トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

手紙

2022-03-29 08:49:11 | 日記

春休みになりましたね。

どうもバタバタしていたので、娘ほったらかしー、みたいな日もありましたが、がっぷり四つで遊んだ時間もあって。こんな楽しい時間がもっと早く手に入っていたらどうだったのかなあ・・なんて思っちゃう自分もいます。

ところで、年度末、学校はいろいろと企画をしてくださって、子どもたちが手紙を親に書く、ということをしてくれました。

その他にもいろいろ絵とか、写真を使った作文みたいなものもついた大作のお手紙をもらいました。

なんとなく、とてもじんわりと心が温まってきて、本当に嬉しかったです。

 

そこで、私も手紙を書いてみようと思いました。

ところがですよ、最近は手紙を書く習慣もなくなっていますから、レターセットそのものがどうもいぶし銀なんです。

ビジネス仕様というか、目上の方向けというか。

娘が自分で買ったものを使うというのもどうかな・・と。

そこで、久しぶりにレターセットを買いに行きました。

 

買いに行く道すがら、ずいぶんと面倒なことを思いついてしまったなと思ったりもしましたが。

いっぱいあるんですねえ!きれい、かわいい、おしゃれ・・

目移りしながら、数種類を買ってきました。

 

それからひとつを選んで、娘にお手紙を書いてみました。

一生懸命、書きました。

これまた結構時間がかかりました。

でも、書いただけで、私の方の心や状況を整理できたような気持ちにもなり、お手紙っていいなあって思いました。

 

そして、娘の反応は・・これまたひとしお。

たまにはお手紙を書いてみようかなあ、なんて思う出来事でした。


3.11のこと

2022-03-11 13:11:13 | 日記

返す返すも、もう10年以上もの時が経っているとは思えないほど、鮮烈な記憶として残っています。

現在進行形で苦しむ方や、避難をする方もいらっしゃるとのことで心は傷みます。

 

被災地への支援、は今後も続けていかなければならないことなのですが、

逆に思い出して負担になるという声も少なからずあるとのことで、

今後の支援については、お声かけなどについても考えなければいけないのかもしれません。

(個人的には買い支えは良いことだろうと思っていて、東北の商品を好んで買っています。)

 

私はそれなりに用心深い人なので、この前にも避難グッズは用意してあって、

なんというか、置き土産として実家にも使わなくなった私の合宿用のバックに避難グッズは入れてあったので、

母はひとり、それを抱えてしばらく時を過ごしたようです。

避難グッズはあると実際に役に立ちますが、心の支えにもなるようでした。

遠く離れて住んでいたので、あれだけ通信網が遮断された中にあって、私自身も「避難グッズがあるんだから、母も大丈夫だろう・・」みたいな心の支えになっていたと思います。

備えあれば憂なしとはよく言ったものです。

 

しかし、実際の想定はそんなものではありませんでしたし、思いがけないことの毎日で、準備不足を痛感しました。

そして報道される事実が、現実のものだとは信じられなかったのも覚えています。

最近になって、ようやく当時のドキュメンタリーなどを観ることができるようになりました。

『遺体』という作品は、報道されなかった現実を教えてくれました。涙なしには観られませんが、さまざまなことを考えさせられました。

「生きることを支援するために医師になったはずなのに、死亡宣告ばかりしている・・」と医師役の佐藤浩市さんが言ったかと思えば、

隣で夫が

「死亡宣告がないと、遺体に誰も触れないんだ。だから医師が必要なんだよ。こんな重要で過酷な仕事はない・・。」と真剣に画面を見つめていていました。

 

今日は、犠牲になられた方々へのご冥福をお祈りするとともに、私自身も身を律する1日にしたいと思います。

また、次世代への防災教育をきちんと行って参りたいと思います。


お坊さんの扱い・・

2022-03-10 15:54:03 | 日記

今年に入ってから、私の具合もあまり良くないので、U-NEXTを契約してもらって、つまらない時には延々とテレビを見ることで時間をやり過ごせるようにしてもらいました。

なんというか、なまぐさぼうずですよね。

お殿様ともちがうというか。

牛とも違うというか。

 

ありがたいのは間違いないのですが、延々と見ていたくても、病人は体力がないので、だんだん疲れてきます。

従って途中で寝たりしてしまいます。

やるべきこともある(洗濯とか)のに、テレビの続きが見たいとなると、部屋を立ち去るのがおっくうになっていけません。

一時停止して行けよ!という総ツッコミを頭の中でしながら、ぼんやりと見てしまう生活を続けていました。

 

ところである日、この中で「日本史」というアニメを見つけたんですね。

絶対見るしかない、と思ってつけたら、もう最初から面白い!

