17年前の今頃、
私は、お産を終えて、
ぐったりしていた・・。
このとき、私は、自分が
「動物である」というのを
いたく、感じた。
たとえば、お産をしたばかりの
鹿や、ゼブラのように
弱い草食動物の気分だった。
「今、肉食のライオンがきて、
私を食べようとしても、
私は、動けない。
もう、食べられても仕方ないわ・・。」
と思った。
それから、
「もし、戦争中で、戦車がきても、
動けない。
勝手に敷いていかれても
仕方ないわ・・。」
と思った。
なにより、子供は、安全なところにいるので、
自分は、もう、どうなってもお構いなしなのだった。
この出産が、唯一、自然分娩といえるものであった。
そして、このときの痛みというのは、忘れられるものだった。
人工的なことをして、陣痛を起こしたり、
赤ちゃんを出した痛みや、楽さは、忘れられないし、
後悔する部分もある。
母と並んで、休んでいた私は、
徹夜であり、体は、ぐにゃぐにゃで力がまったく、
入らないのに、
目は冴え冴えとして、いろんなことを
思った。
そして、2人の子の母である母に
「これで、お母さんと同じになったネ~」と、しみじみといった。
私は、母に頭が上がらなかった。
その偉大な母に、子供の数で並んだのである。
夜明けとともに、
体の中に、力がみなぎってくるのを感じた。
その2年後に、泣きながらも、子供をもう、一人産んで、
子供の数だけは、母を追い越してしまうことなんぞ、
想像だにしなかった。
このように、人生は、その人からぬことの
連続で、それが、その人らしいことになるのである・・・・。
私は、お産を終えて、
ぐったりしていた・・。
このとき、私は、自分が
「動物である」というのを
いたく、感じた。
たとえば、お産をしたばかりの
鹿や、ゼブラのように
弱い草食動物の気分だった。
「今、肉食のライオンがきて、
私を食べようとしても、
私は、動けない。
もう、食べられても仕方ないわ・・。」
と思った。
それから、
「もし、戦争中で、戦車がきても、
動けない。
勝手に敷いていかれても
仕方ないわ・・。」
と思った。
なにより、子供は、安全なところにいるので、
自分は、もう、どうなってもお構いなしなのだった。
この出産が、唯一、自然分娩といえるものであった。
そして、このときの痛みというのは、忘れられるものだった。
人工的なことをして、陣痛を起こしたり、
赤ちゃんを出した痛みや、楽さは、忘れられないし、
後悔する部分もある。
母と並んで、休んでいた私は、
徹夜であり、体は、ぐにゃぐにゃで力がまったく、
入らないのに、
目は冴え冴えとして、いろんなことを
思った。
そして、2人の子の母である母に
「これで、お母さんと同じになったネ~」と、しみじみといった。
私は、母に頭が上がらなかった。
その偉大な母に、子供の数で並んだのである。
夜明けとともに、
体の中に、力がみなぎってくるのを感じた。
その2年後に、泣きながらも、子供をもう、一人産んで、
子供の数だけは、母を追い越してしまうことなんぞ、
想像だにしなかった。
このように、人生は、その人からぬことの
連続で、それが、その人らしいことになるのである・・・・。