私の中では、お習い事は基本的には自分が教えられないことを教えてくれるところ、家ではできない、要するに運動、を思い切りできるところ、というのがテーマでした。
ところが、当たり前ですが主役は娘なので、娘が気に入ったものややりたいと思ったものではないといけませんし、これが難しいのです。
何かやってみたいことはないの?と問うと
「なーい」
と決まって大体こう答えられてしまうのです。
ない、と言う前にもう少し深く考えてよ、と思うのですが、確かに何がお習い事として習えるものなのかも知らない娘が「これをやりたい!」と言えるはずもありません。
ということで、大体娘のお習い事の始まり方は2つ。
私がやらせてみたらどうかと思ったものに体験参加をして気に入ったもの
お友達から聞いてきてやってみたいと思ったもの
このどちらかでした。
そして、長く続いたお習い事は、大体がお友達のおかげでした。
そのひとつに、体操クラブがあります。
元々短期教室に通わせてみて、それでよかったらと思ったことと、実家に近いお教室で、要するに送迎を実家に頼ろうとする私のずるい心もありました。
そのお教室は、先生もきびきびされていて、内容も充実していたらしく、娘は大好きになりました。早速入会し、始めることになりました。
その後すぐ、同じ学年の仲良しのお友達ができました。
コロナで休講になったりしながらも、そのお友達とは学校も違うので会えなくなってしまうのが嫌だという理由で体操教室は続けたいと私に懇願してきたくらいです。
私の体調が少しだけ良くなった頃、しかしコロナのせいで実家も頼り切れなくなり、えっちらおっちらとヨタヨタしながらそのお教室に通わせていた頃がありました。
車での便がいい場所なのですが、逆に車以外での便が悪いので電車とバスだと少し大変でした。
その頃はヘルパーさんを再びお願いしていた頃で、足の脱力感が半端なく、車の運転もできませんでした。そのヘルパーさんも主人もとても心配していました。娘の懇願に応えたい自分と、言うことを聞いてくれない体と。相談しながらの送迎が続いていました。
そんな折、娘ののんびり癖が出て、電車の時刻に間に合わず、結果1時間に1本のバスに間に合わずにおけいこに参加できない日が出てしまいました。
娘は行きたいーと言って泣くのですが、だから急ぎなさいと言ったでしょう、と説得か説教かわからない口調でいさめます。しかし結局、どんなに言っても聞かないので最寄りまで電車で行き、バスがもう来ないのだということを確認させました。急ぐことが苦手な娘にとってはとても良い教育の機会ではありました。が、流石に心身ともに多少、いえ、かなりのダメージが 笑
その晩、突然電話が鳴りました。
先程の、お稽古のお友達のママさんからです。
え?何か不義理なことでもしたかな。お友達を泣かせてしまったかな。電話を取る前から早速ちょっと不安になりました。
「もしもし? 今、忙しくない?今日は大変だったねー。」
仲良くなったお友達のママさんとは私も仲良くさせてもらっていました。
なので、経過を報告して、今日は体操教室に行けなくなったということもお伝えしていました。
早速ねぎらってもらって。なみだなみだです。正直電車の中では、遅くなったのは自分のせいなのに、なんで泣かれなくてはいけないのか、とはらわたが煮え繰り返りそうでした。ママさんに報告して、こんな私の荒ぶる心を鎮めてもらいました。
それなのに、また夜にも。ありがたいことです。
「ところでね、体調悪いよね?足の具合も良くないでしょう?」
そうなの。そうなのです。でも来週は時間に余裕をもっていくよ!と伝えると
「迎えにいくよ!車で一緒に行こう。」
と誘ってくれました。
申し訳なさすぎる!と遠慮しようと思ったのですが、「娘も喜ぶから!一緒に行こう?」と、ありがたい言い訳を付け加えてくれました。
こうした思いに甘えすぎるのはいけないと思いながらも、本当に助かるなと思いまして、ずうずうしくもありがたく受けることにしました。
娘なんかもうこのことを報告したら小躍りですよ。すちゃらっかすっちゃらっか、わーいわーいってなもんでして。
人の気もしらんと、と思いつつ私もとっても気が楽になって、おけいこが楽しみになりました。送迎の負担から解放されて、お稽古をやめなければいけないのかなという自責の念からも解放されて、晴れやかな気分でした。
そして本当に翌週から何ヶ月も、毎週お世話になりました。
道中はとっても楽しかったです。
しかし一方で、このお友達は週に1度1時間のお稽古なのに、なぜこんなに仲良しなんだろう?と少し不思議に思っていました。
結構ケンカなんかもするそうで、内容は仲良しだからのケンカだとしか思えないのですが、だからなんでこんな短い時間で?ととにかく不思議でした。
理由を聞いてみました。するとたったひとつの出来事がきっかけだったようなのです。
「ママがね、ひょこひょこ歩いていた時にね、遅いし。ごめんねって言ったの。」
確かに、このお稽古は通い始めた当初からあまりまともに歩いていなかった気がします。
「そしたら、『え?大丈夫だよ、待ってようよ。そんなことより遊ぼう!』って言われたの。すごく、優しいなって思ったんだ。」
と、小さな声で、少し私に申し訳なさそうに話してくれました。
この話を聞いて、ママさんの行動とかも含めて、あゝこういうところが親御さんに似るんだなと、じんわりあったかくなりました。
子は親の背中を見て育つと言いますが、そうじゃないもん!と自分で子育てしていると思ったりもします。だって、全然別人格だし、私の思うように動くことなんてサラサラありません。
でもやっぱり、親の背中、というのもあるんですね。こうしたやさしい行いは、教えてできることではないと思うんです。こういう時に優しくしようって言って教えることもできますが、やさしさってそういうものではないところもあるんですね。
娘は私のひょこひょこ歩くところを「全く意に介されなかった」ということと、待っていようと「配慮」してくれたことに安心感を感じたと思うのです。このお友達なら母親のことを悪く言われない。こうした意に介さないやさしさは、お母さんからなんとなく肌で学んだことなんだと思えて仕方ないのです。送迎をしてあげようという提案も、送迎をしてあげるよ、と言う時の言い方も、なんてやさしさに溢れているんだろうと思ったものです。そうしたことは娘さんにも備わっていて、ああ、すごいなあと思いました。私も見習わなければいけないなと思っています。
そして何より、「遊ぼう!」と自分に対しても興味を持ってくれていて、いっぱい楽しいこともできる、そんな優しいお友達だから大好きなんだということです。
ふたりの遊び方は優しいばかりでなく、割とやんちゃなこともあるので、コラコラと怒ることもあるんですけど 笑
とにかく楽しそうです。ありがたいことです。
このおけいこ、私と娘の気晴らしで通っているようなところが大きいです。
体を動かすこととお友達に会えることはコロナ禍での貴重な元気の源でした。
技術は、ゆっくりかもしれませんが、上達はしてるので一石二鳥的な?いや、先生には本当に感謝してるんですけど!もちろん。
動機はともあれ、楽しく続けられたらなあと思っています。