トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

スーパーヘルパーさん(開業編)

2021-06-02 10:20:20 | 開業

勝手なイメージですが、ある人物に出会った時、その人の「今」を見たに過ぎないのに、それが全てだと評価してしまうことってありませんか?

先生をしている人なら「先生」。

ヘルパーさんなら「ヘルパーさん」。

その人たちが実はお父さんだったりお母さんだったり、病気をもっているとかそういうことすら「え?そうなんですか?」みたいに意外に思っちゃったり。だから元々はやんちゃをしていたとかいうような過去のことはすっかり抜け落ちてしまうというか。

 

病気になって、自分が「病気の人間」だけになってしまっていたのは、もしかしたらこういう風に物事を簡単に理解しようとしすぎる自分にあったのかなと思っています。

まあ、それくらい辛い日々だったし、ドラスティックな変化だったんですけど。

 

ところで、スーパーヘルパーさんは、実は元々は社長夫人です。

ヘルパーさんは後から始めた職業なのです。

社長夫人ですが、私以上に必死に旦那さまのお仕事を支えて育児もされていた方なので、エピソードもすっごいためになることばかりでした。

人生いろいろあるんですねえ、なんて言いながら、相談に乗ってもらっていました。

お高いソフトを買ったけれども、結局手で全部計算した方が間違えずに済んだ、とか。

赤ん坊おぶさって階段を駆け上がったとか 笑

人に騙されることがあるから、気をつけないとなんてシビアな話もありました。

 

社長夫人なんて優雅そうに聞こえる肩書きの裏で、どれだけの苦労があったのかは簡単に想像できませんでした。

でも、目の前で頭をフル回転させてるわけでもなさそうなのに、くるくると動いてあれこれ気配りをするスーパーヘルパーさんを見ていると、いろんなご苦労と経験があったのだろうと思うことは簡単でした。

「私ね、体を動かすことでしか稼げませんから!」

なんて本気で発言されるので、うっかり騙されそうになりましたけれども。

そりゃヘルパーさんというお仕事は体を動かせない人は務まらないと思います。

でも体だけでどうにかしている人ではなかったので。私は本当に助けられました。

 

他の利用者さんで、スーパーヘルパーさんの担当だったことがある方がいらして。親御さんなんですけど。話す機会に恵まれました。

スーパーヘルパーさんの日だけは特に安心して親御さんを預けられるとおっしゃっていました。

転ばないようにバスを先に降りて支えてくれるとか、歩くペースを合わせてくれるとか。そういう細かいところがその日の散歩の満足度につながったりするのかなと。あまり話してくれないらしくて、理由ははっきりはわからないけれどもとにかく毎回ニコニコで帰ってくるので、預けてよかったっていつも思っていたそうです。

同じヘルパー業でも、結果は全然違うのに、対価は同じなので(基本は介護保険の中で賄われるので)評価も同じようになってしまう。

それはちょっと寂しいなあって思います。

ちゃんと評価されれば、もっとやる気になる方もいるのかもしれないな、と思うので。

 

スーパーヘルパーさんは私と話すと少し楽になりますーなんて話してくれたこともあります。

私も少しはお役に立てることがあるのかなあ、なんて嬉しくなりました。

一側面だけを見て、それを全てだと思うことの危うさを教えてくれたスーパーヘルパーさん。

そして、ヘルパーというお仕事をしている方がどんな人なのか、ぜひ知ってほしいと思うのです。それほど優しさと知性に溢れた現場でした。


娘を伴って

2021-05-16 06:04:00 | 開業

主人との開業準備は、時に困難を伴いました。

何より辛かったのは、人間と社会の汚い部分が突拍子もなくドンと目の前に広げられたことでした。
 
細かいことは省きますが。
ある時また娘を母に預け、私はドーピングをして、主人と出かけたことがありました。
 
行った先で、私たちは嫌がらせを受けました。
嫌がらせって、受ける時は何が起きてるかわからないのです。何だろう?みたいな。
気づいた時は本当にただただ呆然とするだけでした。
心は動きません。ん?何が起こったのかな?え?あー、なるほど。なるほど?みたいな笑
 
