トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

安楽死について

2024-03-06 11:46:00 | 日記
医師の嘱託殺人についてのニュースを読みました。

以前から考えていたことですが、安楽死についてはもう少し前向きに議論がなされるべきだと思います。

医療費節約!とか、そーいうことではなくてですね。

やはり人間は死に向かって生きている訳ですから、死を自分でコントロールできることもまた生きている者の権利というか。
死をデザインできてこそ、見えてくる生活や活きてくる世界観があると思うのです。

死が穢れの世界はもう終わりにして良いのかなと。

もちろん生きたいならとことん生きるのもとても大事な選択ですから、何もみんながみんな安楽死を選ぶ必要なんてどこにもありませんしね。

ただ。
やはり慎重な議論は必要かと。

というのも。
私はとにかく病気が1番重くて治療がうまくいっていない時は死にたくて仕方がなかったです。

動かない体。
働かない頭。
痛みで苦悶し続けたために、人相まで酷く、鏡を見るのも嫌でした。

それなのに、頭がおかしい人、という扱いを受ける。
子どもも、頭がおかしい人の子だから、という扱いを受けているのはよくわかっていました。

私さえいなければ。
何度も何度も思いました。
もう、私は十分がんばったとも思いました。

もし、安楽死という選択があったなら、私は医師にお願いしていたでしょう。


でも、その後新しい薬が出たり、2つの薬は処方量も4倍になり、とにかく治療が標準的からはもう逸脱して、ようやくようやく進み
私は子どもを産み、育てることができているのです。
誰も想像していなかった未来がここにあるのです。

もちろん健常な方と比べたら親として足りないこともたくさんあるでしょうが
この病気が子どもたちを不幸にしてはいないと思います。

そして私は今、とても幸せです。

時々歩けなくなるけれど、
それでもお世話はなんとかなります。
抱っこしきれない時も、ゴロゴロ横たわっていれば子どもから擦り寄ってきてくれますし。

子どもも幸せそうにたくさん笑ってくれます。


安楽死、絶対議論すべきですが、いろんな意見を、事実を組み合わせていかないと、不幸を生むかもしれません。


私は、死を意識しながら生きています。
子どもが成人するくらいまでは長生きしたいけれど、できなかった時のことを考えるのも私の務めです。
別に、苦しくもつらくも悲しくもありません。
みんなが幸せになるために必要な作業です。

決して死を考えることが不幸なことではない、ということだけは強くお伝えしたいなあと思います。
難しいお話ですけどね。

記事が滞るということは…

2024-02-08 17:09:00 | 日記
いつの間にか2月、節分も終わってしまいました。
本年もどうぞよろしくお願いします。

昨年後半より、またいろんなインプットを始めています。
そのひとつに、難病を知ること、があります。

自分が難病だからと言って、全体像がきちんと把握できてるとはとても言い難かったので、なんとなくちゃんとしたいなあと思いました。

で、その講演で余談として語られたのがこんなことでした。

「難病のひとはよくブログとかやるんだけども、記事が滞るわけですね。」

はい、、私、滞っております。

「それでね、読者の皆さんは心配する訳ですけれども、大体は平気というか、ディズニーランドとかに遊びに行けるほど元気なんです。」

んー、、。。

「だから、心配しないでください。」

えー、、、
なんだろ、、この違和感。。笑

と思ってしまい、結局他にいろいろ良いこともたくさん習ったはずなのに、印象に残ったのがこの部分になってしまいました。笑

確かにね、私も
子どもを産んで育てられるほど元気になった、と言えます。

しかし、これは誰も予想してなかった未来で、
私は実の親にも散々反対されてましたし
我が子にも散々心配されましたし、
主治医の先生もギリギリまで連絡取り合ったりと
とにかく大変な援助と心配の中で産みました。

育てるのは、第一子ほどではありませんが、やっぱり大変ですので笑
ブログを書く余裕がありませんでした。

もちろん病状だって悪くなりましたし、泣いて暮らしたり、先生も薬変えるか、育児とのバランス考えてギリギリを攻めていく、そんな治療の中で私も夫も努力を重ねて今日があります。

人並みですがそれなりにドラマはあり、書きたいことは山積みですが、それを許さない環境も確かにありますね。

大袈裟に死ぬとかつらいだけを言い散らして去ってしまう、そーいう人たちもいるのかもしれませんが、
そーではない人もいて、
とにかくいろんなひとがいるのがこの世界なんだよって知ってもらった上で支援とかしてほしいなあ、なんて思ってしまいました。


ということで、私は今日もイタズラ小僧さんの隣で寝転びながらがんばってます!!

