世の中の動きが早く、九月二十四日に発足した麻生内閣の顔ぶれ(9月25日付『讀賣新聞』第1面の写真を編集・転写)を眺めても、既に色褪せ、前掲新聞・第1面の見出し、「麻生『臨戦内閣』始動/景気重視へ 転換鮮明」に虚しさが漂う。 問題発言によって在任わずか五日で辞任した中山成彬・前国交相(写真は、9月29日付、前掲新聞・第35面〈社会〉から転写)が、また恥の上塗りを重ねた。
中山氏は、十月四日、地元・宮崎で記者会見を行い、正式に引退を表明した。慰留はなかったという。
引退表明を受け、宮崎県連が、次期衆議院選宮崎一区の後継候補を公募し、十八日に候補者を決定する手はずになっていたところ、なんと驚くべし、中山氏は十六日、「不出馬を撤回し、立候補する意向を所属する町村派や宮崎県連の幹部に伝えた」(10月17日付『北海道新聞』第2面〈総合〉)ことが明らかになった。十七日に立候補の表明を予定。
しかし、自民党の古賀誠・選対委員長に調整を拒否され、出馬が不可能となるや、一転して「私は一貫して不出馬を表明している」(『ウィキペディア』脚注4)と白を切った。こんな不見識な人物が衆議院選に六回も当選し、文部科学大臣も務めたとは、東大出も落ちたものだ。
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