意思による楽観のための読書日記

蜜蜂と遠雷 恩田陸 *****

恩田陸ファンは本書に出会って「やっと来たー」と快哉したのではないかと思う。直木賞を受賞したのだから、ファンとしても嬉しいのはもちろんだが、本書こそが恩田陸の持ち味を一番発揮できる作品だったから。上下ニ段組み500Pにもなる長編で分厚い一冊だが、読み手にとっては文字が音符のように流れて過ぎ去り、夜明けまで読み続けてしまうほど。音楽が好きでピアノも好き、聞くのが好き、弾くのが趣味、という読者なら本書が初めての恩田陸でもファンになるのではないかと思う、それほどピアノ愛にあふれている。もちろん、それほどピアノに興味はなくても、ショパンコンクールの特集番組などを見たことがある方なら、コンクール独特の緊張感は感じたことがあるはずで、本書に度々出てくる音楽を評価して順位をつける無情感と参加者の喜びと脱力感を感じ取れるとおもう。まあとにかく、読書好きなら恩田陸ファンになってしまう作品だと思う。

コンクールの名前は芳ケ江国際ピアノコンクール、そこで優勝すると、世界最高峰のS国際ピアノコンクールも制するというジンクスがあるため、世界中からプロでの成功を夢見るピアニストの卵が90人ほども参加してくる。舞台を日本にしたこと、コンクール参加者としての主な登場人物を日本にゆかりのある4人に絞ったことで日本の読者には物語が身近に感じられる。4人の生い立ちやピアノに対する立ち位置、それが聞き手にはどう聞こえるのか、同業者からはどう感じられるのか、審査員はどう評価するのかなどを、コンクールが第一次・第二次・第三次予選、本選と進む中で、恩田陸の多様な表現力で繰り返し説明される。一次予選で24人、二次予選で12人、三次予選で6人にまで絞り込まれて本選ではファイナリストが自分が選ぶピアノ協奏曲で競い合う。

フォーカスされる4人とはマサル・C・レヴィ・アナトール、高島明石、栄伝亜夜、風間塵。この4人のキャラクター設定が際立っている。マサルの祖母は日本人、しかし見た目は完全にラテン系で長身のイケメン、5-7歳の頃に日本で暮らしたことがあり、その時に近所の女の子「あーちゃん」と知り合う。あーちゃんに連れられて行ったのが近所の綿貫先生のピアノ教室、そこでピアノと音楽の楽しさに目覚め、日本を離れたあと、本格的にピアノにのめり込む。今は19歳、名門ジュリアード院で修行中、だが既に王子様のオーラが全開、順当に行けば上位進出間違いなしの優勝第一候補。最年長参加者の高島明石は28歳、明石生まれなのが命名理由で、普通の家庭に生まれて音大には入学したものの卒業後はピアノのプロではなく、楽器販売店に務め、先生をしている女性と知り合い家庭を持つ。そんな高石が一念発起、防音ルームを家に設置してコンクールを目指す。栄伝亜夜は小さいときから才能を発揮、13歳までに数多くの章を受賞して前途洋々だったその時に母をなくした。そのショックで演奏会場から逃走、その後のキャリアを棒に振ってしまう。そんな彼女の才能を見出したのは音大学長の浜崎、音大への入学を勧め、コンクールに挑戦するところまでこぎつけた。風間塵、父親は養蜂家で蜂とともに移動する生活を送っているが、ピアノの才能は稀に見るものがある。それを見出したピアノ界の巨匠ホフマンは、最後の弟子として塵少年を選びレッスンを施した。世界中にホフマンの弟子を名乗る、名乗りたいピアニストは数多いが、先生に選ばれて弟子になったピアニストはいない。塵はピアノを通して、自分の中に鳴り響く音を表現する。聴いた音を楽しみ自分でも再現したいとピアノを弾く。普段の生活は移動続きなので、家にはピアノもなく、行く先々でピアノを借りて弾いていて、ホフマンはその場所まで出向いてレッスンをしていたという。

実は最大の難関は第一次予選を通過することだった。参加者は20分の持ち時間で課題をこなし、審査員が○、△、Xをつけて、○が二点、△が一点、審査員点数を合計して多い人から上位24人、平均的に悪くはないと思われる参加者が選ばれるため、個性的でずば抜けたピアニストが予選で振り落とされることもある。実際そういうことも各コンクールでも起きるため、敗者復活のルールを設けているコンテストも多い。4人の中では風間塵がそれ、一次はギリギリの通過だった。二次予選は持ち時間40分、課題曲には日本人作曲家の「春と修羅」を演奏することを含む。ここではサラリーマン参加者の高島が宮沢賢治のインスピレーションでカデンツアを披露することで特別賞を受賞するが、技術では及ばず4人の中では唯一人二次予選を通過できない。それでも十分満足できた高島はコンクールを最後まで聞くことにする。第三次予選では演奏では一番目立ち観衆の拍手も多かった女性ピアニストが落選、発表後のパーティで審査委員長に猛然と講義するという一幕もあった。ここまでの4人の演奏は、恩田陸によって音楽性、芸術性、レッスンの楽しみと苦しさ、家族のへの思い、生い立ちと現在などが細かく語られる。まるで文字が音符のように流れる、筆者の意図通りの読み方となり、二次予選・三次予選の章が直木賞受賞の大きな理由だと思う。

マサルは一次予選で最後の演奏者の栄伝亜夜を見て驚いた、「あーちゃん」ではないのかと。この二人の再会が一つ参加者同士によるスパークポイントと成り、2つ目は栄伝と風間塵の出会いでもう一つのスパークとも言える物語が生まれる。参加者はお互いの演奏と存在により2週間のコンクール期間中に長足の進化を遂げることになる。特に栄伝は、コンクール参加自体が先生に進められたからという消極的理由だった。それが風間塵との出会いにより、戻るべき場所に帰ってきたとの確信に至る。それは高島にとっても同じだった。プロの演奏家を目指していた高島も栄伝が戻ってきたことを感じた一人、はじめての出会いだったのに三次予選のあと二人は抱き合って号泣する。風間塵にとっても栄伝との出会いは、この世で初めての「同類」との邂逅、音楽を狭い世界から広い場所に連れ出してくれるパートナーだと感じる。続編はないとは思うが、もしあれば、マサルと栄伝の共同コンサート、高島によるショパンピアノ協奏曲による演奏会に栄伝が聴衆として聞きに来る、風間塵と栄伝によるジャズとコンテンポラリー・セッションなどなど、作品中にはたくさんの仕掛けが残されている。

本選結果、一位マサル、二位栄伝、三位風間塵、特別賞・奨励賞高島、最後のページに書いてあるので開けば分かるのだが、読み手は最後の最後まで必死でそのページを目指して読み進めることをやめられない。以前読んだ「羊と鋼の森」が本書に出てくる調律師浅野を巡るスピンオフにも感じられる。本好きにはぜひ一読を勧めたい。

蜜蜂と遠雷

羊と鋼の森 (文春文庫)


↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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