トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

病人の本分

2021-05-13 09:01:23 | 家族

物事には必ず両面があって、そのバランスが必要なんだとしみじみ感じました。

 

私は病人は、病人なりに頑張らなければならないと思っています。

たしかに非常に体がしんどいのですが、しんどい、助けて欲しいとだけ言っていると、言われ続ける方は疲れてしまいます。

実際私の家族達は慣れも出てきたりすることもあって、「だから?」という雰囲気がありありと出ている時もありました。

なんなら、サボりたいだけじゃないの?みたいなことを言われて喧嘩したこともあります。笑

つらいって言われるの、飽きた!とかも気持ちは超絶わかります!

 

だから、という訳ではありませんが、病気の人間は人一倍頑張ることでなんとか生きていけるのだと勝手に思っています。

人の助けを得るというのは、それだけ大変で、とてもありがたいことだと思っています。

変な話、助けを得るというのは基本的にしてもらえないもの、と捉えておいた方がいいと思います。

病気になったら負けです。

負けたんだから、仕方ないです。死なないなら、生きるなら、頑張らないと。

 

一方で、そうやって自分を律して頑張っていましたところ

「あのさ、自分に厳しすぎる。見ていて、こちらは辛くなってくる。」

と言われたこともあります。

 

おーい、どっちなんだい!

 

病人は頑張らなければなりませんが、かといって頑張りすぎると逆に周りをしんどくさせるのだそうです。

バランス・・。

バランスが大事なのは、病気のことに限らずいろんなことに言えると思うだけに。

私のおそらく死ぬまでのテーマなんだろうなあと思っています。


かえすがえすも

2021-04-11 08:20:00 | 家族

私は、主人は何をしてくれているんだろうと思っていた時期がありました。

病院にかかりたいのに、子どもは預かってくれないし、連れて行ってもくれないし。家事も中途半端。私の不満も聞いてくれないし、と。

不満の嵐。

家事も看病も、私には到底満足な量をやってくれるわけではありません。

夫曰く、病院に関してはどこに行っても無駄だ、という意識と、どこに連れていったらいいのかもうわからない、という段階にもあったそうです。

家事は精一杯やっているつもりでも、不慣れなこともあって全く追いつかなかったそうです。

僕なりに精一杯、これ以上は無理だというようなことを言っていました。

無理、では困るのですけれども、言っている意味はよくわかりました。

 

その後、まず医者である夫が試みてくれたことはこんなことでした。

・自分で診断がつきそうな病名をあげ、必要があれば薬を処方する

・論文や本を読む

・医者である知人に聞き回る

・とりあえず生活をまわす

自分でできることはやってみよう、ということで、いくつか薬を処方して持って帰ってきてくれました。

散々試して、やれることはひたすらやりました。

 

論文や本は、必要なものは私も読みました。

文字が滑っていく頭で読むのは本当に大変でしたが、とにかくやってみました。どういう症状が当てはまるのか、必死に考え、これは違う、これはありそうだと何個も何個も診断名と症状を照らし合わせていきました。

 

主人は、同窓会や結婚式の披露宴があるたびに、医師である知人がいたら聞いてくれました。

逆に聞いてくれるお知り合いの方も多くいたらしく、ただ一緒に頭を悩ませてしまうことがあったようです。皆様、ありがとうございました。

ちなみに、私の話でわざわざ後日連絡をくださった方に「副腎皮質ホルモンがおかしいと思う」という話がありました。まさにその通りだったので、診断がついた時にふたりで驚きました。

副腎皮質ホルモンがおかしいという話は「アドレナルファティーグ」という現象として欧米では治療がなされており、日本でも自費診療ですが治療してくれているところもあるようです。私はそうしたクリニックに通うのが少し難しかったので、独自に試してみました。方向性は合っていたのですが、アドレナルファティーグの場合は、副腎そのものの疲労を治療するため、ホルモンの司令の方がおかしくなっている私には効果のない治療でした。

線維筋痛症や慢性疲労症候群といった病気だと仮定して、治療もしてみましたがだめでした。

私にははっきりわからないのですが、痛がり方が病名によって違うらしく、何人もの先生が違うと言い切っていました。

違う、ということはわかるようなのです。

これが余計に私を病気にしてくれなかったので、とにかくしんどかったです。

まさかお医者さんの中でも「???」となるような病名が私につくとは。まさに思いもよりませんでした。

 

