トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

覚悟を決めたできごと

2021-01-31 10:07:56 | 感染症

その日は普通にやってきました。ある意味必然でもあり、覚悟していたつもりでした。でも想像の上のまた上をいく惨事になってしまいました。これは私たち家族の感染症の対策の原点になりました。

 
ある日の早朝、娘が嘔吐しました。幼稚園でもらったと思われる胃腸炎が原因だろうと思います。
あまりに勢いよく吐きましたので、布団や枕のほかに、私の衣類も汚れました。
 
母は強しとよく言いますが、その最たるものが主人曰くこうして娘が吐いているときに発揮されるらしいです。吐瀉物をものともせずに娘を抱き上げたり介抱する、それがすごいと。
私に言わせればミルクの吐き戻しも大変多い子だったので、娘が吐くことには慣れていました。汚物の処理に躊躇していたら生活になりません。
 
しかし、この日は即座に胃腸炎かなと疑いましたので、汚れたタオル、衣類は全て処分しました。
寝室から出て、主人とは別の空間で過ごすことにしました。
横にして寝かせてはみたものの何度も何度も吐くので嘔吐物が喉につまるのではないかと思いました。私も眠くてうつらうつらしていましたので、ずっと監視する自信はありませんでした。吐いても大丈夫なように縦抱きにして寝かせてあげていました。吐けば私の肩が汚れます。
途中からですが、さすがにと、マスクもしていました。
 
自分にかかるし、掃除の時には素手で何とかすることもしばしばですから、これはうつるかもしれないと思いました。
しかし、私が多少胃腸炎になったとしても仕方ないと思いました。覚悟しました。
目の前の娘が楽になるなら、助かるならそれでいいと思ったのです。
おかげさまで、その日の午後には吐くこともなくなり、夜には多少食べたりすることもできて、翌日にはすっかり元気になりました。
 
 
その吐いた日の翌々日の未明、強い不快感と吐き気で起こされました。
トイレに間に合いましたが、やってしまったと思いました。
少し慢心というか、大丈夫では無いかと思っていたらしくて、存外ショックを受けました。
が、覚悟してはいたので、当初はかなり冷静でした。
 
嘔吐と吐き気が少し落ち着いた時に主人を起こし、以下のことをお願いしました。
●娘の処遇、幼稚園に行かせるか実家に預けるかを決定し、実行してほしいということ。おそらく私は送迎できないので。
●自分のことは自分で何とかするから私に近づかないでくれということ。
●午後にはヘルパーさんがくるから仕事に行って大丈夫だろうということ。
 
 
その後、私を置いて主人と娘は家を出ます。
トイレとお友達になった私は胃液まで吐き続け、大誤算その1の、ステロイド切れを起こします。
それもただ切れただけでは済まされません。補充ができないのです。
吐く時にだけ起こされる。薬は補充しても吐いてしまう。そして気絶するように倒れ込んでしまうのです。
 
そして、大誤算その2として、感染性の病気に罹ってるときはヘルパーさんは来られないことが判明します。
病院に連れて行ってもらうことはできなくても、私の薬を持ってきてもらうとか、そうしたことをお願いしようとしていました。
感染症に罹患している場合には家に入れないということなのです。
(この日はたまたまヘルパーさんが来る前に家族が駆けつけてくれていたので、対応含めて全て家族がしてくれました。)
 
 
私はトイレの横に倒れていたそうです。
気づいたら、トイレの横の廊下に布団をかけてもらって寝ていました。そして騒がしいなと思って目を開けると、仕事のはずの主人が隣にいました。(この時は冬で外が明るかったことから、時計を確認しなくても目の前の事実がおかしいなということはわかりました。)
 
主人は娘は実家が預かってくれてるから安心しろと言います。
(実際は父が別の部屋で娘の面倒を見て、母は自宅で待機とかそんな感じだったような気がします。)
そして飲め!とステロイド薬を口に突っ込んでくるのです。3倍量までいいんだ、飲むんだ、と。吐いても、少しは体に入るからと。
ステロイドをぽんぽんと飲むなんて!と思いましたが、死ぬよりマシと説得されました。
その後吐いてはまた飲む、と繰り返しているうちに落ち着いてきて、吐き気もおさまってきました。
胃腸炎で吐いていたというよりも、最後の方は薬切れや脱水でおかしくなっていたようでした。
 
