8月14日 もう十二時近いころであろう。天地は森閑としている。 この数日、夜、警報が鳴らない。この二,三日は、昼でさえ全国的には敵機の来襲がいささか衰えたようである。それが却ってぶきみ千万である。日本がソ連に宣戦しないことを思い合わせて、実にえたいの知れない不安が這い上がってくる。 寝ようと務めた。しかし、寝られない。胸が波を打って、眼が冴えて、頭は嵐のような空想を果しもなく描いていく。
(「戦中派不戦日記」 山田風太郎さん)
今日は「終戦記念日」。しかしいまや、戦前もしくは戦争前夜なのか、と勘違いをしそうなくらい、空気は暑く感じる。また、第三次世界大戦は始まっているとすれば、戦中とも表現できる。
国の戦争に反対し、徴兵に反対すれば、反逆者として処刑(処罰)される。それでも戦争に反対するか。条件付で戦争に参加するか。いやいやながらも戦争に参加するか。
いかなる名においても戦争は反対だ。しかしどこまで信念あるのか、大いなる疑問でもある。