タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

≪ 北の湖理事長四選 ≫

P1020342 日本相撲協会は、昭和20年3月の東京大空襲で被災した両国国技館を部分的に応急修理し、11月に戦後初の本場所興行(秋場所)を開催した。しかし、その後、両国国技館がGHQに接収され、昭和21年秋場所を除いて大相撲の興行が認められなかったので、協会は、昭和29年9月の蔵前新国技館落成まで、本場所開催の場所を整えるのに苦労を重ねた。
 昭和60年1月、協会の長年の念願だった新両国国技館が落成した。六期目の春日野理事長(元横綱・栃錦)の執念の偉業といってよい。上の写真は、記念式典における、横綱・千代の富士と横綱・北の湖による<三段構え>の披露である。
 盤石の強さを誇った北の湖も、昭和57年後半以降は休場と成績不振が続いて、昭和59年は、7月場所に全勝優勝があるものの、もはや横綱の面目を保つことができないにもかかわらず、横綱審議会の引退勧告を拒否したため、往生際が悪いとまで酷評された。新国技館の土俵で<三段構え>を披露し、二日目まで相撲を取って引退するというシナリオは、春日野理事長の大横綱への温情によるものだろう。P1020339
 平成20年2月1日、協会理事会は、満場一致で北の湖理事長を再選(2月2日付『読売新聞』第24面〈スポーツ〉)した。4日に理事会と評議員会が開かれ、九重親方が理事就任と同時に広報部長として執行部入りした異例の人事は、北の湖理事長の後継候補として九重理事を育成する意味を持つ。昭和60年と同じ新旧交代が、奇しくも数年後に再現か‥‥
 しかし、四期目の北の湖理事長体制が、順風満帆で任期を全うするとは限らない。2月8日付『北海道新聞』第3面〈総合〉は、元時津風親方と兄弟子三人の逮捕を報じる記事の最後に、中見出し「相撲協会、危機感なし」を掲げ、北の湖理事長の無責任な姿勢に言及している。「協会としては、元時津風親方を解雇しているのだから」(前掲新聞)で済まそうとは、理事長としてあまりに無策ではないか。
  <写真は、上が、高橋義孝/監修『相撲/焼土の秋場所から新国技館』(ベース   ボール・マガジン社)、下が、2月2日付『読売新聞』第24面〈スポーツ〉か   ら転写>

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