気づくと腕に点滴が。点滴を処方してきたと。
血管にうまく入らず、何回か失敗した跡がありました。
病気で血管がボロボロなのに加えて、脱水でしたので、ルートを確保するのに相当苦労したようでした。
 
 
記憶がないのですが、私は誰かに電話したらしいのです。ちょっとまずいと。
それで、何か聞きつけた主人は仕事を慌てて切り上げて、早退してきました。患者さんに電話して予約時間より早くきてもらったり別の日に振り替えたりしてもらい、とにかくスタッフさんにも散々迷惑をかけましたが、早退できたそうです。
 
なぜここにいるのか?と問うと、今日は流石にやばいと直感的に思ったと言います。
根っからの仕事人間で、勤務時間中に家族を顧みることはあまりない人なので、非常に驚きました。
 
その主人が、帰ってきてよかったと言うのです。
救急車も運んでもらえないし、君は倒れていて危なかったと。笑
 
このときばかりは主人が医師であったことに感謝しました。
そーいえば昼を超えたあたりに、もうだめかもなあと思ったのを思い出しました。
 
 
この出来事は、私の感染症に対する考え方を強く改めさせられました。
ひとつは医療に拒否されてしまうという事実、大変なショックでした。
免疫を下げ、そして体力も衰えていて常に危険な状態にあるにもかかわらず、感染症で命を奪われる危険に晒されても、医療につながらないのです。
 
福祉サービスも使えない。
家族しか頼りになる人がいないというのも背筋が凍りました。
 
なんなんだ、この核家族の社会は。
健康な人にとっては自由で合理的かもしれないけれども、ひとたび何かあればすぐに吹き飛ぶ。
 
幼稚園にもし預けていたら、お迎えに行けませんし、私は電話に出なかったらしいので、音信不通になったはずです。
娘と先生や園に無駄な心配と迷惑をかけてしまうところでした。
 
 
まだ娘は年少で、幼く、頼りない子どもでした。
母の状況をわかっているのかいないのか、楽しそうな声が聞こえてきまして、なんとかしてこの子が母から離れて生きられるようになるまで育てなければならないと思っていました。
私にそれができるのか、大変に不安になりました。
もう一度こういう状況に陥ったとき、どうしたらいいか考えました。
あろうことか、何も思いつかないのです。
 
しばらくして、要するにどうにもできないのだと、つまりこういう状況を生み出してはいけないのだとわかりました。絶望的な気分でした。だって、感染症は当たり前のように転がっていて、幼稚園に行かせないということが唯一の解決策になるからです。親として、それは選択できない、と思いました。とするとどうしたらいいのかわからない、大変困惑していました。混乱しました。
 
内出血で赤くシミができた腕と、気だるい体を抱えて、トイレの横に寝かしてもらい、水すら取りに行けない体のくせに、偉そうにいろんな物事を憂い、恨みました。涙も出てきませんでした。何かが間違っている。子ども一人、母親がちょいと病気になっただけで立ち行かなくなるなんて、と強く強く思いました。
私はいいのです。しかし子供には罪がない。責任もない。この子にまともな教育も生活も施せなくなるほどの母親なら生きている価値がない。
 
こうした負の感情は、私を悪い意味で冷淡にし、強くしました。
ここから私の感染症対策はより一層本格化しました。
行きすぎたこともしましたし、効果のないこともしました。
それでも何度も失敗して、感染症にかかり、何度も抗生物質のお世話になりました。
 
主人もここで随分と肝を冷やしたようなのですけれども、実はこの翌年、インフルエンザをもらって帰ります。
体質や対策の改善というのは、それくらい時間をかけてもなかなか完成しないものでした。
 
そして、私はそこで激怒します。
その程度の覚悟でしか感染症対策をしていなかったのか、インフルエンザに罹患するとは何事かと。
防げるはずの感染症に罹患して帰るのは心の緩みと怠慢さからだと。
実際にアルコールは手がかぶれるからと回数を減らしていました。マスクをしているから、寒いからと換気をしていませんでした。
 
