タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

<疑惑のSTAP細胞画像(3月14日)>

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 疑惑のSTAP細胞画像(3月15日付『讀賣新聞』第1面から転写)について、理化学研究所は、十四日の中間報告で「3枚とも小保方リーダーの博士論文の画像と同じ」(同新聞)と認定した。

<第Ⅱ章「自然科学と客観的事実」つづき③>
P1320702 したがって、NEWS5の書評子を真似て、NEWS6の事例を「医学も所詮は人間の営為である」などと評しても事の解決にならないことは言うまでもない。
 科学的理論命題の検証の基礎をもっぱら経験的事実に求める実証主義、あるいは経験的事実と論理演繹的な推論とを統合する論理実証主義の立場を標榜する自然科学者たちの中には、彼らの目に実証的と映らない人間科学、とりわけ文学が分析の対象とする人間的事象の言語化つまりテクストを独断と偏見に満ちた解釈の塊と揶揄する向きが多い。しかし、彼らが実証の出発点とする客観的事実といえども、「『知るに値する』といふ意味で『本質的』であるべき實在の一有限部分」
(マックス・ウェーバー『社會科學方法論』富永?治・立野保男訳、岩波文庫、1936、p.45)のみを科学的把握の対象とする価値判断基準によって選択が行われているのであって、何らかの解釈を免れない。およそ百年前にハインリヒ・リッケルトが「すなはち科學には、與へられた素材を謂はゆる『本質的なもの』と『非本質的なもの』とに分かつ『選擇の原理』が必要である」(『文化科學と自然科學』佐竹哲雄・豊川昇訳、岩波文庫、1939、p.74)と表現した、科学に内在する選択的特性の主張は現在も有効であり、これこそ、明証的客観性をこれまでアプリオリに前提としてきた科学的経験の場における客観的事実の基本的属性と見做すことができる。?<理研記者会見での主な一問一答>に続く?

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