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意思による楽観のための読書日記

藩と県 日本各地の意外なつながり 赤岩州五 北吉洋一 ***

江戸時代265年ほどの間、増減はあったが270ほどの藩があり、廃藩置県後の整理統合で現在の47都道府県に落ち着くことになる。本書では、参勤交代が地方特産物を江戸にもたらし、大名の配置換えである転封や江戸における藩屋敷の位置関係などのつながりで、各藩が他地方の藩とどのようなつながりを持っていたのかを調査し、特産品や習慣の由来などについて解説している。

ケンミンSHOWで小倉の糠味噌で炊き込んだ鰯や鯖を特産物として紹介していた。「じんだ煮」と呼ばれるこの食べ物、実は小倉の大名細川氏に代わって譜代の小笠原忠真が転封して来たことに由来する。忠真の前任地は播磨の明石、その前が信州松本だった。松本には福井由来の「へしこ」があり、ハラワタを抜いた鰯や鯖を一年間寝かしたもの。長野では「こんか鰯」つまり小糠であり、千国街道経由で越前から伝えられていたという。但し、魚の糠味噌漬けは、九州の猛暑では発酵が進みすぎるため、糠味噌で煮込んだのがじんだ煮。

兵庫県出石名物の蕎麦、1706年信州上田から仙石政明が移封してきたときにそば職人を信州から連れてきたことに由来する。当時の蕎麦は麺ではなく蕎麦雑炊、蕎麦粥、蕎麦がきなど。その後、出石では小皿に分けて盛り付けて食べる皿蕎麦が有名になった。

京の西陣は絹織物が有名だが、享保年間丹後を治めた京極高長は西陣で修行した職人を優遇し暖簾と屋号を与え縮緬技術を磨かせた。これが丹後ちりめんの始まり。1730年に西陣が大火で壊滅状態になった時、織物の職人が幕府の直轄地で養蚕が盛んであった関東の桐生に移住。桐生にも織物産業はあったが、座って織る織機が主流だったのが、腰掛けて織る西陣織の高機スタイルが持ち込まれ、足を使って文様を折り込む桐生織物が誕生したという。桐生は江戸に近いため多くの高級織物の消費者に恵まれ発展、東の西陣と呼ばれるようになっった。

会津には「高遠」と呼ばれる蕎麦がある。高遠では焼き味噌を使うが、どちらも辛味大根が決めてで、強い辛味が特徴。会津の殿様は保科正之、高遠の城主保科正光の養子となり寛永20年に会津藩主となった。保科正之は農民への年貢が耕していない農地からも課せられていたのを改め、藩の資金を農民に融資、米価政策も改めて、農民からの信頼が篤かったことから、殿様がもたらした蕎麦も愛されたという。ちなみに、辛味大根は高遠では栽培されていなかったのを、会津に高遠そばがあると聞いた高遠町職員が会津から種を取り寄せて栽培方法を学び、品種改良までして作り上げたという。ソースカツ丼もそれぞれ有名で、両地の交流は現代まで続いている。

江戸時代から現代に至る全国47都道府県のエピソード集、これが本書。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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