意思による楽観のための読書日記

雷電本紀  飯嶋和一 *****

天明六年、湯島天神裏から出た火は神田、日本橋一帯を燃やしつくして深川仲町まで被害がおよんでいた。鍋などの鉄物を扱う鍵屋助五郎は、神田明神へ産土神参りに出かけた帰り道、火事の焼跡で、頼まれるままに赤子を抱き病魔払いをしている大男を見かけた。その光景は二十二才の助五郎の頭に残った。それから4年後、勧進相撲は谷風と小野川両大関の時代、しかし両大関よりも雲州松江藩お抱えの相撲取りが話題になっていた。どの相撲人とも似ず、化け物じみた強さだとという相撲取りは月代も剃っていない雷電為五郎だった。雷電の相撲を見た助五郎は、雷電が他の力士とまったく異なることを知る。助五郎は4年前に見た光景を思い出していた。今噂の雲州雷電は、どんな者でも赤子を差し出すと、喜んで抱き上げてくれるという。赤子に貴賤などあるかと昨今の相撲人とは思えぬことを口走るらしい。それとかつて見た光景が重なり合わさった。助五郎が雷電に化粧まわしを贈ったことをきっかけにして、二人は親しくなってゆく。助五郎は雷電が噂のような粗暴者ではなく教養があることに気づく。

江戸末期に没した力士雷電為右衛門、生涯十敗しかしたことのない伝説の相撲人である。先代雷電の名を持つ為五郎と混同されがちだという。寛政二年冬以来文化七年冬までの21年、江戸大相撲において254勝10敗2引き分け14預り、5無勝負。21年の現役生活でたった10度しか敗れなかったという相撲人である。彼は貧困にあえぐ庶民の希望の星であり、さまざまな伝説を残した。雷電は、恵まれた体と類稀な膂力で、馴れ合いの横行する相撲界に挑んで行く。彼は阿修羅のような形相で、相手力士を力でねじ伏せ、突き飛ばし土俵にたたきつけてゆく。前半の上信大一揆に関する話、そして晩年の報土寺の鐘の再建に関する話と二つのヤマがある。

天明三年、浅間山が大噴火、浅間山は鳴動し灰が降り注ぎ、百姓は飢餓に襲われていた。予言者は、巨大坊の生まれ変わりが浅間を鎮めると言う。人々はまだ子どもと言っていい太郎吉(後の雷電)こそが、巨大坊の生まれ変わりだと信じていた。陰暦八月一日の八朔、小諸八幡の祭礼相撲に太郎吉が出ることになった。太郎吉は相撲嫌いであったが、太郎吉にしてみれば浅間の大噴火以来、相撲どころではなく、迷惑な話であった。この祭礼相撲が終わったあと、上州一体に不穏な空気が流れ始めた。異常気象に加え、浅間山の大噴火、天災であるが、凶作と浅間山の大噴火を喜ぶ者が大勢いた。凶作になればなるほど米の値は上がる。上州一帯の者達はどうにもならないほど追いつめられていた。

こうした背景を背負って太郎吉は浦風林右衛門の弟子になって江戸に出てきた。同じ部屋の中には太郎吉の相手になる者がいないため、林右衛門は大関の谷風に頼んで太郎吉に稽古をつけてもらうことにした。谷風は太郎吉が林右衛門の現役時代に似ていることを感じた。実はこの時谷風は、相撲が腐敗しており、星の貸し借りや情実を土俵に持ち込み、金銭による星の売買まで横行しているということに心を痛めていた。力士は大名のおかかえで、八百長試合が横行、相撲は腐敗していた。しまりのない目鼻立ちでデカイだけと外見はよろしくないが運動神経はバツグンで強く、常に精一杯力をぶつける取り組みは、腐敗しきっていた相撲界をひっくり返す可能性があると谷風は思う。強いばかりではなく、情味あふれ、誠実で正直な性格は誰からも好かれ人気を博した。

人気の出た雷電はある時、弟子一人を連れ、飢饉の村を回る。生きる気力すら失い、徹底的に打ちのめされた人々を前に、雷電はぶつかり稽古を申し出る。村の少年は全力で雷電に向かうが、雷電は容赦しない。手心を加えず少年を叩きのめし、突き飛ばす。鬼のように立ちはだかる雷電に、意識朦朧としながらも少年はぶつかって行く。その姿に村人達は立ち上がり、必死に少年を応援する。自分達の声が少年に力を与えるようにと、そしてついに、少年が雷電を押し出す。次の朝、雷電は時ならぬ鬨の声で目覚める。無気力だった村人達が、手製の弓矢や竹槍を持ち、兎や鹿を追う声だった。やがて、飢餓の村に宴が始まる。古今最強と言われる雷電が一文にもならない疫病退治のために飢餓に苦しむ村村をたづね、赤子を差し出す母親がいると抱き上げては病魔払いをし、人買いに売られて故郷にもどることのなかった人々への鎮魂のために、誰もいない石舞台で力足をふむ、こうした雷電の誠実さを示すエピソードが紹介される。

寛政五年、老中松平定信が失脚、この頃には雷電為右衛門が勝のは当たり前という状況になっていた。この時に行われた勧進大相撲に千田川吉五郎という大兵の相撲人が現れた。雷電同様雲州のお抱え力士である千田川の相撲も従来の相撲びいきからは眉をひそめられていた。その千田川が鍵屋に突如現れた。雷電に聞いた医師の話が耳に残っていて、紹介してもらいたいということだった。千田川も、雷電同様の赤子の厄災祓いをするなど似ている部分があった。助五郎は千田川とも雷電同様のつきあいをするようになった。寛政九年には大関雷電、関脇千田川、小結鳴滝、前頭筆頭に稲妻らが並び、雲州力士がその強さを誇示していた。まさに雷電王朝はゆるぎないものとなっていた。こうしたときに報土寺の鐘の再建の話がでて、雷電も力を貸すが寺社奉行の横やりが入る。

著者は雷電が生まれた境遇や村を出た背景を描きながら弱きものを助けて権力に立ち向かう雷電の姿を克明にこれでもかと描く。書かれた雷電の心を読者は想像する、想像は冒頭から紹介されている幾つものエピソードでシナプスがつながるようにリンクが張られて、雷電のキャラクターが頭の中で結像する。こうして強い印象が残る。あとがきによると、「始祖鳥紀」の主人公となる鳥人幸吉を調べている時に雷電の資料に行き当たったという、この著者の本、一冊一冊が重い、そして読み応えがある、読書好きには必読書としたい。
雷電本紀 (小学館文庫)
始祖鳥記 (小学館文庫)
黄金旅風 (小学館文庫)
神無き月十番目の夜 (小学館文庫)


読書日記 ブログランキングへ

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「読書」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事