松ちゃんの『やりっ放し やられっ放し』

あなたが気になりだしてから 世界が息づいてる(松任谷由実『緑の町に舞い降りて』より)

今まで如何に考えずに生きてきたか…怖いくらいしみじみする。

2006-11-12 19:22:13 | current affairs
勉強って、本当に大事だと思いますね。

勉強に対して、この様に積極的な姿勢で臨めるのも
小学生1年生の頃から考えてみても、この2年が初めてだと思う。

何のために勉強?って問われても
何でかなぁ~???って、自分が何でそうしているか分かってないかもしれないけど
多分、反駁されない意見を持つため、ってことにしときます、今のところ。

今、遼太郎の
(あっ、司馬ね。)
『坂の上の雲』って長編小説を熟読かつ愛読しておりまするところ
いつまでも自分の頭に心に引っかかっている、ある一場面に出くわした。

主人公の兄弟の内、弟の方がある日新聞を読んでいたところ
兄がそれを取り上げて、しまいには下記の旨の言い棄てた。
【自分の意見を持たないのに、そのようなものを読めば、ただ振り回されるだけだ】
と。
う~ん、確かに。

此れは、勿論、遼太郎(くどいけど、司馬の事ね。)にとっては
別に、読者の心に刻むべくして設けた会話ではないでだろう。
そう、ただのさり気のない、とある一場面なのであろう。
が、である。
今の僕はですね、そんな一場面が、もの凄く、やんごとない場面に思えて、感慨深くなったのです。
嘘じゃない!って。ほんにで。

それで、今度は、何故そのようになったかってのを考えると…
(そのようにっていうのは、自分が遼太郎にとってのさり気無い一場面が心に残った事)
やっぱ、どっかで苦しんでたんだと思う。…?????
苦しんではないか。でも、ちょっとは苦しんでたんだと思う。
何に対しても意見持てないことに対して、なんか、誰に対してか知んないけど
劣等感みたいな、引け目みたいなものを、抱いてたんだと思います。
だってさ、だって…地球上に存在する万類の問題について自分の意見を持つって

無理じゃん?きりないし。
でも、自分としては、貧乏下宿生の癖に新聞を二誌もとっている身としては
やっぱ読んでいる以上は、どんな問題に関しても意見を持ちたいと思うんですよね。
ゼミでもそうで、なんや全然知らない平和構築に関する問題が
毎週2種類も提示されて
「意見、又はコメントはありませんか?」って強制されて
(強制されてっていう表現からして、大学での教育、学問に対して僕は正しい姿勢でない
  かつ、否、それとも、大学側が悪いのだろうか?)

勿論教授も「勿論大学生だったら、それらしい意見は用意してるよね」ってな顔してるし…
でもそこで、「ありません」て答える度胸なんて備わってないもんですから
的外れのコメントをしたり、でも悔しいから、結構頭動かして
発表者の論旨を根本からえぐってやるクリティカルな質問をしたりと
毎週、なんかそれなりに、自分の弱さからくる惰性に抵抗しながら大学生やってるわけですけど…
結局、そういう時にちゃんと意見を言えたり、自分の発表や論文を反論から守ってあげれるのは
自分の『勉強』しかないんだなって、腹を決めたんです(?)

その考えについて視界は明るいですよ。
もう学問卒業まで半年切ってんのに、遅ぇーよ、なぁ。
僕って、なんか、大学卒業まであと半年ないはずなのに、なんかぁ
「あーあ」とか「さびしいな」なんて思わないんですよね。
思わないから勿論、口にしたりもしないわけで
これって、どうなんでしょう、まぁいっか。

自分の意見を持ってないから
なんか、好きな人の考えに左右されたりするんですよね。あと、尊敬されてる人とか。
でも、自分の確固たる意見を持てるのって、その対象の問題が
好きだったり、興味がある時には簡単なんだけど、やっぱ興味も無い問題って
やっぱ知識も全くないですから、意見も持てませんし、でも持たないといけない場面もあるからして

結局は…大学生って、難しい立場なんですよね。
自由ってのもあれだし、それにずっとぶら下がってる人は、そのひとなりに生きていくんだろう
けど
やっぱ、僕は、勉強しようかなって思うんですよね、この年の瀬に。

勿論卒論という名目ではないけど、課されている卒論のようなものもありますし
普通に講義の勉強もしなければなりませんし、英語もしなければならないですし
(グローバル社会ですからねぇ、今って。)

あと、もう何年も会ってない人にも会わなければならないですし…今後の事もですし…
それでも、なんか日々の生活で、しかも、とても詰まんない事に縛られている気がして

やっぱ大学生って、不自由なんですね♪アホかっ!

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