筆者は元日本テレビ報道局勤務で外国部記者を経てNNN中国総局に勤務後、2010年に日本テレビを退社して、中国の現状を日本の読者になんとしても届けたいと本書を執筆、2020年3月に発刊した。中国は、習近平登場以来、一党独裁、人民思想支配が一層強化されたことを実例をもって示している。中国国民自身は、経済的発展が自分の身の回りで好転している限り、政府の行き過ぎた思想干渉にも知らんぷりを決め込んでいるように思えるが、自らが経済的損失を被ったり、身内が拘束されたりして初めて危機感を持つことがほとんど。
習近平が就任して最初に取り組んだのが、国威発揚、経済発展のアピールと腐敗撲滅であった。2021年11月初旬にもあったばかりだが、中国高官による汚職や女性問題は頻繁に起きており、庶民からは当然批判的に受け止められる。あまりにも目に余るケースや、隠しようがない場合にはそれらを象徴的な取締を行い、一罰百戒とすることもあるが、多くの地方官僚は、逆に告発者を検挙したり、追放したりすることがほとんど。習近平が最も恐れているのは、こうした庶民の怒りが組織化されて、大規模な運動に発展してしまうこと。「法輪功」が弾圧されたのは、小さな芽のうちに共産党への反発を摘み取りたいがためだった。
地震による被害が建物や大きな構造物倒壊で予想外に大きいケースが報道されることがあるが、その多くは工事の手抜きが原因。公式には発表されないこうしたケースで、公共建造物倒壊などで肉親を失った遺族は訴える先がない。冤罪で死刑となるケースが有る。ノルマを課せられた地方警察組織が無実の無関係な人に自白を強要して犯罪者としてしまう。特に、民族弾圧が行われている内モンゴル自治区やウイグル自治区ではそれが頻発している。海外メディアの報道で死刑執行後に真犯人が明らかになるケースでは、冤罪事件としてそれらが報道されることもあるがほんの一部。それも国連などで人権抑圧問題が取り上げられるタイミングを見計らうようなケースである。中国での死刑執行件数は世界一だといわれるが、死刑執行数は国家機密とされベイルに包まれ、アムネスティは数千人に登ると報告している。ちなみに2018年の世界一はイランの253人で、日本では15人。
子供の数が制限されてきたため、誘拐が多い。誘拐された子供は金銭でヤミ取引される。水質や土壌汚染は、工業発展優先政策のため、住民による訴えは握りつぶされ、しつこく訴えるとかえって検挙される。ガンが多発する村があり、工場排水による地下水汚染が原因とされたが、対応は行われない。「ガン村」と呼ばれるこうした地域は200以上にも登ると中国メディアも報じているが、政府による対応は遅々として進んでいない。2018年の中国環境省による水質調査では、全国2833箇所の地下水検査の結果、76.1%は飲料に適さないとの報告がある。レアアースは国家戦略として採掘が進められるが、その採掘現場近辺には「歯抜け村」が多い。もちろん、歯だけではなく、骨粗鬆症、脳梗塞、ガンなどの発症率が群を抜いて多いというが、政府による対応はこちらも進まない。こうした地域における養豚や牧畜での生産物や死んだ豚なども市場に出回る。さすがにこうした取引は政府により厳しく取り締まる対象とされているが、犯人は捕まらず、場所を変えて同様の死んだ豚取引などの犯罪は続いているという。
近年、SNSやリアルタイム配信サービスを利用するビジネスが増えている。「投げ銭」の仕組みも取り入れられたこうしたWEBビジネスで稼ぐ若者への取締が強化されてきた。「いいね」や「投げ銭」を稼ぎたいがために、過激な動画や写真を投稿し、それが問題になる。TV番組でも、女性的な男性を選ぶ番組、射幸心を煽るようなクイズ番組などが取り締まれる。同時に、あまりに巨額の利益を上げるビジネスに対する税の取り立ても行われるようになり、これがかえって経済の停滞を招く懸念が示されている。庶民からの投資を募り、不動産を建設し、また次の投資を募るという「民間賃貸」ビジネスも盛んだが、経済が一旦停滞すると、資金が回らなくなり、取り立て騒ぎとなる。不動産投資は行き過ぎて、不要なマンションが田舎町にも立ち並び、資金繰りに窮した不動産会社が倒産すると、一気に問題が噴出する。政府は小規模な倒産は多すぎて対応しきれず、大規模な倒産に於いても大規模過ぎて対応ができない。経済成長の鈍化、コロナ禍による消費停滞がこうした問題の顕在化に拍車をかける。
天安門事件は「6・4」として中国本土の人々の記憶にあるが、それは当時をしる、身内が殺されたような一部の人にしか過ぎない。そうした人々にとっては、香港における自由な報道や人権活動が唯一の希望だったが、その小さな炎も消えかかっている。5年に一度の議員選出選挙は2016年に実施された。5年に一度の選挙は2021年にも行われるが、立候補するのは共産党により指名された人間であり、無指名の人が立候補しようとすると、見知らぬ人たちが大勢押しかけてきて活動を妨害されるという。地方議会選挙は、外国に向けての「民主的選挙実施」のポーズに過ぎない。このような社会では、住民の声は政治には一切反映されようがない。不当な逮捕や取り扱いを訴えようとする人もいて、そうした人たちを支えようとする人権派弁護士もいるが、その殆どが弾圧されたり、拘禁され長期間留置、もしくは国家転覆罪などとして懲役刑に処せられている。こうした言論統制、人権抑圧は、習近平政権になり一層顕著になっているが、その習近平は10年も政権の座に座り続け、さらに次期政権を狙い、着々と準備を進めている。本書内容は以上。
中国は共産党支配の国であり、本書を読む限り、そこに法治国家や基本的人権という概念はないと言える。それでも世界における経済的、軍事的存在感はこの10年で、ますます強くなっているのも確かなこと。中国でも、国際的な批判には敏感であり、欧州各国から非難されれば放ってはおけないはず。人権問題や安全保障問題は反発を招くだけだろう。環境とエネルギー問題が入り口だという気がするが、どのようにこの国と向き合っていくのか、日本にとっては単独での対応は難しく、欧州、米国、アジア諸国との協調しかないと思う。隣国である日本外交の重要性が高まっている。