意思による楽観のための読書日記

異端の大義(上・下) 楡周平 ****

山崎豊子の「沈まぬ太陽」、真山仁の「ハゲタカ」、幸田真音の「代行返上」などを彷彿させる小説。解説ではモデルは三洋電機と書かれているのだが、現在のシャープ、近未来のパナソニックだと思えてならない。

舞台は総合家電メーカーの東洋電器、業績は90年台のバブル崩壊で下降気味、そこにアメリカの半導体子会社の閉鎖をやり終えた高見龍平が帰国してくる。高見は総合商社に勤めていた父の勤務地である米国で教育を受けるが、日本の大学を出て東洋電器に入社するが直ぐに海外留学でシカゴ大学のMBAを取得、本社ではR&D部門のエリートとして社歴を重ねている。同期入社の湯下は同族経営の経営者閥にあり、企画、人事畑で出世を重ねていた。湯下は結婚しており子供もいたが、若い女子社員を囲い家庭との二重生活を送っていた。そのことが社内でも話題になり、高見は同期である湯下に警告を発する。しかし逆恨みした湯下は業績不振で閉鎖を余儀なくされていた岩手工場の閉鎖を高見に命ずる。

東北地方の工場には農家では収入が充分でない働き手が集まっていて、東京での賃金の6割程度で働いている。それでも雇用があれば幸いであった。東洋電器としては、自治体との約束はあったが10年以上稼働させることという最低の義務は果たしていたため、工場閉鎖を通知、組合は様々な交渉をするが結局会社の条件を飲まされる。その交渉にあたったのが高見であり、高見はここで日本の地方における農家の苦しみと雇用の厳しさを痛感する。交渉の過程で高見は労働者の立場にたって本社側と退職条件の検討をするが、本社側の湯下は面白くない。岩手工場の閉鎖を果たして東京に帰ってきた高見に湯下は販売会社の営業部長として出向を命ずる。経験したことのない営業職に苦しむ高見は、アメリカ時代に知り合った電機メーカーカイザー社のノーマンに相談、高見はカイザー中国のマーケティング担当として転職することになる。

カイザー社のモデルはフィリップス、日本では電気シェーバーなど限定された市場開発しかできていないため、日本市場への足がかりを得たかった。中国市場はもう一つの開拓市場ではあったが、高見を得たカイザー社は日本市場進出のきっかけを東洋電器買収、という手段で果たそうとする。資金繰りに窮していた東洋電器はメインバンクである明治銀行に相談するが、傾きすぎていた東洋電器に追加融資はできない、と断る。そこでアメリカの出資ファンドと手を組んだカイザー社が東洋電器の株式の半分以上を取得、高見は常務取締役として東洋電器に乗り込むことになる。現経営陣は退任、もちろん湯下も退任、その代わりに人事を担当するのが高見である。

読んでいて身につまされる。この小説は10年ほど前にサンデー毎日に連載されていたというが、現在の日本の状況に合致しすぎていて恐ろしいほどである。地方工場の閉鎖、希望退職募集、台湾メーカーによる出資、地方雇用問題、若者の失業問題、そして、企業がコスト削減策として打ち出している原価部分の海外調達が、短期的には企業の事業構造を効率化するかに見えて、長期的には日本市場の弱体化を招き、日本企業の競争力低下を招いていると指摘している。そして中国の急成長もバブルであると看破、先行き不透明な中国市場の明るくはない行き先を暗示している。また、派遣労働者採用による企業のコスト削減は、これも短期的には企業の競争力を向上させるに見えるが、長期的には日本の社会保険制度破綻を予見させる。つまり非正規労働者は社会保険の負担者にはならないため受給者のみを増やす結果になり、日本経済のためにはならない、という指摘である。

本書のタイトルの「大義」、企業にとっての大義は企業競争力強化、そのためには人員削減もやむを得ない、ということであり、日本にとっては、日本企業競争力強化のためには派遣労働者採用や工場の東南アジアへの進出である。しかし、それは本当に「大義」なのか、という問であり、現在の日本と日本企業が抱える重大な問題を指摘していると考えられる。

今の日本にとっての「大義」を考えて実践できるのは一体誰なのであろうか。





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