明治政府は急進的西欧化に依って日本を覇道に向かわしたが、西郷隆盛は急進的西欧化を日本国の危機と感じて、覇権主義の西欧に習わず「日本独自の精神文化」を壊さず、腰を据えて西欧の覇道に対抗出来る日本再建を志して居た。もし、巷間言われて居る様に「西南戦争」が武士階級の不満だけで起こされたものであったのであれば、何故、西郷軍側に明治政府で其れ哉の地位を得ていた元武士達迄が賊軍の汚名に甘んじる「反乱」?に参加したか甚だ疑問と成る。
👇は西郷隆盛の私学校の史跡の写真
史学者で西郷は兵学と農業を教えた。欧米列強の支配体制に対抗しつヽ、日本の精神文化を作って来た農業で先ずは総ての国民が腹を満たすことに重点を置き、遅くとも熟考り腰を据えて日本の良きものを残しつヽ悪しきものを排除して行く西郷隆盛の姿勢が、此の私学校に見える。
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