こんな塩梅で、とにかくあれもこれも、人体実験のようにいろんなことを行いました。

こうした実験がなければ、やっぱり耐えきれなかったかもしれないです。

もう一度あの日々が訪れたら、私は諦めると自信を持って言えます。

主人も母も、「よく生きてるねえ」と、嫌味ではなくてですね、よくこんな体で生きてるね、という意味で言ってくれていました。

私は、もういいんじゃないかなと思わないようにすることがなかなかできませんでした。

 

そして、主人ももう耐えられないかもしれません。

私がいつ倒れるかわからないので、主人はアルコールを摂取することができませんでした。出産の数週間前から、都合8年近く、実際にアルコールを口にしたのは冠婚葬祭など、両手に収まるほど少ない機会です。

これだけでも十分異常だと思いますが、とにかく家事も全般やらなければならないとか、おそろしく大変だったろうと思います。

床屋さんも長い間行けませんから、毎回ぼっさぼさになってから坊主カット、みたいなことを繰り返していました。

洋服もアイロンなんてもちろんかけられませんから、ノンアイロンのワイシャツですけど。

新しく買いに行くことも大変でしたから、靴もシャツもズボンもヨレヨレのボロボロ。

悲壮感も加わって、全身ぼろぼろな感じで。

仕事に出発するとき、夫の姿を見たくありませんでした。

私の不甲斐なさを象徴するような気がしていました。

 

そして病人の家族の大変さはこれだけにとどまりません。

お察しの通り、これだけのことを通常に勤務していて行えるはずもなく、仕事を減らしました。

それでも生活はなんとか保てる程度で、いつどうなるか不安の日々でした。

夫は仕事中、いつ倒れるかわからない妻の心配をして身が入らなくなる時もあったそうです。充実感はありません。

医療費も嵩みます。収入は減ります。妻は働きません。働ける見込みもありません。元気になる見込みもありません。死ぬ予定もありません。子どもは泣いています。

 

あれ?これを地獄と言わずしてなんというのでしょう?

 

パパー。ここまで一緒に頑張ってくれてありがとう。

しんどかったね。


アトピー(神経質なママの出現)

2021-03-24 14:44:11 | 家族

私の娘はアトピーです。

ほぼ生まれつきに等しいと思うのですが、1ヶ月検診の時にはひどい状態で、乳児湿疹と診断を受けました。

それから今に至るまで、あれやらこれやら、とにかく治療が続いています。

 

ただ、幼稚園のお母さんや先生方にも一様に言われてきたことがあって

「こんなに白くてぷるんぷるんの肌なのに!?」

「アトピーとは思えない!」

と言われました。

それはまさに、私の努力の賜物であります。(自画自賛!)

あっという間に娘の皮膚は切れたり膨れ上がったりして出血します。

それはそれは典型的なアトピーで、耳の下のところ、指、関節の折り曲げるところといった皮膚が軒並み弱く、首などはちょっと乾燥すると黒くなってきます。

今、このご時世で少し困るのは、アルコールを多用することです。

アルコールは皮膚の乾燥を招くので、今のように多用することはアトピーの治療中の娘にとっては病気を悪くするようなものです。

そもそもアルコールが傷口に染みて痛いこともあるようで、ほぼ全ての指から出血しました。アルコールありきの学校生活も当初はとても大変そうでした。

 

朝、なんでもなく出発したのに、帰宅した時にはバンドエイド。

ちょっと汗をかいただけのはずが、夜のお風呂ではぼつぼつがいっぱい。

そんなことが往々にしてあります。

 

赤ちゃんの時はもっと酷くて、頭まで真っ赤でした。顔は鬼瓦のように赤くひび割れ、腫れて膨れ上がって、目も細くなってしまいました。

こんな風に肌が非常に弱いのですが、毎日汚れを落として保湿する、それを繰り返していると肌は次第にもちもちとしてきました。うるおいのある白い肌が出現しました。

大変に喜ばしい成果であることに変わりないのですが、これがまた厄介なことになるのです。

アトピーの子がこんなに綺麗な肌なはずがない、と。だから、信じられないと。

褒め言葉の場合は大変にありがたいのですが、逆のことがありました。

何かお願いをしたりする際には少し面倒なのです。

たいしたことないのに、厄介なことをお願いしてくる、神経質なお母さん、ということになってしまいました。

 

