人の悲喜交交も個体?に依って感じ方が違う。其の感じ方には「個体別」の様々な人間性の違い方が影響を及ぼす。同じく、或る人物を見る眼も個体に依って交々である。万人が認めざるを得ない真実がある筈だが、此れについても人交々である。
従って、「人の行動の是非を評価する」には、真実を探しても意味が無く、「事実」、敢えて交々が入ら無い「現実」に眼を向けなければ成らない。
安田純平は、先ず、家族を養う義務?がある。此れは紛れ無い現実である。個人的に此の「身近な」義務を果たすには、彼は命を粗末に扱う行動は避けねばならない。然し、形は違うが、彼は何回も同じ眼に遭って居るのに此の最低限の義務を無視した行動をして居たのは「現実」である。強い信念を持って居ても、行動に移せ無い人が居るのもこうした義務を無視出来無いからである。
彼は、独立したジャーナリストとして己の行動で得た情報をマス塵などに売って生計を立てヽいる。家族の為に、より多くの収入を得たいと考えて居れば出来るだけセンセーショナルな情報を得たいと考える。
以上のことも所詮他人の「憶測」である。多くの人の役に立とうが立つまいが、其のことだけでは、余所様が其の人間の評価は出来無いのであり、今聴こえる様々な評価は夫々の「思い込み」が反映されたものと言わざるを得ない。
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