今日は人の上、明日は我が身の上

2023-10-27 09:18:00 | 日記
娘が好きで日めくりカレンダーを導入しています。

何日か前のことわざがコレ。。

これは私もさすがに自分の教訓にしてますけれども。
病気になってからかなあと思いますね。

我が身の上に来ないと、人の上にあることも我が身のことのようには考えられないものです。


よく無知がいけない

と言いますが、健康に過ごせている方に私の苦悩を伝えてもやっぱりウザイだけだよなあなんて思います。

それでバカにされたりしていいわけではもちろんありませんけれども。

難しい!

そして、地球のあちこちで起きている紛争について、私も身の上に本当に置き換えられているかと言えば否です。

何ができるのか。
難しいです。

ヘアドネーション

2023-10-18 11:17:00 | 日記
すっかり秋の気候になりましたね。
むしろ寒いくらいで、過ごしやすい季節はあっという間だなあと感じています。

この暑さも去った頃に、ヘアドネーションをしました。

妊娠期に割と長い髪の毛で、このままきちんとのばしていけば、多い量の髪の毛を寄付できないかな?と思ったのがきっかけです。
妊娠期はホルモンの関係で、抜け毛が少ないので笑。

しかし、結局満足な長さまでのびなかったので、そのまま継続。
結局、出産後半年以上も長い髪の毛と格闘することになり、本気の心を込めた寄付になりました!

というのも、私の場合薬を使っているので
献血
臍帯血バンク
母乳バンク
このあたりは軒並み断られてしまうのです。

私に唯一できる体の寄付は髪の毛です。

31センチ以上、という基準の中、40センチまで頑張りたかったのですが35センチまででおしまいにしてしまいました。
やっぱり31センチ超えてくるといろいろしんどいですね!体験者あるある。
それでも、どこかで誰かが使ってくれるかもと思うと、心躍る体験です。

協力してくれた美容師さんにも感謝です。伸ばしている間にもいろいろ配慮してもらいました。
断髪式!と言って写真も動画も撮ってもらいました。
とても楽しい時間でした。

私にできることをひとつずつ。
少しずつ実践できている感覚が、私を強くしてくれます。

口に出したものが、返ってくる

2023-07-29 15:25:00 | 日記
先日、赤ちゃんの健診に行ってきました。

保健師さんとの面談では、あーだのこーだのといろんなお話を聞いてもらいつつ、アドバイスを受けたり確認したり。

その最後に聞かれたのは
「どうですか?2人育児は」
という質問。

「大変は大変なんですけど、、」

「ま、単純に2倍だからね」

「そうですね、でも幸せは2倍なんてもんじゃないです。」

と、淡々と答えたところ、驚くほど大喜びしてもらって、こんなことを聞かれました。

「あらあ!ほんとに!?よかったわねえ!それ口にして言ってる?」

時々、赤ちゃん抱えて腕がしびれてヘトヘトしつつも、このしびれを感じられている今は嘘なんじゃないかと、妙に負の世界というか昔に引き戻されることがあります。
でも、赤ちゃんはあったかくて、ちゃんと育つのか心配していた娘はずいぶん大きくなってそこにたたずんでいたりして。
苦楽を共にした娘がそこで呑気にアイス食べていたりすると、余計に10年の年月をしみじみと感じるようです。

あ、ほんとに私は2児の母なんだ。
と、現実を確認しては、1人で感慨に耽ってしまうことがあります。

この現実、私だけで得られたものではないし、私が幸せを感じていることはどんどんおすそ分けしないともったいない気がして、家族にはちゃんと幸せを感じていることと共に感謝を伝えてきたつもりでした。

「もちろん!言ってます!」

と、間髪入れずに答えると

「それ大事!自分に返ってくるからね!」
と、保健師さん。


なるほど。
幸せは伝えると周りも幸せになるけど、私もまた幸せになるんですね。

幸せの連鎖っていいなあ。
失った過去を取り戻したくなる衝動で泣いてしまうこともあります。
もう一度、今の自分の状態で赤ちゃんの頃の娘に会いたいと思うこともあります。
が、逆転満塁ホームランの幸せを全力で噛み締めて、ブーメランキャッチもして、フラフラの育児期を乗り切りたいと思います!!