勝手なイメージですが、ある人物に出会った時、その人の「今」を見たに過ぎないのに、それが全てだと評価してしまうことってありませんか?
先生をしている人なら「先生」。
ヘルパーさんなら「ヘルパーさん」。
その人たちが実はお父さんだったりお母さんだったり、病気をもっているとかそういうことすら「え?そうなんですか?」みたいに意外に思っちゃったり。だから元々はやんちゃをしていたとかいうような過去のことはすっかり抜け落ちてしまうというか。
病気になって、自分が「病気の人間」だけになってしまっていたのは、もしかしたらこういう風に物事を簡単に理解しようとしすぎる自分にあったのかなと思っています。
まあ、それくらい辛い日々だったし、ドラスティックな変化だったんですけど。
ところで、スーパーヘルパーさんは、実は元々は社長夫人です。
ヘルパーさんは後から始めた職業なのです。
社長夫人ですが、私以上に必死に旦那さまのお仕事を支えて育児もされていた方なので、エピソードもすっごいためになることばかりでした。
人生いろいろあるんですねえ、なんて言いながら、相談に乗ってもらっていました。
お高いソフトを買ったけれども、結局手で全部計算した方が間違えずに済んだ、とか。
赤ん坊おぶさって階段を駆け上がったとか 笑
人に騙されることがあるから、気をつけないとなんてシビアな話もありました。
社長夫人なんて優雅そうに聞こえる肩書きの裏で、どれだけの苦労があったのかは簡単に想像できませんでした。
でも、目の前で頭をフル回転させてるわけでもなさそうなのに、くるくると動いてあれこれ気配りをするスーパーヘルパーさんを見ていると、いろんなご苦労と経験があったのだろうと思うことは簡単でした。
「私ね、体を動かすことでしか稼げませんから!」
なんて本気で発言されるので、うっかり騙されそうになりましたけれども。
そりゃヘルパーさんというお仕事は体を動かせない人は務まらないと思います。
でも体だけでどうにかしている人ではなかったので。私は本当に助けられました。
他の利用者さんで、スーパーヘルパーさんの担当だったことがある方がいらして。親御さんなんですけど。話す機会に恵まれました。
スーパーヘルパーさんの日だけは特に安心して親御さんを預けられるとおっしゃっていました。
転ばないようにバスを先に降りて支えてくれるとか、歩くペースを合わせてくれるとか。そういう細かいところがその日の散歩の満足度につながったりするのかなと。あまり話してくれないらしくて、理由ははっきりはわからないけれどもとにかく毎回ニコニコで帰ってくるので、預けてよかったっていつも思っていたそうです。
同じヘルパー業でも、結果は全然違うのに、対価は同じなので(基本は介護保険の中で賄われるので)評価も同じようになってしまう。
それはちょっと寂しいなあって思います。
ちゃんと評価されれば、もっとやる気になる方もいるのかもしれないな、と思うので。
スーパーヘルパーさんは私と話すと少し楽になりますーなんて話してくれたこともあります。
私も少しはお役に立てることがあるのかなあ、なんて嬉しくなりました。
一側面だけを見て、それを全てだと思うことの危うさを教えてくれたスーパーヘルパーさん。
そして、ヘルパーというお仕事をしている方がどんな人なのか、ぜひ知ってほしいと思うのです。それほど優しさと知性に溢れた現場でした。