小栗上野介の暗殺が物語る明治維新の史実創作が伺える。江戸開城は、慶応4年(1686年)3月から4月(旧暦)に掛けて、薩長主力軍と幕府の間で行われたとされるが、此れは燐寸区の作り話た。何の詮議も行われることなく、幕政から離れていた小栗上野介忠順は慶応4年(1868年)閏4月5日に家臣とともに烏川の河原で急いで斬首された。大隈重信は後に「小栗は謀殺される運命にあった。何故なら明治政府の近代化は、そっくり小栗のそれを模倣したものだから」と語っている。維新?前の系譜不明の勝海舟の輝かしい逸話は総て小栗に成り済ました虚構であると我は踏んでる。
「徳川慶喜は、「公武合体」での江戸幕府に依る開国近代化を進めることを考えて居た。薩長主力の似非維新成り上がり供は、慶喜の新しい江戸幕府政治に賛同する振りをして、江戸を開場させて政治を乗っ取り幕末明治に亘る歴史を改竄した。西郷隆盛は実在の人物で無く、史実改竄をする為に必要だった下賤の輩が後に拵えたものだったと我は観て居る。
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