フェラーリ 212 Vignale Street
(1951-1952)
エンジンは1気筒212㏄に拡大され出力も上がった。
エンジン設計はジョアッキーノコロンボ。
レース戦績不明、2シータ。
60°V型12気筒SOHC2V
2,552㏄、165PS,200㎞/h、
FR、5M
フェラーリ 250MM Coupe Vignale
(1953) 31台
250は1気筒排気量を示す。
"MM"はミッレミリアの略で、前年までのフェラーリの快進撃を記念して名付けられた。
デビュー戦は1953年ヴィロレーシはモンツァ・グランプリに250MMで出場し、
栄冠を勝ち取っている。
250Sがプロトタイプだったのに対し、250MMはロードカーで、
V12,3.0Lエンジン搭載を前提に新たに開発されたシャシーに、
ピニンファリーナ製(クーペ)もしくはヴィニャーレ製(バルケッタ)のボディが架装された。
このスタイリングが、後に登場する250ファミリーの方向性を決定づけたといっていい。
フェラーリの衣装を担当したカロッチェリア。
フェラーリデザインと言えばピニンファリーナが有名ですが、創成期のモデルをみると実に多くの
カロッチェリアがボディを作っている。
アッレマーノ,スタビリメンティファリーナ,ザガート,モット,ギアアイグル,スカリエッティ,フォンタナ,
アボット,ボアーノ,エッレナ,ベルトーネ,ファントゥツィ,ドローゴや代表的なものはツーリング,
ヴィニャーレ,ギヤ,ピニンファリーナの4社である。
熟練した職人が1台1台ボディを手掛けたので全体のモチーフは同じでもディテールなどが異なる。
標準ボディと言う車が無くワンオフスペシャルの集合体と言った方が正しいかもしれない。
ツーリングは新興フェラーリが無事軌道に乗るためにも協力した。
ツーリングボディは細いパイプを溶接した構造をシャーシに溶接し、
そこに手作りのアルミボディパネルを取り付ける、
非常に軽量なスーパーレッジェラ(超軽量)と呼ばれる方式でボディを作った。100台弱を作っている。
ヴィニャーレも似た方法を取りやはりボディパネルはアルミであった。
熟練の職人達は平らなアルミ板を木の切り株の上でハンマーで形を叩き出し、
さらに砂袋の上にパネルを当てて滑らかな表面を叩き作った。
完全に手作りの為、ボディは左右対称でない部分もある。170台程製作した。
ギアのボディは対照的に殆どがスチールボディであり70台程が製作されたと思われる。
ピニンファリーナもアルミやスチールボディを手作りし250台弱を手掛けた。
同社は近代的な設備を一早く導入して、
プレスを使ってボディを製造し生産性や精度を飛躍的に上げた。