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意思による楽観のための読書日記

カラー版 敗者の日本史 消えた名家・名門の運命 ***

日本史には古代から近代まで数多くの氏族や武家が登場するが、華々しい活躍の場面のあとには必ずと言っていいほど没落の運命が待っている。しかし没落したからこそ、その行く末が明らかでない場合や、それを知ったからと言ってためになるほどの情報ではないケースも多い。本書が良いのは、写真と系統図、地図などのビジュアル情報でそれを補っていること。特に、写真や地図は、次にその付近に行ったときには顔を出してみようか、という自分の関心の置き土産を残せること。

古代ヤマト王権を支えた豪族たちの勢力分布は、現在の地図に当てはめてみると、その位置関係や広がりが一目稜線。


大伴氏では、継体朝で登場する大伴金村は、武烈の次の大王を越の国から応神の5代孫とされた男大迹王を迎えて継体王とした。その後、百済への4県割譲で失脚するが、子孫とされる旅人、家持は万葉集編纂に関わったとされる。そして古代の最大かつ有力豪族である蘇我氏。実在が日本書紀で確認できるのは武烈即位前紀に大連として記された蘇我麁鹿火(あらかい)。筑紫の国で国造磐井が反乱を起こした際には大将軍に任命されて乱を鎮圧。その次に登場するのが尾輿で、大伴金村が朝鮮半島の4県を百済に割譲したことを非難し失脚させた。蘇我稲目とは崇仏論争で対立、次の守屋の時代に穴穂部間人皇女を擁立し、額田部皇女を擁する蘇我馬子と対立の結果、逆に殺害された。このあたりの人間模様は複雑だが、系統図に図解され理解しやすく記憶にも残りやすい。


本書では、古代からは大伴、蘇我、物部、葛城、和珥、平群の各氏。中世では、平氏、奥州藤原氏、新田、大内、足利、織田、武田、豊臣、後北条、長宗我部の各氏。皇族や宮家では、聖徳太子の後継者であった上宮王家、長屋王家、菅原道真の菅原家、桂離宮にその名を遺す八条宮家、300年続いた有栖川宮家。戦国時代に滅亡したとされるのは、女系の子孫が遺領を継いだ穴山家、旧領の信濃に復帰した諏訪、水戸藩士として存続した村上、流浪の後に豊前小倉に残った小笠原、幕府高家として存続した畠山、信長と一向一揆に滅ぼされた朝倉、東海の太守から高家として存続した今川、守護家としては滅亡したが血脈は維持した土岐、末娘が血筋を残す明智、利三の遺児が春日局として名を残した斎藤、娘たちが活躍した浅井、久秀の子孫は学者となった松永、加賀藩士となった荒木、長州藩士となり血脈を残した尼子の各氏。

秀吉時代では、角館領主となる葦名、結城秀康に仕え越前に残った江戸、最後は結城氏に仕えた小田、鷹司家に名を残す佐々、養子勝政に流れは残る柴田、盛政の死後は娘が血筋を残した佐久間、江戸系は徳川家康に従い大名になる太田、鍋島家に取って代わられた竜造寺、一時は断絶したが別家が高家となる大友の各家。家康時代では、信繁の血脈は片倉家として残る真田、改易されたが傍流は幕臣となる前田、三成の血筋は津軽家に残る石田、関ケ原と大阪城の陣で滅びた大谷、家康に仕えて血筋を残した片桐、八丈島に配流され血筋は残した宇喜多、関ケ原で寝返った小早川、関ケ原でやっぶれて断絶した小西、キリシタン弾圧で名を残した有馬の各家。本書内容は以上。

写真と図解はとにかく分かりやすい。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

コメント一覧

dankainogenki
家系は、続いたり断絶したりします。   
新たに生まれる家系もありますよ。
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