こんなにも、日本と京都のことを知り、大切に考えている人はいるのだろうか。例えば、英国を愛する日本人が、イギリスの文化をここまで深く語れるだろうか。アレックス・カーの著書は、「鬼と犬」「美しき日本の残像」と読んできたが、本書が一番。京都好きであれば必読書だと思う。カーによれば、日本はシルクロードの到達点。そこを通ってもたらされた知識や風俗、宗教や哲学はペルシャ、インド、チベット、朝鮮、中国、ジャワ、シャムが混沌として入り混じっている。大陸の動乱と隔てられてきた日本では、インドや中国では姿を消した仏教やシルクロードでもたらされた文化が、「文明の宝石箱」のように残されてきたと。京都はその中でも千年の都、最良のものが小さなエリアに凝縮されているという。
京都では、神社仏閣を見物料を頂いて観光客に見せているだけではなく、伝統を支える職人、工房、茶の湯の家元や能楽堂、神社仏閣も伝統やしきたりを守る。こんな場所は世界にはないという。本書は京都ガイドでも文化紹介でもない。京都で筆者が見て感じてきたことを、9つの章で切り取ったもの。筆者が感じてきた感想と思いつき集として読めばいい。9つとは、門、塀、真行草、床、畳、額、襖、屏風、閻魔堂。切り口は他にもいくらでもありそうだが、京都の街で目に付きやすいものから書いてみた、ということだろう。
門。これほど多くの門のある街はない。内と外を隔てる結界。中国の門は塀に連なるが、京都では門が佇立して連ならない。門下、門弟、一門、破門。門をくぐるのはその世界に入り出ること。多くの門には三つの開口部がある。これはどの国の門にも共通。山門というのは三門であると。三つは三煩悩で、貪欲、怒り、愚かさを捨てる三解脱が入門の条件という意味。門には扉がないものも多く、日本では象徴であるという。左右の口には仁王などの守護神がいる。阿吽の口をしていて、狛犬と同じ。西洋ではアルファとオメガ、始めと終わりを象徴する。阿吽は仏教とヒンズー教に由来し、神社にまで浸透、神社の随身も仁王と同じ阿吽の口をしている。伏見稲荷入り口のお狐様も一体は宝珠をくわえ、もう一体は鍵をくわえて、阿吽を表す。人類学でいうリミナリティとは閾、門をくぐることは、門が象徴する結界を越える意味がある。中国をモデルにした門は南北に参道が貫く。回遊式の金閣寺や龍安寺は遊びの御殿で開放感がある。東本願寺の門は、烏丸通に面していて、玄関門、菊の門、御影堂門、阿弥陀堂門の四つが横に並ぶ。街中のお寺で参道を省いたという。鳥居は神社における入り口の象徴門。天台宗系の鳥居には横木の上にピラミッド状の破風が載る。日枝神社、日吉神社、山王神社が比叡山の天台密教と密接な関係があったことを示す。
真行草は、楷書、行書、草書のような三段階の美学観念を表す。中国文化、朝鮮文化、日本文化、はそれぞれ真行草と考えられる。中国の文物は文学、詩歌、漢字、陶磁器いずれも高い技術に裏打ちされ洗練されていて精巧なもの。室町時代までは、そうした中国文化を取り入れてきた日本では、それらを日本的に変化させ今で言う「日本的なもの」に変貌させた。中国の宮殿は整然と並んだ瓦葺き、伊勢神宮は茅葺屋根、茶室の庵は煙に燻された田舎家のような藁葺き屋根。室町時代の茶人達は、本式、準本式、略式の三層構造を考えだした。絵画でも、大徳寺の塔頭真珠庵の四季花鳥図は「行」、その奥にある破墨で描かれた絵が「草」。茶の湯で床の間に飾られる茶器。青銅製は真、陶器は行、竹筒は草。陶磁器では、磁器が真、陶器は行、土器が草。楽焼を茶碗の標準とした千利休は土器である楽焼を格が高いと評価した。色付けで言うと、金色が真、鮮やかな色彩は行、くすんだ茶色が草。室町時代以降の日本では、この真と草の間を振り子のように行ったり来たりした。金閣寺から銀閣寺、聚楽第や江戸城から桂離宮や修学院離宮。西欧人は無駄や装飾をを排した禅や草を好むようだ。
額とはお寺の門に掲げられた扁額。書かれる文字は様々だが、その場所を象徴する言葉が選ばれている。立命館大学の立命は孟子の「尽心章句」に由来、自らの心を尽くす者は天命に立つる。「立命」は扁額に収まる。大徳寺の三門に掲げられた「金毛閣」、利休が切腹を命じられたことで有名になった門。金毛とは文殊菩薩がまたがる獅子のタテガミ。優れた禅僧を表す。この門をくぐるものは、獅子のように叡智を捧げろ、という意味。宇治の萬福寺の扁額は「第一義」。禅では論理や教えを飛び越えて言葉では理解できない究極の真理に向き合え、という意味。密教が曼荼羅図で、修業を重ねて徐々に高みに登ることを教えたのに対し、禅宗では一気に頂上に行こう、と教える。「教外別伝」では「不立文字」、言葉に頼るな、と教えた。本堂には「真空」、すべての現象は空なり、この世にあるのは善でも悪でもない、神も救いもない、無が全てである、という教え。山頂にある法堂には「獅子吼」、相手が誰であろうとひるまず正しいと思うことを言う勇気。山門から本堂へと歩くだけで、第一義、真空、獅子吼と禅の教えを学べる。
今までに読んできたあらゆるガイドブックを凌駕する京都紹介になっていると思う。