♪チャラッチャ〜 

というかなり強烈な音から動画がスタートするので、五感を持っていかれるかのように最初から釘付けですよ。

物語は宇宙から始まるので、娘も私も釘付け。

最初がよければ、延々と見たくなるものですよね。

帰宅した夫も巻き込んで、時々見ていました。

 

その中にですね、

「坊主は酒と女におぼれてばっかりでしょ、わしらのことなんかなんとも思っとらん」

「坊主はなまぐさで、おれは好かん」

とか、ニュアンスでしかないのですが、とにかくお坊さんに対する文句や蔑んでいるような農民の発言がいっぱい見られたんですね。

こうなると、織田信長の焼き討ちに関しても物の見方が変わってくるというか。

戦争に必然はありませんけれども。

寺や神仏というものを巧みに使っている僧兵もいたわけですし、なかなかどうしてと思いつつ、物事は簡単ではないなあと。

 

そして、思い出したのは「坊主めくり」ですよね。

坊主、坊主と言われてしまうだけのことはあるのか?と。笑

とにかくなんとまあ、教育的ではないような気がして仕方がないんだけど、と思いつつも楽しみ続けることにしました。


望みは叶えられた

2022-03-09 15:16:30 | 日記

病気は私や家族からさまざまなものを奪っていきました。

一方で、いろいろな幸せがそこここに散らばっていることを教えてくれました。

慣れてくると忘れてしまうから、どうもそこらへんは相変わらずなのですけれども、私は幸せを感じることについては結構長けてきたぞ!と思っています。

 

この間、病院に行った際、

「最近頭痛がどうも重くなって、つらいのですが」

と、かなり控えめに言ったら(適当にあしらわれるのが怖かったので。)

「そうですか。ちょっと触らせてくださいね。」

となり、

「ナニコレ!すごい!」

あはは、みたいになりながら、トリガーポイントを打ってもらいました。久しぶりのトリガーです。

ストレスもあるでしょうしね!みたいによもやま話もしてださるので、笑いながら注射してもらって。(体の中に)石ころがゴロゴロみたいに話しつつ、ストレスもありますよねえ、と話したりして、なんだかありがたい時間をいただきました。

 

そうかと思えば、娘が学校から可愛らしい工作を続々と持ち帰ってくれます。(学年末ですしね。)

出来栄えはともかく、作品が一発で娘のものとわかる個性的なもので、親としたら可愛くてしかたありません (ザ・親バカ笑)

極め付けが、あまり紙で作ったというシオリとか、謎の切り紙です。

私にプレゼントしようと思って、作ったとか。

早速本の間に挟んだり、壁につるさげたり、本棚の上のわずかなスペースは娘の作品でぎっしり。

いろんな表情で笑ってくれる娘には、元気でいてくれてありがとうと思うにつけ、込み上げてくるものがあります。

 

夫も最近は私が動けるからとサボり気味かと思いきや、労ってくれます。

家族がとても大切だと気づいたんだそうで。

痛がる私のマッサージも欠かさずしてくれています。

毎日狭い空間でトランプをしたり、坊主めくりをしたり、間違え探しをしたり、風船バレーをしたり。

短くても楽しい時間は確かに毎日あります。

 

こんなことに気づけたことは、望みが叶えられた、ということだそうです。

願いはどうも叶いませんが、望みは叶えられたと。

しんどい体はどうにもならないし、何か新しいことに挑戦しようと思ってもいまいち結果は出ていませんが。

私が大切にしたかったものは、確かにここにあって、穏やかでもありがたい時間が流れているなと実感しています。

 

