森ビルの創設者泰吉郎は、第二次世界大戦が終わると、1946年(昭和21年)には新円切替にともなう預金封鎖の直前に引き出した資金をレーヨンに投資し、これが高騰して得られた売却益などで積極的に虎ノ門周辺の土地を買い進めた。その後、1946年に横浜市立経済専門学校教授に転じ、1949年に改組にともない横浜市立大学教授となる。1954年(昭和29年)からは同大の商学部長となった。
処が、レーヨンは疎か、日本の繊維業界は、終戦直後苦境に立たされ、昭和23年(1946年)には大暴落して居た。日本の繊維業界が息を吹き返すのは、昭和25年(1950年6月25日)に金日成率いる北朝鮮が中華人民共和国の毛沢東とソビエト連邦のヨシフ・スターリンの同意と支援を受けて、事実上の国境線と化していた38度線を越えて韓国に侵略を仕掛けたことによって勃発した朝鮮戦争の特需景気からである。
一つの大きな嘘は、多くの嘘で成り立つものだ。
" 森 泰吉郎 " の奇跡的な?大成功の根源に嘘が在るならば、此の男の出自や経歴に大いに疑いを持つ。終戦直後から日本で後に大成功する力を持てたのは並みの日本人では無い。如何も、森一族と孫正義一家とダブって観えるのは、単に我の邪推であろうか?
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