ここが私が鬼なところだと思いますが、主人は当初は仕方がないだろうと開き直りかけたのですけれども、申し訳ないと謝るところまで責め立てました。もう2度同じようなことがあっては困るのだと、追い詰めたのですね。
娘に責任はない、誰がこの子を守るのか。親の責任だろうと。私は感染症で死ぬわけにはいかないのだと。
本当に人間というのは弱いもので、結局自分が痛い目を見ないと、覚悟というのは決まらないものです。
 
実際、私がいなくなったら娘の面倒は誰が見るのでしょうか。
仕事に行きたい主人は、感染症にかかった子どもの面倒を見るわけにもいかないのです。
仕事にも穴をあけることになります。しかも複数日。患者さんは?
自分の看病をしてくれる人はいないのです。
それどころか、まず間違いなく家庭内感染するので子どもの看病が必要なわけです。
きちんと覚悟をしてこなかった、申し訳ないと、高熱にうなされながら状況を説明され、自分では如何ともし難いと肌で感じたために観念しました。
ようやくようやく自分が感染症に罹患して、辛い思いをして覚悟が決まったのです。
家族が苦しみ、死にかけてもなお、覚悟仕切れなかったということの表れでもあり、敗因でもありました。
 
結局のところ心構えが一番なんだと今でも強く思います。
感染症にかからないということは、それだけの強い精神力でもって面倒で辛い対策を続けることでしか防げる方法がない。
誰を責めても始まらないのですが、かかった人にそれだけの責任がある。
それくらいの覚悟がないと、乗り切ることができないほど、感染症との戦いは苦しく辛い道のりです。それは今も何も変わりません。
 
 
感染症になったらどうしよう、ではない。
決してなってはいけないものとして、扱うようになりました。

ヘルパーさん④(こだわり)

2021-01-30 18:49:07 | 病気

洗濯物を干してもらう際に、

「決まった干しかたってありますか?」

と何回か聞かれたことがあります。特に初回のヘルパーさんは必ず質問されます。

 

「ありません」

と答えるのが常でした。

 

それくらい、洗濯物の干しかたにはひとそれぞれにこだわりのやり方があるんだなあと思ったものです。

私は家事を人に頼むことが多かったので、「こだわりをなくすこと」が私の「こだわり」でありました。

私のこだわりを伝えて面倒なことになるよりも、やっていただいて洗濯が完了する方がよほどありがたかったのです。それが私の処世術みたいなものでした。

 

ですが、ちょっと興味があったので聞いてみました。

皆さんはどんなふうにお答えになるのかと。

なぜなら、ヘルパーさんたちは一様に「こだわり、ナシ?」と目を白黒させるような反応だったからです。

すると、いろんなお答えがありました。

裏返して干さない、裏返して干す、色柄ものと白いものは隣り合わせに干さない、靴下はここにピンチをする、下着は中に干すのでピンチが異なる、などなど出るわ出るわ。それを一軒一軒覚えているのかと思うと、それはそれですごいなあと思いました。

 

一応、私が干す場合にはこだわりの自分なりの干し方はあります。

でも、それは人さまには要求しません。というのも、ちょっと苦い思い出があるのです。

 

娘が生まれて半年くらいした頃、母が私の家で洗濯を干してくれました。

私の家に母が到着した時、私がお昼寝をしていたため(というよりもおそらく気を失うような昼寝なんですけれども)母はこっそりと静かに干してくれました。そうそう、当時は合鍵を渡していたんですね。だからこっそり入って、こっそり確認して、こっそり洗濯を干してくれたと。

この時問題だったのは、いつも私が使う洗濯ピンチやハンガーがどこにあるのかわからなかったらしく、洗濯物を物干し竿に直接干すなど、かなり工夫をして私のやり方とも母のやり方ともまるで違う干し方をしたのです。

 

私が起きた時、これはこれは不快な痛みとともに起きたので、と言い訳をしたいのですが。

母が私にカーテンを開けて「じゃじゃーん」とニコニコ楽しそうに洗濯を干したよ!と示してきました。

 

