【古典派雇用論②】(独学併用)の続き
失業の要因が「経済が産出高を購入するのに十分な所得を創出し無いということ」では説明出来無いことを前回説明した。
人々は、自分達の所得を総てを使い果たさ無い⇨所得が産出高の総てを購入するのに充分であっても、総ての所得を使い果たさ無い。
物々交換経済では、貯蓄は「財自体」の形で保持することによって為される。
更に、此の様な経済に於いては、「所得」を使われ無い為、非自発的失業や非摩擦的失業は生じ無い☜全生産要素に対する支払いは、財やサービスの形で行われる。
然し、摩擦的失業については物々交換経済の社会に於いても起きる👇
ex. 物産物甲と乙で、甲の需要が大きく伸び、乙の需要が減った場合
甲は増産され、乙は減産⇨甲は多くの労働者が必要で人手不足、乙は失業者が増える⇨甲と乙の労働力の需給の均衡が成される迄、一時的に摩擦的失業が発生する。
「貯蓄は失業の原因である」☜貨幣経済の存在不可欠論で、財やサービスを購入するのに貨幣が使用される経済を想定しての論説。
貨幣を使用する経済では、「貯蓄は失業の原因である」は成り立つか?
人々は不測の事態や老齢化に備えて等々様々な動機で貯蓄をする。
「消費≠産出高☜失業を発生させる理由と成るのか?」
古典派経済学者達は物々交換経済で成り立つことは貨幣経済に於いても成り立つとして、常に必ず其れを否定した☜彼等は、「物々交換経済で成り立つことは貨幣恵座に於いても成り立つ」ものと考えて居た。
何故、古典派経済学者達は☝の様に考えたか?
一つは、利子の存在であり、もう一つは手持ちの余剰金の活用である。
「貨幣を完全に埋蔵して終うことは経済原理に適わ無い。」☜其処で、「金を投資に運用する手立てや、他人に貸して利子を得ることを総ての人が考える筈だ」とするのが、古典派経済学者達の貨幣経済社会の合理的な原理としたのだ⇨「貯蓄者は彼等の貯蓄を必ず流通界に戻すであろう」としたのだ。
然し、古典派の☝の様な決め付けは、総ての人が護る訳では無く、前述した様に、人々は様々な思いで「貨幣の形の儘」で貯蓄する。
箪笥預金の外、預金銀行への預け入れも、人々が預けた金が総て誰かの投資の為に貸し出される訳では無く、況してや預金銀行は「準備金」を義務付けられて居る。
或る銀行が預金者から1000億円預かっていても、其の内貸し出せる金は其の預貯金1000億円の総てでは無く、預貯金の一定割合を「準備金」として銀行に保有して置かねば成らない。其の一定の割合を準備率と言い、準備率に基づいて銀行の手持ちに残して置くべき金を「準備金」という。
預り金 1000億円
準備率 10%
とすると、準備金は100億円であるから、銀行が貸し出せる金は900億円迄と成る。
次は、株式や債券市場に使われる金を考えて見る。
企業は株式や債券を売却して、手に入れた金を総て投資等で市場に流通させる訳で無い☜企業は事業拡大につれて、常に債務返済を確実に行う為に手元に留めて置く現金が増々必要と成る☞企業の拡大につれて、より多くの現金を保有する⇨企業が成長する為に新しく発行する証券を増やしたとしても、大抵の場合、其の一部のみが使われる⇨莫大な金を使うとしても幾らかの金は遊休化する。
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従って、以上諸々の要因で貯蓄された金が必ずしも総て使われて終うことには成ら無い。
社会に1兆円の金が在る⇨其の内、12%が貯蓄される⇨此の12%の内2%が箪笥預金として遊休化する⇨残りの10%を銀行に預金し、株式や債券を買う☜此の後の1兆円×0.1=1000億円の金の幾らかも一時的にせよ遊休化することこ成るのは、上述の通りである。
借り入り様とする人々 < 貸し出そうとする人々⇨供給が需要を上回り「利子率」は低下⇨依然高過ぎて手を出せ無かった資本財を購入する為の借り入れを促進する⇨利子率が更に低下⇨尤、投資する。
利子率が下がり続ける⇨幾人かの貯蓄者は、其の貯蓄の全部或いは一部を貨幣で手元に保持し様と決める⇨利子率の低下の進行が手持ちの金を多くしたいとの欲求を増す⇨此の様なことが起こると、古典派経済学者の信じて居たこととは異なり、「貯蓄されたものが総て使われる」と言う「神話」?が崩れる⇨「貯蓄」は問題と成る。
つづく
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