トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

突然顔を出す症状

2021-06-28 06:46:20 | 病気

先日、久しぶりにお友達と娘と公園で遊びました。

お友達がバトミントンのセットを持ってきてくれたので、遊んでいたところ、全く経験のない娘はシャトルをポンと上に跳ね上げることすらできないでいました。

「ちょっと貸して、こんな感じでやるのよ。」

と、教えていたところ、若干癇癪を起こした娘が

「じゃあ、ママやってよ。」

みたいに、私にラケットを渡してきました。

ぽんぽんと打ち合うくらいなら、流石に私でもできるだろうと思ったので、少しだけ遊ぼうと思いました。

久しぶりのバトミントンはちょっと新鮮で楽しかったです。

ところが、少しだけシャトルが自分より遠い位置にきたので一歩だけ踏み込んでポンとするだけの動作で転びました。

その一歩、が少し大きいのですが、この踏み込み程度で転ぶのかと、自分で驚きました。

娘はかなり固まっていて、こわばった表情をしていました。

帰宅後に「無茶をしちゃだめだよ。軽くやらなきゃダメでしょう!」と怒られました。

怪我をすれば大ごとになるのに、と、帰宅したら主人にも怒られました。笑

 

お友達は、「この草にひっかかったんだよ!」と一生懸命フォローしてくれたのですが、そうではないことは自分が一番よくわかっています。

子どもたちの優しい心だけは嬉しかったので、その場ではもちろん「ありがとう、ごめんね、おっちょこちょいだね」と言いましたが、娘だけは変な顔をしていて、「ちゃんとしなさい」と無言で私に伝えてきました 笑

筋トレもかなりの量できるようになったので、やはり足の踏ん張りがきかない「病気」なのだと、再びまざまざと見せつけられた感じです。

加齢じゃないのー?とか、太ったからでしょ!と思っていたのも事実ですので、病気を軽く見ていたのかなあとがっかりしました。

病気だと思いすぎると、どうにもならん、お薬で何とかしてくれ、と思う傾向にあるので、病気だ病気だと思わないようにしてもいるんですけど。

 

でも、こんなことでへこたれていたら、元気に生きていくことはできません!

確かに痛みと思われる数値は下がってきているんです。でももう少し、と言われています。

はあ。もう少しがきつい。

人間、やっぱり精神力が一番求められますね。

今度は気をつけるよーと二人には宣言しました手前。今一度、足首の腫れをとりつつ、毎日のウォーキングと筋トレと減量を頑張ろう、と思った次第です。


未来に目を向けるために

2021-06-25 09:47:20 | 病気

私は、「終わったことなんだから仕方のないこと」と割り切ることはできない人間です。

 

この病気生活の中で一番えぐられたのは

「なぜ病気になったかを考えるよりも、今後の未来を失わないで。娘さんとの時間を大事にしてください。」

という言葉でした。

 

思いの外、すさまじい衝撃を受けました。

私が病気になった理由を考えたり追求することは、娘との時間を大切にしていないことなのか?

病気になったことを考えるのは、私がうじうじしてダメな人間だからなのか?

 

この時の衝撃は、本当に抑圧して忘却の彼方に押し込めないと、思い出すだけで涙を流してしまいそうなくらい辛かったのです。

 

人の悩みとは本当に面白いものです。

私自身も、こんなことでこんなに傷つくんだ、とか、あれ?思いの外ひっかかってないぞとか、予想していない心の動きをし続けてきました。

自分って何だろうと思ったくらいです。

 

だから、この言葉そのものは誰しもを傷つける発言ではないことも知っています。

私が重く捉え過ぎているのかもしれません。

ただ、いろいろあった中で

「終わったことの理由を追求して、何が悪いんだ!輝かしい未来を手に入れるために必要な作業なんだ!」

という認識を私は自分の核にしました。

 

これはあっさり生活の役に立ちました。

例えば、大事に取っておいたつもりのお饅頭を夫が食べちゃって、ショックだったとしますね。

「食べられちゃったんだから仕方ない」

って諦めることも可能なんですけど、もう一度があっては困るんです。私としては。

だから、原因を追求するんです。

「いい?1個しかない場合には、必ず確認してよ。みんなで分けて食べようと思っていたんだから。」

「えー、1個しかないから、みんなはそれぞれ食べ終わって僕の分が残っているんだと思ったんだよ。」

「そうだとしても、確認はすべきでしょう?」

「そうかもしれないけど。」

「そこにドラマがあったりするかもしれないじゃん。パパに買ってきたプレゼントなんだよ、とかさ。」

「なるほど。」

「そして仕事で一番大事なのはホウレンソウでしょ!」

「ここは家庭だよ・・。」

「いいの!家庭も仕事の良い理屈は取り入れないと。」

だんだん私の理屈も感情的になってきましたが、ここで娘のきつーい援護射撃です。

「みんなで楽しもうと思ってたのに、ぶち壊していいと思ってるわけ?」

「はい。ごめんなさい。」

「その発想がない。ひとりで勝手に食べていいなんて普通思わない!」

「ごもっともです。」

ということで、パパ、ノックアウトでした。

まあ、変な事例ですけど、これのおかげで1つしかないものを分けて食べることは、我が家のスタンダードな楽しみになりました。

「なんか、変な習慣だな。」

と夫は笑っていますが、「太っちゃうけど、いろんなもの食べたいもん!」という女性サイドの思いを汲んでくれて、楽しい未来が手に入りました。

 

