで、シビリアン・コントロールの名で決め過ぎてきた。そうした典型が、携行する機関銃が1丁か2丁かなどであった。

 もっとすごいのは、国の安全を守り、国民の安心を担保しようとする自衛隊を憲法違反とさえ断じる憲法学者が多数いることである。

 戦前であれば、文句なしに若手将校たちが立ち上がり、「怪しからん連中だ」とか、「国を守る組織の名誉を踏みにじるのも甚だしい」などと称して、「総括」されかねないであろう。

 しかし、戦後の日本では心配無用である。シビリアン・コントロールが利き過ぎた民主主義国家である。「税金泥棒」などと悪態をつかれても、しっかりシビリアン・コントロールに従ってきた自衛隊である。

 このように根づいたシビリアン・コントロールがあたかも有効でないかのように、民主党は「自衛隊の暴走」を言い募った。野党議員たちが自らシビリアン・コントロールを信頼せず、蔑ろにする「狂気」の集団に化しつつあることではないだろうか。