安倍晋三首相の提案で、憲法9条に自衛隊明記をと言う事は、日本の主権の問題である。
これに就いては、護憲派の主張を見れば、話し合い、議論もいけないと硬直化している。
自衛隊明記が、軍事の問題ではなくて、主権の問題と考えるのは達観である。
憲法9条改正改正反対派は、軍事の増強と受け取るから、話が通じない。
ともすると、集団的自衛権の全付与と言う話になるから、心が濁っている。
日本国憲法が、国家主権を保持すべき条項を持たず、制限のみで、交戦権の否認を
戦う事の全否定と取る議論から逃れる術(すべ)が無かった。この誤認識上に議論を組み立てれば、
即ち、瓦解する。日本国憲法成立は、マッカーサーの意図とGHQとによって完成されたが、
成立時の正当性は常に、問われる。
初めて、日本国憲法が正当性を得る事に。異論がある筈が無いのである。
ケント・ギルバート 氏が日本国憲法9条は、違憲であると述べた意味が理解できる。
2018.4.25 10:40更新
【正論】
9条2項論議は主権問題である 東京大学名誉教授・小堀桂一郎
https://www.sankei.com/column/news/180425/clm1804250004-n1.html
東京大学の小堀桂一郎・名誉教授
平成9年4月28日に民間有志の提唱にかかる「主権回復記念日国民集会」の第一回が開催されてより、この集会は二十余年の歳月着実に開催を続け、本年はその第22回の集会を開く予定である。
≪記念日の国民集会を前に≫
此(こ)の間、25年には、同じ日付を以て「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が政府主催の形で挙行され、そこには天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぐといふ慶事があり、草莽(そうもう)の有志が催す集会と趣旨を同じくする式典が、政府自らの発案で実現したといふ事に民間有志の実行委員達は洵(まこと)に意を強くした次第であつた。
然(しか)しながら、政府主催の記念式典はその年一回限りでその後が続かず、民間人集会が当初から掲げてゐた〈4月28日を国民の祝日に〉との目標もまだ達成できぬままに、我が国は依然として独立主権国家の面目を平然と否定してゐる米国製憲法の監視下に置かれてゐるに等しい。
自民党は先ず改正目標の4項目をまとめ、30年の運動方針で「憲法改正案を示し、改正実現を目指す」と掲げる所までは来た。だが我が国が真に独立主権国家としての尊厳を回復したのか、それとも依然として被占領国日本の屈辱に甘んじ続けるのか、その判定の岐路である第9条2項の削除を含む改正には当面踏みきれない様である。
占領軍の手になる粗製濫造品に他ならぬ現憲法には様々の法理上の欠陥条項や表現上の誤謬(ごびゅう)が含まれたまま、破綻を指摘される毎にその場凌(しの)ぎの政府の言ひ繕ひで70年間使はれ続けて来た。その中でも最悪の不条理は9条2項後半の〈国の交戦権は、これを認めない〉との真向(まっこう)からの国家主権否認条項である。この文言は昭和27年4月の平和条約発効による主権回復と同時に、法理上の意味を失ひ、ただ憲法本文の中にその文字が残るだけの空文と化してゐる。
その空文が消去される事なく残つてゐるばかりに、この一節が我が国の安全保障、領土領海の防衛にとつてどれほどの法的な障害となつて来たか、又今後も禍となり続けるか、国政の担当者と防衛の現場の方々のみならず、世人一般がよく考へてみるべき事である。
≪交戦権否認条項の由来は≫
安倍晋三氏の率ゐる現政権の執行部は、目前に迫つて来た憲法改正の発議に当り、所謂(いわゆる)護憲勢力からの反動的抵抗を回避する方便の一として9条2項を存置したままで、之に付加へる新たな条文を以て自衛隊の保持とその権能を明記する案を用意してゐる様である。
憲法改正の実現可能性といふ観点から見るとこれは深く考へた上での着想と思はれる。又自衛隊の将官級の退職者諸氏の中にこの案を可とされる向が多いのは、これによつて自衛隊違憲論を克服する事はできるからであらうし、一方現場をあづかる専門家の立場から現政権の相次ぐ安全保障法制、緊急事態対処措置の充実努力で現法制のままでも国防は可能だとの観測が成立つてゐる故であらう。
国民投票で改憲案が否決された時の破局的事態を想像してみるとこの慎重な姿勢は理解できるし尊重もするが然し同調する事はできない。その理由を以下に書く。
憲法の交戦権否認条項は所謂マッカーサーメモの〈将来如何(いか)なる日本軍にもrights of belligerencyが与へられる事はない〉との文言に由来してゐる。このメモに基いて憲法素案を起草した当時のGHQ民政局次長ケイディス大佐はこの「交戦権」といふ学術語が何を意味するか知らなかつた。然し彼は軍人である以上、上官の命令は唯(ただ)聴くべきものであり、説明を求めたりする事はできない、との格率の下に行動してゐた。
≪国家の欠陥放置してよいか≫
その時ケイディスが考へた抜道は日本側との憲法素案の検討折衝の際、日本の側からこの交戦権否認条項の削除を要求してくれればよい、といふ事だつた。その際には直ちに要求に応じこの項を削除するだけの権限は彼に与へられてゐた。ところが彼の期待に反して日本側委員から削除要求は出なかつた。思ふに米国の職業軍人でさへその意味を知らなかつたといふ「交戦権」について、それを否認するといふ事態の重大さを理解してゐる学識者は当時の日本国政府の中にはゐなかつたのであらう。
以上に述べた事は故江藤淳氏の労作『占領史録』中の「憲法制定経過」に委曲を尽して記録されてゐる。政権担当者諸氏は今からでもよいから基処を調べ、この条項が如何に愚かな経緯で憲法に入つてしまつたかを知つて頂きたい。
戦後の我が国の国際法学界では「交戦権」の複雑な内包とそれの及ぶ外延については十分な研究がなされ、国家に自然に具はる権利にして且(か)つ国際法的遵守義務も有するこの法理を無視する事が、紛争当事者双方にどれほどの禍害をもたらすものであるかについての認識は進んでゐる。現政権は先づかかる重大な欠陥条項を放置しておいてよいのかと国民に問ふ様な啓蒙活動に努めるべきである。憲法改正の発議に先立つてこの努力を蔑(ないがし)ろにしてはならない。(東京大学名誉教授・小堀桂一郎 こぼり けいいちろう)