戦後、朝鮮戦争、中国革命を経て世界は冷戦時代に突入、日本と安保条約を結んで日本全国に無期限に設置使用可能な軍事基地を手に入れたアメリカは、日本に政治的緊張を維持し、戦前の保守政治の復活を防ぎながら民主化を進めるという微妙なバランスを取るために、多数の保守勢力と過半数には届かない程度の野党勢力としての社会主義政党を容認した。ソ連はその社会党と共産党を支持し、55年体制は冷戦構造の米ソ対立にいわば担保された形でバランスをとっていた。サンフランシスコ講和条約締結を経て、社会党の左右陣営は合同し、その勢力に対応するため、吉田政権の自由党と当時の民主党が合併、これが当初の55年体制となる。さらにアメリカとしては、社会党の左翼勢力が強くなりすぎるのを防ぐために社会党右派を民社党として独立するのを支援した。これは東側勢力が朝鮮半島の北側で食い止められ、韓国というクッションを設けられたという地理的な影響が働いたという。つまり、朝鮮戦争で共産勢力が半島全部を占領したとしていたならば、GHQや連合国は日本での左翼活動や大学でのマルクス主義研究などを自由にさせたかどうかは疑問だったという指摘である。55年体制はイデオロギー対立でもあったので、政策論争で鋭く対立しても、イデオロギー批判を十分させておいて、落としどころを探ることも可能だったと。しかしアメリカの圧力下で制定された憲法改正には手が出せないという、「護憲で安保推進」が東西冷戦構造の代理戦争という形でうまくそして微妙にバランスしていたということ。自民党も社会党も傀儡(かいらい)とまでは言わなくても緩い形での東西陣営の傀儡(くぐつ)であったというのである。
その時の保守合同の立役者は岸信介、保守と革新の二大政党政治を目指していた。そして保守陣営は日本の復興と経済発展、国民生活向上のために、経済発展政策と同時に60年代には福祉国家的な富の再配分政策も実施、社会主義的な配慮までもしていた。一方の社会党は経済成長を体験する国民をしり目に、日米安保反対、アメリカの帝国主義批判を繰り返した。国民側としては豊かさを実感するにつれてこれ以上の社会主義革命など必要ないと考え、キューバ危機以降は第二次大戦以上の第三次大戦の危機も遠のく中で、左翼陣営の唱える政策に現実感を感じなくなっていく。60年代の社会党の中にも現実への展開を唱えた人物がいた、江田三郎である。62年には「アメリカの生活水準」「ソ連の生活保障」「イギリスの議会制民主主義」「日本国憲法の平和主義」の4つを江田ビジョンとして掲げたが社会党内部抗争で社会党の党是にはできなかった。冷戦構造の代理戦争という意識から自民党の資本主義に対抗できる軸はマルクス主義に基づく社会主義であることを変えられなかったともいえる。
1990年にはその冷戦構造が崩壊、55年体制にも変化が表れるはずだった。そのとき、保守陣営を従来型の自由主義と新自由主義に分けた保守二大政党制を唱えたのが小沢一郎だった。93年の細川内閣の誕生で自民党は政権を失い、小沢一郎は二大政党を実現するため小選挙区制の導入を提唱した。しかし基本的に小沢と政策の異なる社会党は政権から離脱、なんと自民党を組んで村山政権を樹立してしまう。「究極の野合」とはこのときの政権であった。安保、自衛隊、憲法すべての路線に関して戦後50年戦ってきた二つの政党が政権を組み、社会党は自民党の政策である、安保を推進、自衛隊を容認する。小選挙区制が導入されているので、アンチ自民党の受け皿だったはずの社会党の変節を見た有権者は、当時新党ブームに乗ってできた新しい勢力に乗り換え、社会党はわずか15議席に激減、その後は現在まで党勢の回復はできていない。そして、55年体制では社会福祉的政策も受容してきたはずの自民党は新自由主義的な政策をとり始め、小泉政権以降ははっきりと政策転向をしてきた。その間、野党勢力は紆余曲折を経ながら民主党、そしていまの民進党となる。しかし自民党が新自由主義的政策に転向してきた現在、対立軸が見えにくい。そして2003年の選挙からは「国民の生活を第一に」というスローガンで社会民主主義的な政策を掲げ、2009年には政権を奪取した。これがポスト55年体制の落ち着きどころのはずだった。実際には菅直人、野田佳彦と続く政権は新自由主義を何ら変わらない政策をとり、自民党との違いがなくなり、官僚との軋轢もあって政権を失ってしまう。対立軸がなくなれば支持を失う、これをもっと理解すべきであった、というのが筆者の主張である。
2011年に発刊された孫崎亨の「戦後史の正体」では、戦後の政権を「対米追随」と「自主派」に分類、対米追随派として、吉田茂、池田勇人、三木武夫、中曽根康弘、小泉純一郎をあげ、自主派には重光葵、芦田均、鳩山一郎、石橋湛山、岸信介、佐藤栄作、田中角栄、福田糾夫、細川護熙、鳩山由紀夫などをあげている。自主派とはいっても対米従属を通じた対米自立志向ていどであり、自主憲法制定とは言いながら憲法改正には至らず、安保は堅持、アメリカの基地は現状維持という政策である。いずれの政権も60年代までは対米関係の確立、60年代以降冷戦崩壊までの対米関係安定の時代を経て、その後は日米関係維持そのものが自己目的化し、経済だけではなく政治体制まで失われた20年になってしまっている、というのが筆者の主張。対米従属の典型例が現在問題になっている日米地位協定。日本の憲法を頂点とした法制度のさらにその上に、アメリカと約束していること、という二重の法制度があるという指摘である。憲法に違反するような条約締結はできないはずが、自衛隊の設置以降、日本人の基本的人権を裏切るように、米軍機は高度何メートルで飛んでもかまわないと日米地位協定で約束され、米国軍属が日本国内で犯した法律違反でも米国軍のための行動であれば日本の司法では裁けない。集団的自衛権の行使容認と新安保法制は、憲法に抵触するが、日米同盟維持のためには必要である。つまり改憲か護憲か、という論争はピント外れであり、アメリカとの現在の関係を継続するのかどうか、という判断こそが根源的問題であることを筆者は指摘する。
