平成20年1月29日付『北海道新聞』第20面〈釧路〉に、「東に高齢者、西に若者」という見出しで、「釧路市の地区別高齢化率」を示す記事が載っている。その記事の中に、鳥取・星が浦・大楽毛が付く地区を、「日本製紙と王子製紙の企業城下町」とみなす文言があるので、いささか反論したい。
鳥取県が、北海道開拓使から、ロシアに対する北辺防備を名目(実際は生活に困窮した旧士族授産のため)として北海道への移住許可を受けたのは、明治16年だった。翌年、鳥取村が開村し四十一戸が、翌々年に六十四戸が、阿寒川(現在の仁々志別川)下流域に移住した。昭和18年に鳥取村は町制となり、昭和24年に釧路市と合併した。
北の地の厳しい生活に耐えかねて、鳥取村を去る移住者も多かったらしいが、この地に踏みとどまって開拓に励んだ人たちの闘魂が、今日の鳥取地区発展の礎となっていることを忘れてはなるまい。たかが製紙工場ごときの企業城下町などと軽々に言ってもらいたくない。愛知県豊田市=「トヨタ自動車の城下町」の安易な真似ではないか。
製紙工場が、釧路市の基幹産業として街の発展に貢献したことは認めるが、鳥取地区の人たちに、日本製紙工場の企業城下町という意識は全くない。
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