だからこそ、こんな暖かな空間で死にたいなあと思うのですが。

もう少し頑張って生きてくれよーと夫も娘も言って譲らないので、もうしばらくがんばろうと思うにつけ、やっぱり願いは叶わないんだなあと思う私であります。


病気の何に苦しんだのか・・

2022-03-06 16:26:08 | 病気

病気は、その症状だけで耐え難い苦しみを与えてくれます。

不自由な体、もたつく頭に、舌。

伝えなければいけないことは膨大なのに、うまく言葉にできず、うまく声を操ることができず、本当に苦労しました。

 

自分の状態を受け入れることは、結局できなかったと思います。

それはなぜなのかを考えたのですが、もちろん理由はいくつもあると思います。

人間誰しもそういう感情に流されることはあると思いますし。

 

いくつも浮かぶ中で、一番大きな理由は「這い上がろうとしていたから」というものです。

私は今の状態を受け入れないんだ、絶対にもっと良くなってやるという意志が、その状況を受け入れることを拒んだのだろうと考えています。

正直、それは素晴らしいことだと自分を褒めてあげたいです。

ヘルパーさんが、こんな重病人を介護するの嫌だ、と言うほどだったし、実際に社会的な支援を受けることもできていたのです。

一人で苦しんでいたわけではありませんでした。

だから、その状況に甘んじたところで、誰も責める人は周囲にいなかったのです。

 

でも、私はそれを申し訳ない状況だと思っていたし、ありがたい状況だと思っていたし、だからこそ少しでも抜け出そうと思っていました。

これは、夫の尊敬すべき患者さんたちが、ほんの少しでもいいからと一生懸命這い上がっていこうとされている話を聞くにつけ、私も勇気づけられたのです。

生活保護だとしても、働けるだけ働いて、国に返すんだ、という人たちの努力を涙なしに聞くことはできませんでした。

頭こそ下がれど。涙を止められませんでした。

医師も周囲も、もう少し仕事を減らしても・・と言ってもやめないんだそうです。

こういう方々は、決してめずらしくなく、病気に甘えてはならん、病気に負けてはならんと頑張っていらっしゃる。

 

そういう方々の爪の垢でも煎じて飲まねばと私も立ち上がりたい気持ちでいっぱいでしたが、

私はよく詐病になりました。

嘘つきで、こんなに体が浮腫むのか?

嘘つきで、全身が痛くなるのか?

うちの妻は、絶対に病気だと、夫はどれだけ戦ってくれたでしょうか。

難病の受給者証を見せても、「結局なんなの?」という声は止まなかった。

私の主治医の先生方は、私の嘘を信じた悪者でしかなかった。

自分達が診断をつけられるだけの情報が入っていないと認められず、新しい病気と診断することを拒み、患者サイドがみんなひとまとめに嘘つきになってしまう。

これが今の医学界に起こっていることなのです。

 

私は病気に苦しんで、そして理解をしようとしない医師たちに苦しんだのだなあと思うにつけ、それがトラウマになって病院が嫌いなんだろうなあと思っています。

今でも新しい病院に行くのはすごく怖いです。

ひどいトラウマなんだろうと思います。

 

こうしたことを書くのはすごく怖かったのですが、怖がってばかりいたら何も前に進まないなと思って、書くことにしました。

私の主治医の先生方は、嘘つきではありません。

不憫な人に社会制度を使わせてあげたいと願っただけで難病を申請したのでもありません。

そして、結果は、私と私の家族に明るい未来をくれました。

私は、誰から見ても、もう病人ではないです。

薬はたくさん使ってもらっていますが、それなりに働けています。

這い上がることができたと、私の周囲の誰しもが間違いなく証明してくれます。

 

今、その症状を説明してもらえない方は多くいらっしゃると思います。

私の友人にも、実際にいます。

でもどうかあきらめず、怖いけど、明るい未来を信じて、信頼できるお医者さんを探してほしいと思います。

容易なことではないし、心も折れるし、経済的にも苦しいです。

 

10年間、成長してないんですよね 笑

どん底を味わって、元に戻るのかなあ?くらいに這い上がっただけ。

そして相変わらず苦しいし、今でも嘘つきだと言われますよ。

だから本当に苦しい。

・・それでも生きていたいので、頑張ります。みなさんも、どうか負けないでください。