今考えても、「ありがとう!」とならなくとも、「助かったー」くらいの反応をしていいと思うんですね。

でも、娘はアトピーで、それこそベビー服だけはこだわりの干し方をしていたので、物干し竿に直接干されているベビー服を見て大泣きしてしまいました。汚れた竿の砂がかかったではないか、もう一回洗濯を回し直さないといけない!と、わんわん泣き始めてしまったのです。

困惑した母親はそれらを取り除き、手で洗い直してもう一度干してくれました。

憮然としながら、泣きじゃくった私は、母がそうやって動くことに対してものすごい罪悪感と、この時間別の家事をやってもらえた方がよかったのではないかという自責の念と、何より母にありがとうと言えない情けない自分という存在にやるせ無い思いでいっぱいになりました。

泣いた理由はこだわりの干し方をしてもらえなかったから、ということだけではありません。

自分で洗濯をしたかったのにできない不甲斐ない自分、もう一度洗濯をし直すにしてもその気力も体調もない自分、そうした自分に対する鬱屈とした思いがわんわんと泣くことに繋がっていました。

子どものように泣きました。悔しくて、母を叱責した気もします。「たかが洗濯」ができない自分が許せませんでした。

 

その後、しばらくはこう干してほしいなあ、なんて思ったりしたこともありましたが、そんなことより洗濯物が山積みな方が大問題です。

背に腹は変えられない、という状況が続くうちに、こだわりがなくなりました。

と言うよりも、そもそも私のこだわりは「生活を回すこと」、そして「他の人を傷つけないで頼ること」というこだわりに変わったと考えています。

しかし、そうだとしても人に何かを頼むというのは難しく、慣れない作業です。はあー、むずかしい!

 

人を傷つけないで生きるというのは不可能です。が、私を手助けしてくださる方が悲しむことがないといいなと常々思いながら頼りにしています。


死にかけて初めて知るのでは遅いです

2021-01-29 05:55:05 | 感染症

感染症、それは人類の最大の敵ですよね。

なんなんだろう。

物事には無駄がないと言いますから、人口を減らすことを目的にウイルスたちは蔓延したのでしょうか。

今しがた、地球にとって人間は害悪でしかなくなっていますものね。温暖化にプラスチックゴミ、どの切り口をもってしても人間がいてよかったという部分があるのか甚だ疑問です。

それに加えて人間同士で歪みあって苦しめあって、こんなんでは神さまがいるとしたら怒られても仕方ありません。と、真摯に思います。

 

でも、やっぱり負けたくないです。ウイルスに。

勝ちましょうよー。

 

主人にですね、こんな提案をしてみました。

「あのさ、ウイルスから逃げ回っていたら、いつか捕まるわけよ。負けるしか方法がないの。ステイホームも限界よ。」

「まあね。適度にストレス溜めずにがんばるしかない、って結局我慢だものね。うつになって死んでしまったらそれもウイルスに負けたと言っていいよね。」

「でね、ここは勝ちにいかないと。と思うの。」

「は?」

「ウイルスを攻撃する方法はないわけ?勝ちに行かないと。攻撃は最大の防御なり!!」

「あのねえ、そういうことは偉い人たちが考えればいいことなのよ。」

「だからさ、その偉い人たちが素晴らしい頭脳でもって考えて、今なのよ。逃げるしかできない。つまり、こういうバカな人達が考えてこそ、という段階に来たと思うわけ。今こそ私たちみたいなおバカな発想が求められているのよ!」

「あー、まあ、そお?」

すんごい呆れています。

「考えるのはタダだし!」

「あー、まあ、それは確かだし、理屈は通るけれども、じゃあやってみればいいじゃん、僕は無理よ。難しすぎる。」

まったくつまらない男であります。これでは負けてしまうではないですか。

 

「とりあえず!何から考えたらいいかな。とにかくやるしかないでしょ」

ということで、突然思い立って勉強をすることにしました。が、教えてもらったその本、読もうとしましたけれども、本文に入りましたらですね、前提と言いますか、基礎知識がない私にとっては3行くらいで「ん?」となってしまいました。

