ひねもす日報

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介入

2019年12月22日 | Weblog
 昔から風呂嫌い。銭湯も行くまでは腰が重たい。脱衣所までが苦手。裸になり浴室に入ってからの時間は
「最高過ぎる~( *´艸`)」で終わる。わたしは「入浴」に他者を介入しているのかもと最近思った。
シェアハウスにも何年間も興味がある。これも「暮らし」に誰かが介入することに興味がある。
人は家の扉の内側で「月」の要素になる(以下占星術の話出ますので興味ない方はスルーして下さい)。
でも、そこに「介入」されると「月」でばかりはいられない。ここに何か感じるものがあるんです。
例えば虐待も(今日もこの話)。自宅の内側で主に発生する虐待。これは社会から切り離された
もろ「月」の現場で起こっていることかと。そこに誰かが介入することで、「月」が「外向き」の顔をし出す。
わたしも支援で他者の家に入るやろ。月に何度かわたしが行ったところで何が変わるんや、
どうせ相手よそ行きの顔しとるんやろ、って思っていた初期時代。でも、相手を「よそ行き」の環境にさせる
ところに、何か意義があるんじゃないか(・・?と思うようになって、今に至る。振舞いや言動が「
よそ行き」なったとて、暮らしの現場は素直で、「月」の日々を隠し通せるほど甘くない。と、わたしは
感じているがどうだろう(・・?。わたしは「介入」にポジティブさを感じている。囲って壁の中?
いつも同じメンバー、家族であったとしても。それ、良いことあるとは思えない。

 「泣きなさいね」とここ数年占い行くと言われることがある。涙を閉じ込めてしまう性分とでも
出るのか(・・?わたしの学習状態では分からない。「相手のためにでも、誰のためにでもいいから。
自分ごと以外にも泣いていいから」と言われたこともある。最近は人のために泣きながら、それは
結局自分のための涙だと思うことが多い。わたしが福祉からこころが離れないのはそういう
こともあるんだろうな。福祉のことを通して、自分を振り返っているんだろう。
保育士になる以前の自分の人生が、今と違い過ぎて人生を二回やっているかのよう。
価値観や興味って同じ人間でこんなに変化するものなのだなと思う。
そういえば、昔40才前後、ちょうど今ごろに「人生切り替わる」って占われたのを思い出した。
「引っ越し?」「離婚?」など色々言われたけれど。ピンとこんやったし、「外れたんかな」と思ったばってん、
今書いたことが合致する点なのかいな(・・?
コメント
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