意思による楽観のための読書日記

東京を江戸の古地図で歩く本 ***

知っている話も多いが初めて知る話も多い。東京の街を散策するときに、プラスアルファの知識は散歩の楽しみを増やすに違いない。

江戸の地図は西が上になることが多いのは、最もその方向から見るのが見栄えが良さそうだったから。江戸城が上になり、街の広がりが描きやすかったと。ちなみに、大坂、奈良は東が上、京都は北が上、横浜、岡崎は南が上だった。鎌倉は北東が上で、駿府は北西が上、長崎は西北西が上だった、すべて見栄えの良さであり、重要な城や寺が上になるようにデザインされたという。

江戸の町は八百八町あったのか。1658年に一つの町に一軒しか認められない髪結いが808軒あったことから出た話であり、1800年代には1700町に増えていた。

遊郭は吉原と思うが、岡場所と呼ばれた非公認の遊郭はそこかしこにあった。品川はその中でも最大で、東海道53次の最初の宿、というより日本橋からわずか二里であり、旅人が泊まる場所ではなく、送り迎えする人たちがゆっくり休む場所であった。そこに飯盛り女が500人もいたという。

浅草海苔は浅草でとれていたのか、佃煮発祥の地は家康ゆかりの島だった、江戸川の特産品だったのが小松菜、美味しいソバで有名になった深大寺、青梅街道は石灰を運ぶために開かれた道、隅田川の桜堤は吉宗が作った、江戸の町に三階建の家がなかったのは幕府が禁止したから、東はない西新井大師、おいはぎ道玄がいた道玄坂、高島秋帆が砲術訓練をした高島平、三軒の茶屋が本当にあった三軒茶屋、京都に近いのに下総、遠いのに上総、道は陸だけではなかった、などなど。

出張のお供には最適。



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