なんと、この4月で音楽家を生業とするようになって25周年を迎えました。
1987年3月末、CM制作会社「ジング」を退社し独立して25年。
紆余曲折いろいろありましたが、よくぞ続けてこられました。
これも皆様のおかげです。ありがとうございました。
ふり返ってみますと、大学時代はセミプロギタリストとして活動するもプロの道を断念し就職。
百貨店に勤務しながらライブ・作曲を続け、リットーミュージック主催の
「オリジナルテープコンテスト」1985年度B部門優勝を機に退社。
CM音楽制作会社「ジング」で音楽ディレクターを1年経験、仕事のやり方を学習し、退社独立したのが25年前です。
最初は、デモテープを鞄に詰めて、来る日も来る日も売り込み営業。
せっかくアポを取ったのに、行ってみたらいなかった、なんてことも沢山ありましたが、
腐らずコツコツとやっているうちにボチボチ仕事をいただくようになりました。
CM、BGM、ラジオのジングルなどを手掛けていましたが、徐々に歌手への曲提供ができるようになり、
郷ひろみさん、稲垣潤一さん、早見優さん(みんなのうた)、ロスプモス、松本明子、本田理沙、石田ひかり、
中島文明、そして今をときめく岡本夏生さんらに曲・編曲を提供。
そして駅メロJR-SHシリーズの発注をいただいたのは93年の暮。
SHシリーズはすぐに多くの駅で採用されましたが、数年間はその作者として紹介されることもなく、
逆に94年-99年はかなりキビシい時代となりました。
鳴かず飛ばず、というやつです。
なんとか這い上がろうともがいていた時、自作の駅メロをケータイの着メロに自薦したところ採用され、これがヒット。
今世紀に入ってからは、おかげさまで「鉄の巨匠」としてのアイデンティティーを確立、
ついには自分のアルバム「テツノポップ」をリリースするに至りました。
25年間、音楽1本で食っていけるなんて、当初は思いもよらなかったことです。
音楽家に転身する時、谷底に潜っていた時、いくつかのポイントで
ホントにお世話になった人、助けてくれた人、勇気を授けてくれた人がいました。
そんな恩人の皆様に、心から感謝いたします。
そして僕の音楽を支持し可愛がってくれたすべての皆様、ありがとうございました。
とはいえ、これで終わりではありません。
これから先もまだまだ大変と思います。
ぜひとも皆様方のお力を貸していただき、さらに成長を重ねていきたいと思っています。
今後のことですが、駅関係の仕事はしっかりやっていきます。
まだまだ知名度も(以前より上がったとは言え)低いので、頑張らないといけません。
CMや歌の作曲も、辞めたわけではないので、貪欲に作っていきますし、
「テツノポップ」の弦楽四重奏でデビューしたクラシック様式の作曲にも挑戦します。
死ぬまでに交響曲を最低1曲書くつもりです。
そして、一個人としての幸せも追求して、楽しい人生を皆さんとともに過ごしていきたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
1987年3月末、CM制作会社「ジング」を退社し独立して25年。
紆余曲折いろいろありましたが、よくぞ続けてこられました。
これも皆様のおかげです。ありがとうございました。
ふり返ってみますと、大学時代はセミプロギタリストとして活動するもプロの道を断念し就職。
百貨店に勤務しながらライブ・作曲を続け、リットーミュージック主催の
「オリジナルテープコンテスト」1985年度B部門優勝を機に退社。
CM音楽制作会社「ジング」で音楽ディレクターを1年経験、仕事のやり方を学習し、退社独立したのが25年前です。
最初は、デモテープを鞄に詰めて、来る日も来る日も売り込み営業。
せっかくアポを取ったのに、行ってみたらいなかった、なんてことも沢山ありましたが、
腐らずコツコツとやっているうちにボチボチ仕事をいただくようになりました。
CM、BGM、ラジオのジングルなどを手掛けていましたが、徐々に歌手への曲提供ができるようになり、
郷ひろみさん、稲垣潤一さん、早見優さん(みんなのうた)、ロスプモス、松本明子、本田理沙、石田ひかり、
中島文明、そして今をときめく岡本夏生さんらに曲・編曲を提供。
そして駅メロJR-SHシリーズの発注をいただいたのは93年の暮。
SHシリーズはすぐに多くの駅で採用されましたが、数年間はその作者として紹介されることもなく、
逆に94年-99年はかなりキビシい時代となりました。
鳴かず飛ばず、というやつです。
なんとか這い上がろうともがいていた時、自作の駅メロをケータイの着メロに自薦したところ採用され、これがヒット。
今世紀に入ってからは、おかげさまで「鉄の巨匠」としてのアイデンティティーを確立、
ついには自分のアルバム「テツノポップ」をリリースするに至りました。
25年間、音楽1本で食っていけるなんて、当初は思いもよらなかったことです。
音楽家に転身する時、谷底に潜っていた時、いくつかのポイントで
ホントにお世話になった人、助けてくれた人、勇気を授けてくれた人がいました。
そんな恩人の皆様に、心から感謝いたします。
そして僕の音楽を支持し可愛がってくれたすべての皆様、ありがとうございました。
とはいえ、これで終わりではありません。
これから先もまだまだ大変と思います。
ぜひとも皆様方のお力を貸していただき、さらに成長を重ねていきたいと思っています。
今後のことですが、駅関係の仕事はしっかりやっていきます。
まだまだ知名度も(以前より上がったとは言え)低いので、頑張らないといけません。
CMや歌の作曲も、辞めたわけではないので、貪欲に作っていきますし、
「テツノポップ」の弦楽四重奏でデビューしたクラシック様式の作曲にも挑戦します。
死ぬまでに交響曲を最低1曲書くつもりです。
そして、一個人としての幸せも追求して、楽しい人生を皆さんとともに過ごしていきたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いします。