タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

≪ 大相撲の立ち合い(2) ≫

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 写真は、昭和五十四年名古屋場所三日目、西大関・貴乃花(初代)と東前頭筆頭・高見山との立ち合いの一瞬(写真は、『別冊相撲』第七巻第二号〈ベースボール・マガジン社〉から転写)である。両力士とも手をつかないどころか、中腰のままである。速攻派の力士が中腰で立つのは珍しいことではなかった。
 終戦後、焼け野原の中で昭和二十年十一月に秋場所興業が行われて以来今日まで、大相撲の立ち合いは乱れっぱなしで、協会は何も手を打たなかった。昭和五十九年に、六期目の春日野理事長(元横綱・栃錦)が立ち合い正常化方針を打ち出したが、定着しなかった。それはそうだろう。理事長も鏡山・審判部長(元横綱・柏戸)も、中腰の貴乃花スタイルだったのだから、説得力に欠けた。二人の現役当時のフィルムを回せば証拠は歴然としている。
P1000674 北の湖・前理事長(元横綱)は「互いの呼吸が合えば問題なし」(10月23日付『北海道新聞』夕刊・第3面、秋場所九日目にやり直しを何度も指示された春日王の写真を転写)だったのに、武蔵川・新理事長(元横綱・三重ノ海)になって急に「しっかり両手を付いて、正々堂々と立つのがルール」(前掲新聞)と言われて、力士が戸惑うのも無理はない。
 協会は、土俵上の作法や立ち合いについて、具体的な対策を立て、力士の意識改革を行うべきだ。

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