医師の嘱託殺人についてのニュースを読みました。
以前から考えていたことですが、安楽死についてはもう少し前向きに議論がなされるべきだと思います。
医療費節約!とか、そーいうことではなくてですね。
やはり人間は死に向かって生きている訳ですから、死を自分でコントロールできることもまた生きている者の権利というか。
死をデザインできてこそ、見えてくる生活や活きてくる世界観があると思うのです。
死が穢れの世界はもう終わりにして良いのかなと。
もちろん生きたいならとことん生きるのもとても大事な選択ですから、何もみんながみんな安楽死を選ぶ必要なんてどこにもありませんしね。
ただ。
やはり慎重な議論は必要かと。
というのも。
私はとにかく病気が1番重くて治療がうまくいっていない時は死にたくて仕方がなかったです。
動かない体。
働かない頭。
痛みで苦悶し続けたために、人相まで酷く、鏡を見るのも嫌でした。
それなのに、頭がおかしい人、という扱いを受ける。
子どもも、頭がおかしい人の子だから、という扱いを受けているのはよくわかっていました。
私さえいなければ。
何度も何度も思いました。
もう、私は十分がんばったとも思いました。
もし、安楽死という選択があったなら、私は医師にお願いしていたでしょう。
でも、その後新しい薬が出たり、2つの薬は処方量も4倍になり、とにかく治療が標準的からはもう逸脱して、ようやくようやく進み
私は子どもを産み、育てることができているのです。
誰も想像していなかった未来がここにあるのです。
もちろん健常な方と比べたら親として足りないこともたくさんあるでしょうが
この病気が子どもたちを不幸にしてはいないと思います。
そして私は今、とても幸せです。
時々歩けなくなるけれど、
それでもお世話はなんとかなります。
抱っこしきれない時も、ゴロゴロ横たわっていれば子どもから擦り寄ってきてくれますし。
子どもも幸せそうにたくさん笑ってくれます。
安楽死、絶対議論すべきですが、いろんな意見を、事実を組み合わせていかないと、不幸を生むかもしれません。
私は、死を意識しながら生きています。
子どもが成人するくらいまでは長生きしたいけれど、できなかった時のことを考えるのも私の務めです。
別に、苦しくもつらくも悲しくもありません。
みんなが幸せになるために必要な作業です。
決して死を考えることが不幸なことではない、ということだけは強くお伝えしたいなあと思います。
難しいお話ですけどね。