家に帰ると、母が娘を抱っこしていていました。
娘は手に、シャバシャバに溶けたアイスを持っていました。
ママが帰るまで、食べない、と、泣くでもなくわめくでもなく、かと言ってじっと待っていることも遊んで待っていることもできず、おばあちゃんに抱っこしてもらっていたと、母は笑いながら教えてくれました。
 
母が、冷凍庫からシャバシャバになったアイスを再冷凍させたものをもうひとつ持ってきて「もう一回凍らせたら、食べられるかなと思って!」とニコニコしながら私にアイスを食べる?とばかりにくれました。
近くのバス停まで行ってとせがまれ、何本か見送ったりもしたそうです。
 
長い時間、娘は我慢していたことを知りました。
いつもはわーわーと騒がしい娘が、私に仕方ないことだからと説得されていたのでぐっと堪えていたのです。
しかしその間、私たちがしたこと、と言えば嫌がらせを受けていた、だけなのです。
もちろん仕事の成果はひとつもありません。
 
私はシャバシャバアイスをもらって、ようやく悔しいという感情を自覚でき、泣くことができました。
 
私たちは一体何をしたんだ。嫌がらせを受ける筋合いはまるでない。
本当に頭がおかしい人は、普通の風貌をしていて、世の中を我が物顔で闊歩している。
おかしいことは、おかしくないと思っているところにこそある。
私の中でまた何かが壊れて、芯になるものがひとつ増えました。
 
で、その後、私は開業手伝いの際はほぼほぼ、娘を連れて行くことにしました。
対価がないので、仕事と思ってなかったところも大きいですね。
また嫌がらせを受けても、娘と一緒にいるなら大してダメージもなく、後悔しないや、と思ったのです。
 
半分自暴自棄で乱暴な発想だったのかもしれませんが、これはいろんな意味で大当たりでした。
 
私の病院と一緒で、娘の存在を許容してくれる方や企業さんに主人のクリニックは支えられることになりました。
 
例えば、お世話になっている税理士さんは、最初の経営計画とかの話をする際、時間もかかるしー、と娘の同行を認めるどころか、奥さまがお菓子にビデオにと散々お世話をしてくださいました。アルプスの少女ハイジのビデオを見せてくださったので、娘にとっては今でも「ハイジのおじさま」です笑。
一方の私たちは、わかりやすくかつ端的な説明を受けてました。主人は、この人情というか空気感もあって、その場でこの方を信頼するぞ!と思えたそうです。その場でお願いすることにしたため、逆にビックリされました笑
家具を買いに行った時は娘をしげしげと見られつつ、「え?どなたもいらっしゃらない?奥さんだけですか?」と何度も確認されたので、ああ、また邪魔だったんだなと気落ちしながら見積もりをお願いして帰宅しました。そうしたところ、「この話乗った!」みたいな感じで。結果的には目が飛び出るほど安い価格で売っていただけたのです。お金がない私たちにとって、この上なくありがたいお話でした。
普通?は仲介業者にお願いするようなことらしく、家族が直接買いに行っているので中間マージンを引いてもらえました。それに加えて母ちゃんが髪振り乱して頑張ってるんだから、応援するよーということでもあると、主人は感激していました。
 
人生とは面白いものです。
 
人を信頼できなくなった時に、結局救われたのは人情でした。
 
私たちはこうやって支えられているんだと、じんわりじんわり教えられました。

開業塾へ行こう

2021-05-14 12:42:18 | 開業

開業したらー、と焚き付けたのは確かに私ですが、やるのは主人です。

かわいそうに、責任は全て主人がかぶるので、私も適当なことを言ったとも思います。

言った手前、私も多少なりとも手伝いをする覚悟でしたが、ここまで手も口も出すことになるとは思いませんでした。

 

