1972年初版の「ダビンチ・コード」のルーツのようなお話、物語の語り口や設定、登場人物の発想やセリフなど古びた感じは否めない。聖書にまつわる新たな古文書の発見とその真偽を巡っての攻防、いったい誰と誰とが戦っているのか読んでいるうちにわからなくなってくるのだが、大前提としては聖書の記述で今までにない事実がわかるとしたらそれは一大事であり、大儲けにつながる、ということ。日本でいえば古事記や日本書紀の記述を覆すような発見があるとすれば、それは大儲けになるか、学術的には大騒ぎかもしれないが、大儲けにはならないのではないか、と思って読むと、なぜそれが新解釈聖書などとして出版されると何百万部も売れて大もうけになるのかがピンとこない。ましかし、主人公のマーケティング担当ともいうべきランダルが執念ともいえる真実への探索を行った結果、新発見の古文書の真偽を覆すような事実がわかるのだが、大きな力にねじ伏せられてしまうという話。この手のサスペンスもので37年の古さは陳腐化を拭いがたい。 イエスの古文書〈上〉 (扶桑社ミステリー) イエスの古文書〈下〉 (扶桑社ミステリー) 読書日記 ブログランキングへ