例えば手を洗った後にヒルドイドという保湿剤を本人に塗らせたくて幼稚園に持たせると「え?」という反応になることもありました。

この程度で?なんでケアしなくてはいけないの?と。

ほかにも、砂場遊びならともかく、ただ部屋で塗り絵をしていただけなのに、指から血が噴き出てきました、どうしたのでしょうか?と言われると

「はいー、大丈夫です、アトピーなので。」

と適当に流して、すでにしてあるはずの説明を繰り返すのが面倒になることすらありました。

その後、担任の先生はようやくすごく向き合ってくれましてですね。娘の皮膚とアトピーについて勉強してくれました。最初にそんなお話があった時はびっくりしました。もう寄り添ってくれる人はいないと思っていたので、こんなこともあるもんだなあと嬉しい衝撃でした。

 

要するにですね、なんで今現在の状況が「平気そう」だからと言って「平気なはず」という状況判断なり認識になってしまうのか、は私の永遠の課題になりそうです。

私も外見上、元気そうなので「病気ではないはず」となってしまいました。

見た目で何もかもが判断できたら、人間ドックはいらないはずです。

パッと判断されてしまうだけならともかく、きちんと説明しても「えー?」と疑われてしまうのはとても悲しいことです。

その場でみたことだけで、大袈裟なとか、たいしたことはないとか、そういう判断をしてはいけないなあと今は思うのです。最近気づいたのですが、そもそも話を聞いても「そういうことが大変なんだ〜」と理解するので精一杯です。自分の意見は持たないようになってこれたかなと思います。

ということで、私は病気になってから?母になってから?やたらおばかで神経質な人、という顔を持ち合わせる人になりました。


子どもの社会

2021-03-10 15:44:00 | 家族

病気の母親の子どもというのは、いろんな影響を受けやすい、そのひとつに母親の指摘を受けてしまうということがあります。

私に限った話ではありません。

(入院している場合)何で家にいないの?

何でお母さんは杖をついているの?

何でお母さんが来ないの?

 

いろんな疑問は、決して悪意があるものばかりではもちろんありません。子どもでなくても知りたいと思うことは往々にしてあるはずです。

 

私自身、お母さんが病気で、というお子さんから話を聞くときはものすごくドキドキしながら聞きましたし、実際に病気の人だとしても話を聞くことにびくつきながら口火を切ったことは何度もあります。

大人になるとどこまで聞いていいものかわからない、逆に上記のことは聞いてみたいことではありながらも、相手を傷つけてしまうかもしれないことだとわかっているから、大人はなかなかしない質問なのだと思います。

 

しかし、聞かれる側になってみると、こうしたことを聞かれて嫌だなと思ったことはありません。

悪意をもって指摘されたり、興味の方向が違うところにあるなと思うときはもちろん不快になるのでしょうが、純粋に聞かれることで何か不満に思うことはありませんでした。むしろ嬉しいくらいでした。

 

子どもの世界でもそうした疑問があるらしくて、娘もそうした質問を何度か受けてきたようです。

ところが、中には残念ながら悪意のあるような、「情けないお母さんだよね」という単なる悪口に近い指摘を受けたこともあるようで、そのときはとても傷ついたということでした。

その内容は実は私に話したことはありませんでした。

やっぱり子どもながらに、私の方が傷つくと思って、隠していたようです。

おしゃべりな娘が、全く理由を全く話さないで、でも悔しそうに、こらえるように泣いていることがありました。おそらくそれらはこうしたことが理由だったのだとピンと気づきました。

ただ、娘はそれを、ただやり過ごしたり我慢したりして消化したのではないらしいのです。それとなく私に、「容姿について聞かれたらどうするか」という話を聞いてきたことがありました。それに対して「聞かれて嫌だと思ったこともないし、でも深く説明を求められているわけでもないから、病気だからと答えるかな」なんて説明をしてきました。

それを娘なりに解釈してうまく立ち回ってきたようです。

 

悪意があるものでも指摘してくれたということは、「お母さんが病気である」ということをわかってもらえるチャンスだと思うことにしたとか。そしてこう説明してきたんだそうです。

「風邪をひいたらくしゃみをするでしょう?それと同じで、お母さんも病気だから足をひきずっているんだよ。どちらもみっともなくないんだよ。」

我が子のことながら、きちんと理解して、わかりやすく伝えようと努力したのだということに感動すらしました。

ありがたいなあと思いました。

こうした説明で、お友達は大体が「そうなんだ!」と納得してくれて、その後私を馬鹿にしたような表現をすることはなくなったそうです。

 

