米国の白人至上主義と我の排外主義の思想的根拠は同じであろう。其れは人間の本質的行動原理を見据えて同一の民族や人種で社会を構成すべきと言う原理主義である。 然し、思想は同じであっても排除の論拠がまるで違う。日本は異民族を強制的に連れてきた訳では無いのだ。
group consciousness⇒同一の価値観を持つ人々が集って一つの集団が形成された場合に,個人間の相互作用の結果,個人の単なる集合を超えた特有の行動様式,態度,考え方が構成される。際たるものとして、民族主義は,その民族固有の価値観よって支配される。
他民族との接触・交流或いは対立のなかで,人種的表徴・言語・文化・生活習慣の相違から素朴に感知される自民族への帰属感を基礎として形成される社会意識であり他民族を超絶する共同体として,自民族を意識するところに成立す。
李信恵の大いなる罪は民族的迫害を自己の権利主張に置き換えているところだ。人権侵害を非として違法とする法律は刑事民事の法にある。李信恵は其れを民族問題とするから、殊更、問題を肥大化して朝鮮民族の台頭に対する恐怖と警戒感を日本民族主義者に膨らまさせてしまうのだ。
一々個別の分野を揚げ無いが、現実、日本社会のあらゆる分野で朝鮮族の支配は及んでる。長者番付の上位者の殆どは朝鮮族で占められ、ネットでも経済的優位性を誇り日本民族の貧困を馬鹿にする記述が溢れる。更に、終戦記念の行事に行かず民潭の祭典に国会議員の多数が参加する。
李信恵の遣っていることはある意味日本国内の朝鮮族の強い望みを具現しているものである。ある民族が異郷の地で力を増せば、必然、其の異郷の社会を自民族に都合の良い住み易い社会に変えようとの欲求が生じる。更に力を増せば其れに留まらず、其の社会全体への支配欲が生じる。
雅に、李信恵の遣っていることは、此の国を悠久の年月を掛けて先人達が築き上げて来た先住民族からすれば、擋容認出来るものでは無いのだ。
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