従軍慰安婦の強制連行など政府も軍もできるわけが無かった。他国を併合するくらい難しいことは無いのだ。もし、朝鮮の人達をあからさまに差別したり、侮蔑したりしたら反乱や暴動が起きてしまうのだ。帝国陸軍には、朝鮮人部隊があり、帝国陸軍に大きく貢献していたのだ。朝鮮人を侮蔑しようものなら、軍内部から反乱も起きかねなかったのである。
大正末期、帝国陸軍の跳ね上がりが、海軍との対抗意識から、朝鮮人が国内で日本の左翼と組んで暴動を起すと言う前提の地域的軍民一体の合同演習を行うように住民に働きかけた事件があった。これに対し朝鮮人三千人が大いに憤怒し、その跳ね上がり一派を槍玉に挙げた。当時は治安維持法があり、左翼などは反対したらしょっ引くことも出来た。跳ね上がり一派は追い詰められ、謝罪とともに、直ぐにこの合同演習の計画を取りやめざるを得なかったのである。
こんな中で政府や正規軍が朝鮮の婦人を強制連行などとても、出来るわけも無いし、それに近い事実があったとしても、日本軍属中の悪党が、私利を肥やすために借金で苦しむ朝鮮の婦人を女衒と結託して従軍慰安婦にすることに手を貸したことがあったかもしれない。
南京でも朝鮮部隊が、現地の中国人に酷いことをしたと言うものもいるが、確証の無いことである。
土木の下請けには、朝鮮人の下請けの親父が多かった。もう故人となった親父と南京事件の話をしたことがあった。城壁の上で歩哨に立っていると親父の戦友が狙撃された。ゲリラは民間に紛れ込んで撹乱するので見分けはつか無い。そのあと、南京市民との小競り合いがあったときに、夢中で銃を乱射したと言う。単なる市民の抗議活動かゲリラ活動だったなのかは見分けがつか無かったと言っていた。無論、上官の命令でもあった。自分の意志では無いが、人を殺したことは事実である。最初は自慢げに話していたが、話しているうちに今度南京に行ってみると言い出した。暫くすると癌で入院したと聞いた。見舞いに行けばよかった。私が転職した後に聞いたのだ。恐らく、南京にはいけなかったろう。本当は優しいところのある朝鮮の親父だった。
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