さて、開業と言いましても、開業のかの字もわからない私たちにとって、まず何をしたら良いのかすらわかりませんでした。

まず「個人事業主」と「株式会社」の違いみたいな本と、「クリニック開業読本」みたいなものを買ってきて私がちらちらと読んでいました。

 

すると、主人が「開業塾」というのがあって、夫婦で参加できるものがあるので、一緒に参加してくれないか?と言ってきたのです。

ちょっと待ってくれ、私は2時間椅子に座っているのが困難な状態なんだから、そいつは無理な相談だと思いました。

でも、その日ステロイドを多く飲めば行けるかもしれないとも思いました。

言った手前、言った手前。

娘を母に預かってもらうことにして、ふたりで開業塾に行きました。

私は久しぶりの都会のオフィスビルで、非常に新鮮でした。

近くまで車で行く、重役出勤的な感じで、電車で通勤していた頃に比べると出世したな!みたいな気分にひたりながら(介護されていると思うとちょっと悲しいので、発想の転換ですね笑)開業塾に参加しました。

いわゆるマーケティング的な診療圏調査や、不動産の借り方、内装の作り方、医療法人と個人事業主の違いや金銭管理の仕方など、広く浅くいろんなことを教えてもらいました。

失敗した、もしくは困難に陥った事例などを教えてもらったことはその後自分たちの対策を考える時に大いに役立ちました。

 

帰宅すると、娘も母ととっても楽しそうに過ごしたらしくて、なかなか預けられなくて苦労した頃から比べると成長したなと安堵しました。

こうして開業塾に行こうと言い出した時には主人もずいぶんやる気になっていたと思いますが、実際に行ってからはより現実味が湧いたというか、実践的になっていった気がします。

乗りかかった船、みたいなことを言いながらガンガン飛ばしていくんですね。

主人もやると決めたら、すごかったです。

ここからまあ、それこそ紆余曲折あるのですけれども、結果的になんと開業までわずかに8ヶ月。

弾丸ツアーならぬ、弾丸開業準備期間と相成りました。


冗談も休み休み言ってたら、人生が終わっちゃう

2021-05-12 07:47:00 | 開業

主人に聞いてみました。

「今も開業したいって思ってるのー?」と。

「お?なんだいやぶから棒に。んー、そりゃ、いつかはって思わなくもないけどさ。」

「今日先生にね、精神科足りないって聞いたのよ。」

「は?このクリニックが潰れる時代に。余ってるって聞いてるよ。足りないってなにごと?」

「知らないわよ。そう先生がおっしゃるんだから、足りないんじゃないの?」

「そんな地域はあるのかな。」

「さあ。」

と、最初はこんな感じで、恐ろしく適当な家庭の会話からスタートした気がします。

主人はやっぱり非現実的な話として捉えていたと思うんですね。

 

それで、ちょっとヘルパーさん達にも聞いてみたんです。

「あのー、精神科ってこの辺、足りないんですか?」

「足りないなんてもんじゃないわよ!」

「え?」

「だって、病院に患者さんと行くでしょう?4時間待ちだから!」

「はあ?4時間ですって?そんなの疲れる以外に方法はあるんですか?」

「もう、通常の利用時間では終わらないわよね。基本的に延長っていうか。」

「えー。」

「ご家族で連れて行くのはほぼ無理ってなっちゃうわよね。」

「そんな状況なんですか。」

自分の住んでいる地域の精神科の現状を知らなかったことは恥ずかしいことかもしれませんが、恥ずかしいとかいう感情以上に、その状況はあまりに悲惨だと思いました。通院介助もヘルパーさんのお仕事でそれなりのウェートをしめているようでしたが、往復の時間や診察・会計、薬待ちの時間などを含めると1日つぶれてしまうことも往々にしてあるようでした。

待っている時間もじっと待っていられないこともあるから、大変なのよ、とのことで。

なんとかできることはないのかと思いました。

 

