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意思による楽観のための読書日記

ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2 東浩紀 ***

動物化するポストモダン」の続編だという本書。一読して実践編という位置づけであり、「東浩紀はなぜそう思ったのか」という本編の謎解き的位置づけだと分かった。

ライトノベルの台頭は、従来の明治以来の自然主義的リアリズムに対して、近代的な現実から決別したマンガやアニメ的リアリズムのバリエーションとして世に出てきたとする。そこでは物語そのものよりもキャラクターが紡ぎだす一連の「データベース」を積み重ねて、そのデータベースを参照して更なるキャラクター小説が作り出される、という循環的な物語生成があるという。物語は衰退するが人工的環境の文学として生き残る、これはもはやオタクの世界というよりも、大きな社会的、文化的視野の中で捉える必要があるという。

日本文学は100年ほども前に自然主義的文学を誕生させ、60年前にマンガが、そしてアニメへとそのすそ野と表現型を広げ、その行く末としてキャラクター小説を生み出した。キャラクター小説では、自然主義的現実では透明感を持っていた表現を意識的に半透明、不透明変質させ、読み手も意識してその不透明性を享受するという共犯的な関係性を構築してきた。その結果が美少女が登場し、読者(主人公)は彼女たちとコミュニケーションをとろうとするゲーム(小説)である。作者は主人公を通して読み手とのコミュニケーションを志向するという変化が組み込まれたゲーム(小説)、そしてゲーム的世界観を提供するゲーム小説ともいえる作品群を世に出した。

実際に世に出たゲーム小説では、主人公と読み手を一体化させ、読み手自身がもはやゲーム小説の中の主人公と判別できないかのような設定を組み込んで、メタ物語的ともいえるゲームと操作者による双方向コミュニケーションが試みられている。読み手は、ゲームをセーブすることでは現実には戻れないのである。

2004年の桜坂洋の小説「All You Need Is Kill」はタイムスリップ小説。異星人が作り上げた機械である「ギダイ」に侵略された地球を救うために結成された統合防疫軍に配属されたキリヤが主人公。小説ではキリヤとギダイの戦闘の中で死んでしまう主人公が描かれた後、その戦闘の30時間前に戻りキリヤが目を覚ます。どのように戦っても、逃げても、自殺しても死んでしまう主人公が、戦闘に勝つまではこのループから逃れられないことに気が付いて、戦闘能力向上のための訓練に励むようになる。158回目のループで出会うのがもう一人の兵士リタ。リタは212回目で外に出られるが、キリヤはそのことに気が付かない。桜坂はこの小説で、ゲームのプレイヤーがセーブとリセットを繰り返す状況を小説化したということ。小説のメタ物語化である。

「One」は1998年に麻枝准により制作された成人向け美少女ゲームで、学園を舞台とした恋愛アドベンチャー。6人のヒロインから選択した一人との恋愛があり、それぞれのエンディングがあるが、「永遠の世界」が主人公たちに影響を与え、主人公を連れ去ってしまい、ヒロインを思い出すことでしか元の世界には戻れない。これはプレイヤのセーブとリセットの隠喩である。プレイヤにとっての現実世界は、ゲームでは永遠の世界であり、プレイヤがメタ物語に取り込まれるという設定。

「Ever17」は近未来の日本が舞台で、海中テーマパークでの事故で閉じ込められた主人公たちが事故原因を探るというミステリー仕立てのゲーム。5人のヒロインが配置されており美少女ゲームでもある。プレイヤは20代の青年か10代の少年のどちらかを選択する。2017年に起きた事故、第三の視点から事故を再現することで過去に介入することで事故での死者をよみがえらせるため、事故17年後の2034年に事故の再現を試みる。第三の視点とはプレイヤ自身の隠喩であり、実践的な感情移入に寄与するが、ゲームの途中で登場する八神ココの登場で、プレイヤはさらなる設定に気づかされる。2017年と2034年のキャラクターには共通点があることを、そしてそれこそが第三視点であることを。この時点でプレイヤはキャラクタの操作者ではなく、キャラクターに操作されている現実に気付かされたのである。メタ物語の位置づけを視点のトリックで実現させたのが特徴となる。

「ひぐらしのなく頃に」「ひぐらしのなく頃に解」8連作ではシナリオは一本道で選択肢はない。表面的には美少女ゲームだが、8連作の時系列が、別の人物の視点で繰り返されるのが特徴。男子中学生が鄙びた山村での殺人事件を目撃し、真相を推理するのが第一篇で、その後主人公は死んでしまう。第二編では死んだはずの主人公は事件発生前に戻り、事件に対する別の見方が提供され、再び主人公は死ぬ。これを第7編まで繰り返すが、選択肢はなかったにもかかわらずプレイヤは異なる選択肢を選んだがごとくの物語展開を見させられる。登場人物の一人である古手梨花だけはこの循環に気が付いており、その循環の原因は彼女の死に起因するため、梨花の死をさせないことがこのループからの唯一の脱出経路である。第7編で登場する羽入、そして第8編ではプレイヤの存在こそが梨花を救い、殺人の惨劇を防ぐことが示され、プレイヤがこの奇跡を実現させるキーパーソンであること、つまりプレイヤが登場人物の一人として活躍することが導かれる。

本書では「九十九十九」というもう一つの回帰小説が紹介される。いずれも、メタ物語でありゲーム的世界を提示する。ゲームが虚構であることを認識しながら、そのゲームが提示する一瞬の現実を受け入れることで物語を楽しむのである。動物化するポストモダンで示された「オタク的耽溺」、つまり騙されていることを知りながら、そのシナリオや環境設定に没入し楽しむ。自分はキャラクター(動物)であることを知りながら、プレイヤ(現実)であることを自覚する、という実存的な問題に向き合っている。伝統的な文芸評論が今まで目を向けてこなかった、「寓話的で幻想的なメタ物語のポストモダン実存文学」がこうしたゲーム小説の系譜であり、「ゲーム的リアリズムの誕生」だともいえる。本書内容は以上。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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