六月一日、衆議院本会議で内閣不信任決議案が提出され、あわてて、採決直前の民主党代議士会で「一定のメドがついた段階で若い世代に責任を引き継ぐ」(8月27日付『讀賣新聞』第37面)と退陣を表明しながら、決議案が否決され危機を免れると、その後三か月も退陣を渋り国政に混乱をもたらした元凶・空き缶能なし首相が、八月二十六日、ようやく正式退陣を表明した。
退陣記者会見で、「厳しい環境の中で、やるべきことはやった」(同新聞)と自らの業績に大見得を切ったが、そんなことは真っ当な人間はだれも認めやしない。三か月の政治空白について問われ「復興基本法や2次補正予算が成立し、大変実りの多い期間だった」(同新聞)とは、空き缶はやはり空き缶でしかない。何事についても、根回しのない独断専行で、関係者間の合意形成がなされなかった。 日本にとって不幸だったのは、市民活動家、すなわち「小さな組織のリーダーとしては有能だったが、人を信じ、仕事を任せ、最終的責任を負わなくてはならない大組織のトップを務められる器ではない」(同新聞・第36面)人物を首相の座に据えたことだった。菅首相が「菅板倒れ」とか「空き菅」などと揶揄される所以はこの点にある。加えて、狡猾な往生際の悪さである。
菅政権の主な出来事(写真下段は、前掲新聞から転写)をとっくりと眺めるがよい。日本国にとって、日本国民にとって、東日本大震災被災地にとって、真によかれと思われることが一つでもあるか。突然の「脱原発」発言で日本国中を混乱させ、挙げ句に「実は私見だった」とは一国のリーダーの言うべき言葉ではない。止めて清々する。
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