日米安保条約に関して、日本国民の間、そして政治家にさえ希望的幻想があるという。それは日本が外国から侵略されるときにはアメリカ軍が出動する、これが安保条約だというもの。NATOにおける出動義務はに比べて日米安保条約の義務は、アメリカ議会に諮られ決まる。つまりその出動がアメリカの国益になるかどうかの判断が必ずなされるということ。ドナルドトランプの主張はこうした現状をさらに明確化しようというものである。そもそも安保条約はアメリカがサンフランシスコ講和条約締結の際に、日本に残留するための手段であった。じつはそれを望んだのは日本側の共産主義への恐怖、特に昭和天皇の意思があった、これが豊下氏著「安保条約の成立」による研究結果であるという。安保条約の意味は冷戦構造崩壊以前であれば、対共産圏共同防衛であったのが、アメリカが世界の警察ではないという宣言以降は、国際秩序の維持、という目的も薄らいできている。直近になると、対中国、北朝鮮、という意味合いがクローズアップされているが、アメリカにとってはもっとグローバル、シリアや中東などへのアメリカ軍出動への後方支援や東南アジア全体での秩序維持などが考えられる。麻生太郎が「ナチスの手法をまねるべき」と言ったのが数年前、ナチスのゲーリングの格言は「国民を戦争に引きずり込むのは簡単だ、外国に攻撃されるぞ、と言えばいい」というのが思い起こされる。アメリカと日本との共通の敵が冷戦構造崩壊で見えなくなった今、対中脅威論に依存するのは国民への説明としては、その意図は明確である。しかし、中国はアメリカにとって最大の貿易相手国であり、共通の脅威であるというのはある意味で一方的思い込みである可能性が高い。アメリカが日本のこうした思い込みに乗ってくれるか、それは政権をだれがとるのか、中国とロシアはどう動くのか、ウクライナ情勢・中東情勢はどうなるかなどの複雑系的要素が絡み合う。
こうした状況下での日本の状況はどうなっているか、そして世界の趨勢はどうかを考える必要がある。共通するのはナショナリズム勢力の勃興、そしてそうした勢力が実際に権力を手にし始めている現実がある。欧州での各種選挙での右翼勢力の増大、日本の安倍政権の向かう方向、アメリカ大統領選、いずれをみても、民主化勢力がどちらかと言えばインテリ左翼と類型化できるならば、右翼勢力は労働者階級の不満を掬い取り、保守の中でもナショナリスト的主張を大同団結するようなスローガンを唱えることで、従来の伝統的保守勢力には統合できなかった層までも食い込んできているという現実である。冷戦構造時代には、寅さんが「おめえ、さしずめインテリだな?」と言えば、理屈をこねている理論家を馬鹿にしながらも、物語全体としては寅さんではうまくいかない、という全体感が共感を受けていたのに対し、冷戦構造崩壊の今になってみると、寅さんの説得力が増していると感じるのは私だけだろうか。
筆者としては、TPP合意は日本の皆保険市場をグローバル資本に売り渡すに等しく、選挙を棄権することは現在の政治状況への不満がないという意思表示になり、官僚の使い方がうまいかどうかなどで現在の政権与党を選ぶなど論外で、政治家の技量の多少の巧拙を選択しているのではなく、戦後の大きな意味での日米安全保障体制とサンフランシスコ講和条約と二大政党政治への審判だと考える必要があるというのである。現在沖縄で起こっている、基地撤去論は、自民か民進か、などという選択ではなく、もっと根源的な選択を日本全体が迫られていることの象徴であると筆者はとらえている。
筆者は、本当の意味での戦後レジーム脱却のためには、政治革命、社会革命、精神革命が必要だと主張、今回の参議院選挙で考えるとしたら、立憲政治か安倍政治かの選択が、一つの判断基準となるという、これが政治革命につながる可能性がある。社会革命とは、基本的人権尊重、国民主権、男女平等などの基本的原理を再確認すること、そしてそれに沿った政策を選択し続けることである。精神革命とは99%の第三者で居続けるのか、それとも自分自身が行動者になれるかの変革であると。こうした現状を、変革は無理、難しいと逃げずに自分の行動変革で打ち破れなければ、戦後レジームからの脱却などできるはずがない、という主張である。
これは考えさせられる。ある意味では、日米安保条約の根本的見直しを含めた、そしてその先には健全なる憲法改正をもにらんだ提案であるからだ。国民が納得できるビジョンを現在の政党が示せるのかは疑問だが、単なる安保論議や憲法論議に一点集中していては打破できないということ。舛添知事の薄汚い疑惑解明は重要ではあるが、そのことに使っている時間などよりももっと重要なことがあるはず。舛添疑惑のワイドショーを見て騒いでいる視聴者を、陰で「もっと騒いでくれればいい」とほくそえみながら見ている人たちがいるのではないかと感じざるを得ない。
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