おバカ、、はパパであります。わたしは素人なのです。この本ではどうしようもありません。

そーいえば南極は寒すぎてウイルスすら生存できないって聞いたな。温度はウイルスを殲滅する方法のひとつかな、なんて思ったりしました。どのくらい寒い時間があれば死滅するんでしょうか。もし数秒でいいなら液体窒素とか役に立ちそうですよね。

そんなことをうつらうつら考えながら、子ども向けの感染症の本を購入しまして、いましがた読んでおります。基礎知識からまずは。

読み進めますと、何にも知らないのね!と自分の知識の浅さに驚愕しつつ、かといって敵を知ったところで手も足もでないぞと思ったり、まあ、要するになんの成果も出ていません笑。でも発想は間違っていない気がするので、何か思いついたらいいなあなんて希望を捨てずにいます。

こういう時、病気の人間は強いのかも知れませんね。無駄に。

 

しかしですね。こういう間にも感染は広がっている。大問題です。

もうステイホームもほとほと疲れました。娘も私もそりゃそりゃストレスが溜まる時間もあります。

給食をですよ!放棄して家で作る私!えらくないですか?しんどいんですよ!そしてお弁当持たせて、パパは大忙し。もちろん私も友達との会食キャンセルだし、主人に至ってはここ1年、予定すら組んでいません。特に医療系の友人たちは声かけすらないです。お互い頑張ろうって短い連絡しあってるだけ。

1番の問題はですね、そこまでして頑張る意味がだんだん見えてこなくなってくるほど街が賑わっていること、感染者数が減らないことなんです。

完全に心の問題なんですけど。

私たち、なんでがんばってるんだろう、みたいになる。

 

当然自分たちが罹患しないように気をつけなければという観点は大きいですよ。

感染症にかかって死にかけてからでは遅いんです。

私たちは私を通じて感染症の怖さを知っています。

コロナの症状は知らない。でも怖さはわかる。娘も私の姿を見て知っている、だから学校に行きたい気持ちを抑えられるんです。

 

でも、一方でここまで減らないとどうして?と責めたくなる気持ちが湧いてくるのも事実です。だって辛いんですもん。ステイホーム。学校に行かないのも、今やマイノリティですから、いろんなご意見もあります。自分たちのためだけに頑張るのなら、パパが休んでしまえばいい。数週間くらい休みをとったりリモートの診療にしたりしたほうがよほど安心できます。家族としては。私みたいな既往がある家族の場合、パパはコロナに罹患したら、即日隔離。今日の朝、いってらっしゃいとして、もう会えなくなって、おしまいかもしれません。

例の如く、パパは無事でも私がアウトになる可能性だって十二分にあります。

この際旅行でもいってですね、巣ごもりしていればいい。わざわざ休みなく忙しく働いて、保菌して帰ってくるなんてされる必要がないんです。

 

だから、知って欲しいです。

大切な人を亡くしてから、自分が苦しくなってからでは遅いんです。

明日どころか、今日は我が身です。

コロナはきっとものすごい感染力と悪影響をもたらします。

死ぬんだという危機感を。目の前の人が明日いなくなるかもしれない恐怖を。自分がいなくなってしまうかもしれないということを。

今は、そうして自制して過ごすこと、ウイルスから逃げ回ることしかできない現状に歯痒い気持ちでいっぱいですけれども、一緒にがんばりませんか。


えび、かに、えび、かに

2021-01-28 23:34:00 | 日記
最近の我が家ブームはケロポンズさんのエビカニクスです。

元々はサンドイッチマンさんのネタが我が家のブームでした。
私たちはお笑いが大好きです。サンドさんのネタでカラオケ(正式な名前は忘れました。。)というのがあるのですが、カラオケ店の店員さんとお客さんのコントです。途中でふたりが歌うくだりがありまして、
「えび ハイ」
「え?カニ?」
「えび」
「かに、って何なんだよ一体よお」

みたいなところがあるんです。

元ネタを全く知らないまま、私たちはそのイントネーションだけで耳に残ってしまってですね、エビ♪カニ♪と道でも私と娘で応酬していました。
道だと夫は呆れ顔なんですけど。ただ照れてるだけで、家ではノリノリ♪

そのエビ、カニ、がケロポンズさんのエビカニクスという曲が元ネタとしてあったとはつゆしらず!

