意思による楽観のための読書日記

梅原猛の授業 道徳  梅原猛 ****

戦後の教育に道徳がなくなり多くの問題が発生しているのではないかと、洛南高校の仏教の授業に続いて行った半年間の道徳の授業録。

今の時代にも残る道徳心は江戸時代の教育の名残であり、このままでは廃れてしまうという危機感がある。決して日の丸・君が代の教育を復活させろというのではない。仁義礼智信という五徳の教え、この意味と実践を子供たちに伝えたい、という気持ちである。天皇が神だ、というのは現人神である、という解釈と、本当に神様なのだ、という話では大きな違いがある。国のために最後は死ぬ覚悟で奉公しなさい、というのが教育勅語であった。こうした教えをするための道徳教育であってはいけない。

そもそも、道徳は動物の親子の愛情に宿っている。自利利他の心は母が子供を思う心がもっとも原始的な形であるという。仏教もキリスト教も自利利他の精神であることには変わらないが、仏教が人間も自然の一部であり、自然の一部である動物たちはできれば殺さない、不要な殺生はしない、というのが教えである。キリスト教は人間とその他の自然と位置づけて、人間は自然が与える環境や困難を克服しなければならないとしている。

エマニュエル・カントは「永久平和論」で、国民一人一人がしっかりとした自由と人格を確立し、そうした人々が国を形成する共和制をとらねばならない、としている。国民は選挙で代表を選び政治を行う、こうした共和制で初めて立派な人格者が政治を行う仕組みができる。さらに、そうしてできた国同士が協力できる連合体を形成することが必要になる。こうした国同士の意思統一をする機関がもてることで初めて永久平和が実現できる、という論である。個人が持つ道徳観を代表者に集中させて、その代表者が政治的決定を行うことで国としての道徳の実践を行うということであろう。これが本当に実現できれば戦争は起きないのであろう。

人間はこうした道徳の実践が本当にできるのであろうか。日本は江戸末期に開国を列強諸国に迫られてやむなく開国、明治維新後、富国強兵と殖産興業で経済発展を目指し、日清日露戦争と第一次世界大戦で領土を得た。しかし、日本も列強諸国からの圧力を受けての選択であったとはいえ、植民地拡大政策は植民地となった人々から搾取し、略奪する非道徳政治であったのではないか。戦後の経済成長もバブル崩壊から15年を経たいまはリーマンショックで萎んでしまった。強欲資本主義の限界を示しているのではないか、これも道徳心の欠如からきているのかもしれない。道徳心を持った代表が政治や企業経営をしているのか、エマニュエル・カントが唱える永久平和論は単なる理想論なのであろうか。第三の開国を迎えるといわれる今、第一、第二の開国で失敗した反省を生かすべき時ではないだろうか。
梅原猛の授業 道徳 (朝日文庫 う 10-3)

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