もちろん、これは例外でもあって、こうした質問をあたたかい気持ちでしてくれたお友達もたくさんいたとのことです。

母親になって思うことは、自分のことはさておいて。やっぱり子どものことは特に心が痛みます。

でも、子どもにとっても母親というのは同じように守らなければ、私が強くならなければと思う相手でもあるようです。決して親が守るばかりではないのだなと思い知らされています。


こんなお母さんでも、みっともなくない?大丈夫?と何度も娘に聞いてきて、保育参観とか、運動会とか、そういう行事に行くことも控えるべきか考えたこともありました。行きたいという自分の気持ちはさておいて、娘がいじめられたりしないか不安だったのです。でも、絶対来て欲しいと娘は譲りませんでしたし、私もそんなに周りは私のことを気にすることもないからとカラリとしていました。事実を知った今、娘に対して申し訳ない気持ちもなくはありません。

でも娘がそんな風にして自分の中で戦い、社会に存在する悪意を打ち消していたことはものすごいことだなと感心してもいます。

 

悪意が自分の中に全く芽生えないかと言ったら嘘になります。

だからこそ喧嘩するのでも仲違いするのでもなく、きちんとした説明でもってそれを消そうとした娘を褒めてあげたいですし、それを受け入れたお友達たちもえらいね、と褒めてあげたいです。

こういう世界が、もっともっと、そして大人の世界にも広がったらいいのになと思っています。


お習い事はお友達のおかげ

2021-03-05 14:14:46 | 家族

私の中では、お習い事は基本的には自分が教えられないことを教えてくれるところ、家ではできない、要するに運動、を思い切りできるところ、というのがテーマでした。

ところが、当たり前ですが主役は娘なので、娘が気に入ったものややりたいと思ったものではないといけませんし、これが難しいのです。

何かやってみたいことはないの?と問うと

「なーい」

と決まって大体こう答えられてしまうのです。

ない、と言う前にもう少し深く考えてよ、と思うのですが、確かに何がお習い事として習えるものなのかも知らない娘が「これをやりたい!」と言えるはずもありません。

 

ということで、大体娘のお習い事の始まり方は2つ。

私がやらせてみたらどうかと思ったものに体験参加をして気に入ったもの

お友達から聞いてきてやってみたいと思ったもの

このどちらかでした。

 

そして、長く続いたお習い事は、大体がお友達のおかげでした。

そのひとつに、体操クラブがあります。

元々短期教室に通わせてみて、それでよかったらと思ったことと、実家に近いお教室で、要するに送迎を実家に頼ろうとする私のずるい心もありました。

そのお教室は、先生もきびきびされていて、内容も充実していたらしく、娘は大好きになりました。早速入会し、始めることになりました。

その後すぐ、同じ学年の仲良しのお友達ができました。

コロナで休講になったりしながらも、そのお友達とは学校も違うので会えなくなってしまうのが嫌だという理由で体操教室は続けたいと私に懇願してきたくらいです。

 

私の体調が少しだけ良くなった頃、しかしコロナのせいで実家も頼り切れなくなり、えっちらおっちらとヨタヨタしながらそのお教室に通わせていた頃がありました。

車での便がいい場所なのですが、逆に車以外での便が悪いので電車とバスだと少し大変でした。

その頃はヘルパーさんを再びお願いしていた頃で、足の脱力感が半端なく、車の運転もできませんでした。そのヘルパーさんも主人もとても心配していました。娘の懇願に応えたい自分と、言うことを聞いてくれない体と。相談しながらの送迎が続いていました。

 

そんな折、娘ののんびり癖が出て、電車の時刻に間に合わず、結果1時間に1本のバスに間に合わずにおけいこに参加できない日が出てしまいました。

娘は行きたいーと言って泣くのですが、だから急ぎなさいと言ったでしょう、と説得か説教かわからない口調でいさめます。しかし結局、どんなに言っても聞かないので最寄りまで電車で行き、バスがもう来ないのだということを確認させました。急ぐことが苦手な娘にとってはとても良い教育の機会ではありました。が、流石に心身ともに多少、いえ、かなりのダメージが 笑

その晩、突然電話が鳴りました。

先程の、お稽古のお友達のママさんからです。

 

