独占的な産業資本と独占的な銀行資本の「融合・癒着」により「金融資本」を形成。此の少数の金融資本による政治、社会全体の支配が「金融寡頭制」の名で表現される日本の「金融寡頭制」の支配は、「意見書」と政治献金により自民党政治を左右する日本経団連などの活動を見ると、独占段階にある産業資本、商業資本と銀行資本が、其々に独自性を持ち乍、其の集合体としての財界団体と成って居る「寡頭制」の内実を巡っては、二次大戦後の議会制民主主義の定着により、国家機構の一部に、支配階級の配慮によるものだけで無く、大資本と労働者・市民の対立を軸とした階級的な力関係が直接反映して居ると言えよう。
「金融寡頭制は、帝国主義段階の資本主義に於いて一つの特徴とされた支配体制を言い、少数の巨大資本が合併と買収の繰り返しで巨大化し、軈ては一国の政治、経済を支配する迄になることを言う。1920年代の米国は、チェースとモルガンの二つの集団が公共事業も巻き込んだ多くの金融機関を傘下に収め、当時の産業を支配していた金融寡頭制の時期であった。」
👆「帝国主義論」の現代的意義~現代の金融資本と金融寡頭制 ...から抜粋👇
現状、元凶は、「少数の巨大資本が企業の合併及び買収の繰り返しで巨大化し、軈ては一国の政治、経済を支配することに成る『金融寡頭』」にある。人間は、洗脳が流行迄に拡散すると闇雲に突っ走る。放置すると大恐慌が起こり得る。矛盾の蓄積が必然、現状の打破を要求するからである。政治腕力で頂点を極めんとして来た?菅氏では危険。 菅氏は、国家の本質、政治と倫理の関係、政治的権威と自由の関係等、政治の基本的原理に関する学識に対する理解に疎い(成り上がりでは決して無い田中角栄氏とは生き様及び経歴がまるで違う。菅氏は危険への速度を上げて終う。)。
国家独占資本主義とは、少数の巨大な独占資本(寡占状態)の巨大な寡占資本が、国家機関を従属させ、その支配体制を維持する為に政策を最大限利用する経済体制。此れは、雅に「◯◯寡頭制」とよく似た概念である。
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