松ちゃんの『やりっ放し やられっ放し』

あなたが気になりだしてから 世界が息づいてる(松任谷由実『緑の町に舞い降りて』より)

海外組と国内組

2007-05-24 02:35:56 | horse racing
野球にしてもサッカーにしても海外で活躍している選手がいて

その海外組が日本に凱旋してきて対決したり合流したりするのを見ると感慨深く感じるのは僕だけか。
この「私だけでしょうか」というよく耳にするフレーズはあまり使いたくなかったのです、実は。

なぜなら自分、天邪鬼なんで。自分不器用なんで
「私だけでしょうか」なんて聞かれたら、たとえ自分にも心当たりがあっても
「お前だけや!」って言いたくなるからである。

でも、実際今回使ってみて
「おまえだけや!」ってコメントが返ってきたら
多分
泣いてしまいそうだ。人間って本当に自分勝手だ。ってか僕が。

海外組に対して僕は、日本でプレーしている選手とは違う、あたかも異邦人のような
感覚を抱かざるを得ないような心持ちになっている。
「格」とかそういう様なものではないんですが、なにかが違う。
だから、同じ日本人選手には違いないのに、海外組と国内組が交流するってだけで
何か一大イベントのような感覚に襲われるのである。

その海外組・国内組という感覚、概念が最近競馬の世界においても生じる。
日本馬の海外での活躍はずっと前からだが
例えば、タイキシャトルやエルコンドルパサー、ディープインパクトの海外での大活躍と
最近のコスモバルク、デルタブルース、アドマイヤムーン、シャドウゲイトのそれは異なる様に感じる。

前者はあくまで国内組である。名馬たる要因の多分が国内での活躍に依拠しているのである。
しかし、後者は国内で辛酸を舐めて、舐めて、舐め尽して、やっと海外で栄誉に輝いた選手であり
国内での苦戦と海外での勝利の間に、何かエモイワレヌ成長が予想できる。

だから、帰国してきて国内の第一線級の馬達との対決は、本当に心躍る。
近日、安田記念、宝塚記念が執り行われるが、アドマイヤムーンの出走は本当に楽しみである。

たとえ国内で不振が続いても、海外で活躍してくれると、それだけで競馬乃至同じ1レースでも

別な楽しみが増えるし
そんな風にファンを愉しませてくれる馬に対しては愛着が自然と湧いてくる。

同じ純粋の日本のプレイヤーのはずなのに
海外組と国内組とさも全く違う生き物のように捉えてしまうが
それは、活躍による人気、名誉の場の根拠地に依るのかも知れない。

そもそも海外でのプレイというのは国内での活躍の延長のはずだが
海外、例えばメジャーリーグや欧州リーグを盲目的に崇拝してしまう日本人は
日本でも同じように活躍してるはずの日本代表の、海外での活躍を著しく拡大して捉えてしまう。
今年の凱旋門賞には、ウォッカとフサイチホウオー、メイショウサムソンが一応登録している。

僕個人としては、フサイチホウオーに頑張って欲しいものだ。
というのも、卓越した才能とは裏腹のクラシック戦線における詰めの甘さという運命が
何処となく去年のアドマイヤムーン、アドマイヤキッス等に似て漂う。それだけに

皮肉だが、凱旋門賞を頑張って欲しいと心から応援するのである。勿論、ダービーも応援するが。
しかし、僕(だけ?)が抱く競馬界の海外組という感覚は、本当に嬉しい。

単純に、海外で頑張る日本馬の姿には涙せずにはいられないじゃない!

特に海外の猛者を下して優勝した時など、涙しながら僕は呟くのである
「頑張ったな...」と。

「その前にお前も頑張れ」って話なんですが。