え?何か不義理なことでもしたかな。お友達を泣かせてしまったかな。電話を取る前から早速ちょっと不安になりました。

「もしもし? 今、忙しくない?今日は大変だったねー。」

仲良くなったお友達のママさんとは私も仲良くさせてもらっていました。

なので、経過を報告して、今日は体操教室に行けなくなったということもお伝えしていました。

早速ねぎらってもらって。なみだなみだです。正直電車の中では、遅くなったのは自分のせいなのに、なんで泣かれなくてはいけないのか、とはらわたが煮え繰り返りそうでした。ママさんに報告して、こんな私の荒ぶる心を鎮めてもらいました。

それなのに、また夜にも。ありがたいことです。

「ところでね、体調悪いよね?足の具合も良くないでしょう?」

そうなの。そうなのです。でも来週は時間に余裕をもっていくよ!と伝えると

「迎えにいくよ!車で一緒に行こう。」

と誘ってくれました。

申し訳なさすぎる!と遠慮しようと思ったのですが、「娘も喜ぶから!一緒に行こう?」と、ありがたい言い訳を付け加えてくれました。

こうした思いに甘えすぎるのはいけないと思いながらも、本当に助かるなと思いまして、ずうずうしくもありがたく受けることにしました。

 

娘なんかもうこのことを報告したら小躍りですよ。すちゃらっかすっちゃらっか、わーいわーいってなもんでして。

人の気もしらんと、と思いつつ私もとっても気が楽になって、おけいこが楽しみになりました。送迎の負担から解放されて、お稽古をやめなければいけないのかなという自責の念からも解放されて、晴れやかな気分でした。

 

そして本当に翌週から何ヶ月も、毎週お世話になりました。

道中はとっても楽しかったです。

 

しかし一方で、このお友達は週に1度1時間のお稽古なのに、なぜこんなに仲良しなんだろう?と少し不思議に思っていました。

結構ケンカなんかもするそうで、内容は仲良しだからのケンカだとしか思えないのですが、だからなんでこんな短い時間で?ととにかく不思議でした。

理由を聞いてみました。するとたったひとつの出来事がきっかけだったようなのです。

「ママがね、ひょこひょこ歩いていた時にね、遅いし。ごめんねって言ったの。」

確かに、このお稽古は通い始めた当初からあまりまともに歩いていなかった気がします。

「そしたら、『え?大丈夫だよ、待ってようよ。そんなことより遊ぼう!』って言われたの。すごく、優しいなって思ったんだ。」

と、小さな声で、少し私に申し訳なさそうに話してくれました。

 

この話を聞いて、ママさんの行動とかも含めて、あゝこういうところが親御さんに似るんだなと、じんわりあったかくなりました。

子は親の背中を見て育つと言いますが、そうじゃないもん!と自分で子育てしていると思ったりもします。だって、全然別人格だし、私の思うように動くことなんてサラサラありません。

でもやっぱり、親の背中、というのもあるんですね。こうしたやさしい行いは、教えてできることではないと思うんです。こういう時に優しくしようって言って教えることもできますが、やさしさってそういうものではないところもあるんですね。

娘は私のひょこひょこ歩くところを「全く意に介されなかった」ということと、待っていようと「配慮」してくれたことに安心感を感じたと思うのです。このお友達なら母親のことを悪く言われない。こうした意に介さないやさしさは、お母さんからなんとなく肌で学んだことなんだと思えて仕方ないのです。送迎をしてあげようという提案も、送迎をしてあげるよ、と言う時の言い方も、なんてやさしさに溢れているんだろうと思ったものです。そうしたことは娘さんにも備わっていて、ああ、すごいなあと思いました。私も見習わなければいけないなと思っています。

そして何より、「遊ぼう!」と自分に対しても興味を持ってくれていて、いっぱい楽しいこともできる、そんな優しいお友達だから大好きなんだということです。

ふたりの遊び方は優しいばかりでなく、割とやんちゃなこともあるので、コラコラと怒ることもあるんですけど 笑

とにかく楽しそうです。ありがたいことです。

 

このおけいこ、私と娘の気晴らしで通っているようなところが大きいです。

体を動かすこととお友達に会えることはコロナ禍での貴重な元気の源でした。

技術は、ゆっくりかもしれませんが、上達はしてるので一石二鳥的な?いや、先生には本当に感謝してるんですけど!もちろん。

動機はともあれ、楽しく続けられたらなあと思っています。