それはまたちこちゃんで知りました。
あれ?
これは??
もしや???
みたいに気づいたのはパパ。
ね、しっかりハマってますでしょ。

おお〜!と驚く娘と私。

一回聴いただけで覚えちゃう旋律に、わかりやすい踊り、早速ちょっとYouTubeを検索しちゃってですね。もう踊るしかありませんでしょう!

♪エビカニクスで、エビカニクスで

娘踊る。
私、ベッドの上で上半身だけで踊る。
どんな形にせよ、もちろん全力!

あれー?
すっごいいい運動ではないですか?!
なんか一見すると単純な動作の繰り返しなんですけれど。あなどるなかれ。
ケロポンズさん、すごすぎ。。


お風呂に入ってもおもむろに
「エビ、、」
と頭に流れてくる、このクセになる旋律!
つい口に出てしまいます。

すると、すかさず娘が「カニ!」と応じまして。

♪エビカニクスで、エビカニクスで

娘、アカペラで歌い、踊ります。

「あー、また始まったよ」
と迷惑そうにパパ。

確かに賑やかになりました。
でも微笑ましい程度なので、頭を延々と駆け巡ってしまう旋律に対する苦言なのでしょう。

なるほど、その反応は?つまるところー?
まーた恥ずかしがってるよ、と思う私であります。誘ってあげなくては。

「パパ、踊ろうよ」
私の発言に対し、すぐさま娘がリビングのちょっとだけ踊れそうなスペースに誘導します。

「やだよー。恥ずかしいし、近所迷惑だよー。」
はい、理由になっていません。

もう踊るしかありませんね。

娘と私でワイワイと焚き付けて、一緒に踊り始めました。


ついに観念したパパ、絶好調であります。
やはり、やるなら全力!ここで適当にやっては、我が家の一員とは言えません。

そして、1番が終わる頃にはヘロヘロに。
やっぱりケロポンズさん、すごい。

楽しいので動画を撮りたいくらいですが、音楽がかかれば踊らないとなので!撮ってる場合ではないので(いや、撮ればいいじゃんと思うんですけど、音楽流れると踊りたくなっちゃうんです)、しっかり目に焼き付けておかなくてはですね。

運動不足解消の目的も相まって、楽しい時間を過ごしています。

感染症予防のためのおすすめサプリ

2021-01-28 22:29:20 | 広告
感染症対策として、私がおすすめしたいのはこちら。

特に予防に効果的で、毎日飲んでいます。

●ビタミンB

●ビタミンC

●乳酸菌

 

単純?

シンプル?

そうなんです!それがいいんです!

だからこそ長年ビタミン界のトップをひた走ってきたわけで。

いろいろ試してみましたけれど、私はゴールデントリオと勝手に思っています。

特に飲んでも悪い影響は今のところ感じないし聞かないですね。もしあったらごめんなさい。

 

特にビタミンCは、副腎機能の低下を疑った時(アドレナルファティーグ)大量に摂取することで機能回復が見込めるという情報がありました。

そこで当時は規定量の3倍を飲んでいました。

が、特に悪影響はなかったです。

一方で手に取るほどの良い影響もなかったので、今は規定量を飲んでいます。

 

ビタミンB群は規定量以上は飲まない方がいいです。

 

それぞれ、特に食事に不自由しないなら少なめでも良いくらいでしょうか。子どもも半分の量にして飲ませています。とにかく風邪をひかない体になってきているのでおすすめです。

子どもに飲ませたいので、いろいろミックスされていないシンプルなものを愛飲しています。

効果までは数週間は覚悟したほうがいいかもしれません。残念ですが、体改善は一朝一夕ではきびしいのです。。

しかしはじめなければ効果もへったくれもないので、ぜひ今すぐにでも!手軽なところから、という私のおすすめでした。

 

感染症対策の私のコラムです。よろしければぜひご一読ください!