「反知性主義批判」批判では、反知性主義者とは「自分の正義を疑うことができず、他人の意見に耳を傾けることができない人」のことを言うと定義。これも二項対立で、知性主義を善、反知性主義を悪、と決めつけた意見が大勢をし見えてはいないかと指摘。アメリカで知性主義とは「ピューリタニズムの極端な知性主義」であり、自分で聖書を読んで理解できる教養を持つことであったと。そのアンチテーゼがアメリカでの反知性主義であった。現世利益、努力は報われる、自由と民主主義への集団による熱狂とが英国からの独立、奴隷制度廃止、公民権運動などにつながっていった。つまり「反知性主義」とアメリカで言われる意味と現在日本で使われている意味では異なるということ。対米従属批判をする人たちは親米路線論者を「反知性主義」とレッテル付けをする場合が多いが、アメリカがこの百年間に日本にもたらした価値をどのように評価するのか、それがなければ、対米従属はもうやめるべき、などという単純な主張はできないという指摘。アメリカとの対峙のためには、そのアメリカの国としての成立背景や思想を理解したうえでなければ、「処方箋を焦る」という状況そのものではないかと。ここまでが本書の内容。
1980年代までは日本国民はGDPと国民所得増大、そして平和憲法のもとで、ひょっとしたら世界一平和で豊かな国に住んでいるのではないかという満足感と幻想を抱いていたのかもしれない。しかし、冷戦終結と日本での経済バブル崩壊後、阪神大震災、企業破たん、小泉改革に伴う非正規社員増加、リーマンショック、東日本大震災と原発事故などの出来事を経て、中国の台頭があり北朝鮮の存在も含めて安全保障上の脅威となる一方で、国民所得は世界で26位、アジアの諸国の中でもシンガポールと香港に抜かれた。日本国内では大多数の国民が向かいたい方向性、例えば経済的な豊かさ向上という目標設定の実現可能性が不明確になり、生活の質や満足度などに置き換わるように、単一の目標設定が難しくなるような出来事が続いている。沖縄の基地問題では地位協定だけではなく、根本となる日米安保条約についての議論も始まる可能性がある。1990年代までの自民党の安保維持と現憲法維持の路線が21世紀に入って目に見えて変わり、左翼勢力は軒並み凋落してしまった。保守と革新という対立状況はすっかり変貌してしまい、憲法、日米安保、エネルギー施策などの各政策論争では左右対立というよりは、各人それぞれの主張が入り乱れ、確たる価値観の軸を示しえない、という状況が現れている。
現在の自民党内部にも護憲で安保見直し論者がおり、民進党内部にも改憲で親米安保推進論者もいる。企業活力増強と小さな政府による新自由主義路線か、福祉と分配による国民の豊かさ向上という社会民主主義路線か、という選択肢があると考えるが、現在国民の前に示されている選択肢は「アベノミクス継続か分配へ政策への転換か」「護憲か改憲か」この二点であるように思う。つまり、本来日本国民が現在考える必要があるはずの安保政策と経済政策は、そのような単純な選択肢でいいのかという「違和感」を私は抱く。現在の自民党と公明党、民進党、共産党などの政党はもはや、現在の日本での判断が必要な政策の基軸に沿っては組織化されていないのではないかという疑問である。アメリカ大統領選挙でも同様の状況が出来しているのではないいか。英国のEU離脱を決めた国民投票は、経済政策や移民問題などの重要な政策判断をEU離脱という単純化した判断に集約して示してしまったことに問題があったのではないかと私は考える。判断基軸がずれた政党や候補者しかいなければ国民は選択しにくいのである。
それでも選挙はある。「違和感」を抱いて考えたうえで選択すること、これこそが国民、特に有権者全員が最低限すぐにでもできることである。
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