うちの息子が、またまた、やってくれた・・・。
電話がかかってきた瞬間
「すみません・・。
なにか、やりましたか?」とオドオドと謝っている。
どうしてか、「不吉な予感」が瞬く間にひろがり、
とりあえず、そういう態度になる。
結果としては、うちの息子は、関係なかったのだが、
本当に関係ないか?というと、そんなことはないと思う。
「君子危うきに近寄らず」
「李下に冠を正さず。
瓜田に履をなおさず」
ということばがある。
賢明な人は、はじめから、危険なものに
近寄らない。
モモの下で、冠をなおしたら、
泥棒と間違えられても仕方ない。
瓜の畑の中で、履(くつ)をはきなおしすため
かがんだら、泥棒と間違えられても仕方ない。
だから、そういうことは、しない。
それが、「賢明」というものである。
しかし、私が、やっとこの言葉を実感しているくらいだから、
ヤンチャざかりの中学生が、この言葉を理解するのは、
30年早い!(賢く悟っている中学生もいると思うが・・)
そういう私は、
「危うきに近寄らず」どころか、
「火中の栗」を拾う気になっている。
どうしたら、最善の指導ができるのか?
昨日から、ずっと考えている。
正しい人間なんて、ほとんどいないのだ。
親としても、人間としてもたいしたことないが、
一応、君より、「年数いきて、見聞はしているので、
話をきいて!」という気持ちである。
(写真は、リビングのガーランド。
うちには、大きなメインツリーが、今はない。)
電話がかかってきた瞬間
「すみません・・。
なにか、やりましたか?」とオドオドと謝っている。
どうしてか、「不吉な予感」が瞬く間にひろがり、
とりあえず、そういう態度になる。
結果としては、うちの息子は、関係なかったのだが、
本当に関係ないか?というと、そんなことはないと思う。
「君子危うきに近寄らず」
「李下に冠を正さず。
瓜田に履をなおさず」
ということばがある。
賢明な人は、はじめから、危険なものに
近寄らない。
モモの下で、冠をなおしたら、
泥棒と間違えられても仕方ない。
瓜の畑の中で、履(くつ)をはきなおしすため
かがんだら、泥棒と間違えられても仕方ない。
だから、そういうことは、しない。
それが、「賢明」というものである。
しかし、私が、やっとこの言葉を実感しているくらいだから、
ヤンチャざかりの中学生が、この言葉を理解するのは、
30年早い!(賢く悟っている中学生もいると思うが・・)
そういう私は、
「危うきに近寄らず」どころか、
「火中の栗」を拾う気になっている。
どうしたら、最善の指導ができるのか?
昨日から、ずっと考えている。
正しい人間なんて、ほとんどいないのだ。
親としても、人間としてもたいしたことないが、
一応、君より、「年数いきて、見聞はしているので、
話をきいて!」という気持ちである。
(写真は、リビングのガーランド。
うちには、大きなメインツリーが、今はない。)