主人にこの話をしますと「えー、ひどいなあ!」と驚いていました。そして、患者さんのためにはとか、いろんなことをいつもの通りとうとうと話していましたので、しばらく聞いた後に改めて提案しました。

「パパ、開業したいって言ってたよね。」

「うん?まあ。」

「じゃあ、開業しようよ。まずは、ちょっと調べてみよう。」

「はあ?冗談も休み休み言いなよ。君はなんだって奇抜な発想ばっかり。」

「いや、こういうのはね、ご縁もあるんだよ。この時っていう時とのご縁もあるんだよ。」

「だって、君はろくに動けない、やるのは僕なんだよ?」

「それはそうだけど。だからこうやって提案だけしてるんだ。」

「失敗したらどうするんだよ!」

「最善を尽くして失敗したら、その時考えればいいんだよ。命を取られるわけじゃない。生きていればなんとかなる。」

 

相変わらず思うことは、私が病気でなければ開業はまだしていなかったと思います。

もう失うものがなかった私にとって、開業の失敗なんてむしろ願ったり叶ったりくらいの瑣末なことにしか思えませんでした。

人生のスパイス程度。

元気な時は失敗するのがとっても怖かったので、開業なんて背中を押すどころか認めたかどうかもわかりません。

この時には、借金さえ返し終われば(人に迷惑をかけなければ)、多少のお金くらい失ってもいいじゃんと思っていました。

ということで、段々と主人がその気になりまして。

本当に開業準備を始めることになりました。


私にできる恩返し

2021-05-11 12:01:38 | 開業

「ねえ、なんで旦那さんは開業しないの?」

 

唐突に、こんな質問が私に投げかけられたのは、いつもの通りジプトーンを見つめている時でした。

麻酔薬が首に入り、目が片方開かない状態でベットに横たわる私に、先生や看護師さんたちがいろんな話をして励ましてくださいました。

しかし、この日はまた妙な話だなと思ったので、こうしてはっきりと記憶にあるのだと思います。

「え?それは。まだ経験も浅いですし、時期じゃないと思ってるのではないですかね。あとは。」

「そんなの、十分よ!若い方が楽ってこともあるしね。で、あとは、ってなに?」

麻酔科の先生は、ほぼ間髪入れずにぽんぽんと会話をされる、典型的な「頭の回転が良い」方でした。

私は会話について行くのがやっとの時も往々にしてありました。

「えーっと、その、私も病気ですし、子どもも小さいですし。」

「え?そんなの気にしてたら人生何もできないじゃない!みんな何かしら抱えてるものよ!」

「あはは、そうですねえ。」

この日もまた、先生は私を元気付けるために、ある種適当な話をしてこられたんだと思っていました。

 

ところが、数週間後。

「ねえ、なんで旦那さんは開業しないんだっけ?開業したいって思ってないの?」

「はい?」

「医者になったらさあ、開業したいってチラリとは思うんじゃない?」

「えーっと、まあそうですね、一国一城になってみたいと言ってはいましたけど。」

「けど、何?」

「夢の話ですよ。それに最近はあまり言わなくなりました。」

「えー、開業なんてそんな夢にしておくものでもないわよ!」

とまあ、こんな感じで、誘導尋問のような会話もありつつ、時々開業話を私にしてくれました。

 

このあたりから、私自身も少し開業ってなんだろうって考えるようになりまして。

先生が開業されたきっかけなどもコラムがあったので読みました。

でも、やっぱりどこか非現実的でした。

 

そんなある日。

「ねえ、旦那さん、開業しないの?足りないのよ!」

と言われました。

「え?足りない?」

 

変な話、主人の夢を叶えるだけなら、私は突き動かされることはついぞなかったと思います。

この「足りない」という話を聞いてから、一気に私の中で風が吹きだしました。

足りないところに必要な医療資源を持ってくること、そしてささやかな主人の夢を叶えること。

私がすべき、恩返しのように感じたのです。

こうして、私の病状が一番悪い時に、主人の開業話はスタートすることになったのです。