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意思による楽観のための読書日記

にわか<京都人>宣言 校條剛 ***

またまた京都に関する本を読んでみた。本書は、新潮社の編集者だった筆者が、退職後に京都造形芸術大学の特任教授になり、6年間京都で暮らしてみた経験を書いている。京都好きの関東人が、本当に京都のまちなかで暮らすという経験をしてみたら、どう思ったのかというエッセイ的な一冊で2020年2月発刊。

京都にあるスーパーの「Fresco」、最近京都にはこのスーパーが目につくが、決して大きい店はなく、コンビニ以上、大規模店舗以下という位置づけ。それでも、ローカルな食材も置いてあって京都らしさはでている。もとは、山科の食料品店経営者たちが1992年に一号店を山科勧修店としてオープンしたのが始まりだという。現在では近畿圏に114店舗を展開、東京、神奈川にも出店中だとのこと。京都人たちも、いつからFrescoが現れたのかはあまり意識していない。ちなみに、LIFE、平和堂などという他府県発祥のスーパーも多く展開していて、これという京都に特徴的なスーパーチェーンがあるわけではなさそうだ。京都に行くと目につく商品が「桐灰」のカイロ。京都は寒いからなのか。棒鱈、鱧、ノドグロの開き、広島産牡蠣、ウデ肉、ヒガシマルの薄口醤油、万願寺とうがらし、聖護院大根、賀茂なす、壬生菜、堀川ごぼうなどの京野菜、これらも関東ではあまり見ない。

筆者が暮らしたのは二条通柳馬場通西入ルのマンション。少し歩くと寺町通に出て、五色豆の「船橋や総本店」、書店「三月書房」、塗り物「象彦」、鯖寿司の「末廣」、お茶店「一保堂」などが軒を連ねる。6年前までは梶井基次郎の檸檬の店「八百卯」があったと言うが、今は閉じているのが残念。筆者はそんな京都の町に感慨を抱く。

京都の夏は暑いと言うが、その暑さに拍車をかけるのが蝉の鳴き声。特に、関東にはいないクマゼミがかしましい。「シャーシャーシャーシャー・・・・」外国人の中には、なにかの大工事が始まったのか、それともテロリストなのかと大騒ぎする人もいるとかいないとか。枕草子の「春はあけぼの、夏は夜・・冬はつとめて・・」という。夏の京都は夏の夕方に夕立でも降らないとやってられないということ。冬はつとめて、というのは早朝という意味。冬の京都など、暖房が炬燵くらいしかなかった平安時代になぜ早朝が良いと清少納言は書いたのか。寒いのを「あーサブ、水もちびたいな」などと言わないのが風流な京都人の性格の複雑さなのかと、筆者は勘ぐる。

京都の夏の風物詩、といえば祇園祭、と言いたいところだが。地元では地蔵盆。お盆の次の週に子どもたちを集めて町内でくじ引きや食事会をやり、数珠回しをして無病息災を願う。

京都の外食で筆者が気に入ったのが町の中華屋。京都風の出汁を使って中華料理を作る。珉珉や王将ではない。紫野の「鳳飛」「中華のサカイ」、上七軒の「糸仙」、府庁前の「ハマムラ」、祇園の「平安」「竹香」「八楽」、新京極の「龍鳳」、四条河原町の「芙蓉園」、東山の「ぎをん森幸」、浄土寺の「盛華亭」、河原町二条の「鳳泉」、夷川室町の「やっこ」など。メニューは普通の中華料理。春巻き、シュウマイ、青菜炒め、チャーハンなどどれをとっても筆者の好みだった。

京都の町で、気に入ったこと。タクシーが便利、バスが縦横無尽、人情味ある町医者、充実した公衆トイレ、公衆浴場の電気風呂、多様な書店、一流の和菓子屋、大阪・大津・奈良・神戸への移動が便利。京都はベネチアと似ていると感じた。観光客が異常に多く、町が狭いので通りも狭い。狭いので押し合いへし合いになり人同士の距離が近くなる。先斗町、錦市場がその象徴。ベネチアに多くあるマリア像が京都ではお地蔵さん。京都の良さは、古くからある地点に立って、新しくできた名所を眺めることだと。本書内容は以上。

私が生まれて育ったのがちょうど筆者の住まった地点より北に位置する御所の東隣の広小路。当時、母に連れられて通ったお風呂屋さんが河原町丸太町交差点北東にある「桜湯」で今でもあることに驚愕。通っていた春日小学校は今はないが、かわみちやや、寺町の進々堂が今でも残っていることにも嬉しい気持ちになる。クマゼミは今では関東地区にも勢力を広げ、現在住んでいる埼玉でも時々耳にする機会がある。「シャーシャーシャー」といううるさい夏の日が、関東にも来るのだろうか。京都のスーパー事情は書かれている通り貧しいのだが、京都の人たちはそのことに気づいていない、というより知らんぷりをしているようだ。地方に行けば品揃えも素晴らしいローカルスーパーがあることは京都人だって知っているはず。しかし、狭い土地で広々としたスーパーなど望めないことも知っているので、「京都には昔からの専門の店があるし」とか言いながらここはやせ我慢なのだ。京都の中華料理店でリーズナブルで美味しい味を経験していると、東京の美味しい店は高い、餃子に500円も出せるかい、という京都人初上京時の怒りに通じることになる。コロナで行きにくくなればなるほど、故郷たる京都はやはり懐かしい感じがして、どうしても京都の本を手にとってしまうのだ。

 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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