病気になると、よく宗教の勧誘が来るよ、などと言われます。
私がわりと大病をしましてね、と打ち明けると、時々「宗教の勧誘が大変だったのでは?」と聞かれることがあります。
非常によくある話らしく、特にガンの患者さんの場合には多いみたいですね。
結論から申し上げて、私はひとつも勧誘はありませんでした。
もうだめなんだろうなあと、窓から空のような風景を見つめる時にあって、
「ああ、私は神さまからも見放されたままなんだなあ。」
とぼんやり思ったことを今でもはっきり覚えています。
多少元気になった時に、あんな何も出てこなさそうな人物に誰も興味はないわなあ、とから笑いもしました。
そんな私でしたが、少し前に神さまや仏様の話を聞く機会を得ました。
神さまというのは、何か特別なことを起こしてくださるわけでもなく、ましてや奇跡を起こす存在ではなく、いつもそばにいてくださる存在なのです。
とのことでした。
だから、過去や今を恨むのは神さまに対してでは無いと。
祈れば、願いはきっといつか叶うかもしれない、正しいことを心のままに行い続けるといい。
(心のままにというのは、また難しい話で、だからこそ振り返りとかが必要なんだそうです。)
そう聞きました。
なるほど。
これで救われたのは、実は娘の方でした。
私がどうにもならんという危機は脱したものの、やはり思わしくない日が多々訪れる頃、どうしたものかとかなり心を痛めていたそうなのです。自分の力ではどうにもならない、子どもながらに立ちはだかる壁をきちんと理解しているがための苦しみです。
祈ればもしかしたら・・というのは、救われた心地がしたそうです。
どの神社に行っても、お寺さんに行っても、お月さまを見上げても、何かにつけて祈ってくれました。
その祈りの心は、私にも十分に染み入りまして。
頑張りの原動力になったことは間違い無いです。
その結果、奇跡がここに起こっているわけです。
見た目も元気な私がここに立っています。
でもそれは神さまがもたらした結果ではありません。
私たちが頑張り抜いたからなのだと、心の底から思います。
教えをくださった方にも、また寄り添ってくれた神さまにも、感謝の心は絶えません。
最後に言いたいことは、これは全くのプライスレスな出来事だったということ。
病気などで苦しむ皆様にも、こんな奇跡的な話がプライスレスであったのだということは、実にお伝えしたいことと思います。