私はなぜ自分が病気になったのか、今でも考えています。

でもそれでいいんだと思っています。

おかげで、病気と闘う覚悟をもらっていると思っています。

折れそうになるとき、考えることで結局は諦めからくる、怒りからくる、希望からくる勇気をもらっています。

娘も、ずっと自分のせいだと思っていたのに、私がいろいろ考えてぶつぶつ言うのを聞いて、自分のせいではない!と思えるようになったのです。

断片的なことだけで、うじうじと考えるダメなやつと評価されては、とても悲しいなと思います。

うじうじ考えることで、実際に明るい未来は手に入っていると思うのです。

 

そして今は、私が病気になったことの意義を自分で作り上げようと思っています。

うじうじマンだからできることを、これから証明してやりたいとすら思います 笑

ということで、悩んでいる時には、思いっきり悩んだらいいと、私は信じています。


病気のお母さんの子どもの大変なところ

2021-06-21 10:33:21 | 病気

病気の母親をもつ子どもの大変なところ。

 

・普通の育児をしてもらえない

・お母さんが変、と指摘されてしまう

・1番の相談相手のお母さんやお父さんこそが一番苦しんでいるので、相談することができない

 

ざっとここに集約されているかなと思います。

これらは、もちろん我が子に限ったことではありません。

親に相談できない、というのは「よくあるじゃないの」と言われなくもありませんが、これは普通ではありません。

親に相談できない年齢は思春期くらいからというのが一般的です。もっと低年齢の、義務教育前の幼少期に親に言えないことといえば、悪戯など、自分が悪いことをしたパターンなのです。

もし低年齢の時期に本当に何も親に相談できないとしたら、その親には何か問題があるのではないかとすら思うほどです。

(例えば、言葉がうまく操れないので、相談したくてもできない、というパターンなどが考えられます。でもそれらも理由もなく泣き喚いたり、親をしっかり困らせます。大人は理由はわからないけど、子どもに寄り添うことで相談に乗っていることになっている、というパターンも多分にあると思います。後になって「あー、そういうことだったのね!」というおまけもあったりします。)

 

1番の相談相手が、傷つけたくない相手だから、このことだけは相談できない、という構造は仕方ないのですが、心底気の毒だなと思います。

 

多様性がもっと認められれば、病気のお母さんという存在も卑下されるものではなくなるかなと思います。

もっと真の意味で個性を尊重した子育てが実現するといいのになと思ってもいます。

が、今しがたできることは、子どもたちに声をかけることかなと思います。

「お母さん、病気で大変ね。大丈夫?」

と心から心配されているならば、子どもが嫌な顔をすることはないと思います。

(悪意があれば、それを理屈でなくサッと感じるので、子どもってすごいなあって思うんですけどね。)

悩みを聞き出せなくてもいいんですよね。こういう大人もいるんだなあって思ってもらえるだけで、子どもにとっては希望になると思うんです。

 

ぜひ、できることから、勇気のあるお声かけを、善良な大人の皆様にお願いしたいと思います。

どうか、よろしくお願いいたします。ひとりでも多くの子どもが笑顔になれますように。


正解のプレゼント

2021-06-18 15:29:00 | 育児

昔、久しぶりに再会した友人がいました。

妙な記憶力を時々発揮する私は、会うことになっていた日にその友人の誕生日が近いことを思い出しました。

会った時にお誕生日プレゼント、と渡すと、怪訝そうな顔をされてしまいました。

プレゼントの内容が嫌なものだったのかな、と申し訳なく思いました。

しばらくして、会話の中で、私も誕生日がそう遠くないんだ!と言うくだりがあったところ

「ああ。それでくれたのね。」

と妙に納得されてしまいました。

私の名誉のために言うと、確かにそういう見返りを求めて何かをすることはありますけれども、この時ばかりはそんなことはどうでもよかったので、とっても驚きました。

「プレゼント用意しなきゃね」と余計な負担をかてしまったことに、ひどくがっかりしました。

そんなつもりはなかったのに。何も伝わらない。

もちろん慌てて弁明して、何もいらないよと言いましたが、そうはいかないよと言われたり。

とにかく良かれと思ったことが全く通じないことがある、ということを体験しました。

 

私は、プレゼントを選んでいる時はその人のことを考えています。

だからプレゼントをいただいた時は、その時間を私はいただいたと思ってきました。

いただけたことだけでとっても嬉しいと感じています。

 

つまり、プレゼントちょうだいよおとおねだりしてもらったとしても、私はあまり嬉しくないのです。

そんな相手の時間を奪うようなことをして、いったい何が楽しいのかとすら思います。

 

こういう経験があったからといって、プレゼントは極力あげないほうがいい!というのもおかしな話です。

でも相手に負担をかけたくないなあ、と悩んで。悩んで。

いろいろ失敗を重ねました。

何をやっても、裏目の私です。

どうしたものか。

結局、答えは今も見つかっていません。

 

時に娘は、毎日のようにプレゼントをくれます。

笑顔のプレゼント、とかではなくてですね。手紙とか、謎の製作によるカレーとか、折り紙とか、絵とか、時々ビーズで作ったブレスレットなんかもあります。現物です。

毎日のプレゼント攻撃は、うれしくもあり、困ったりすることもあります。

紙吹雪みたいなものでできた、「ぬいぐるみのうさぎ餌」をもらった時は、正直その後の処遇にちょっと困りました。

そうかあ、プレゼントはありがたい時もあるし、困る時もあるのかあと子どもから学びました。

でも、総じてやっぱり嬉しいものです。あげたいと思ったらあげていいかな、と最近はシンプルに考えています。



そして「お母さん、だいすきー」って言ってもらえると、プレゼントなんていらないよーと思えます。

なので、私も娘には「だいすきー」って言うのは遠慮せず、何ならバナナの叩き売りくらい安売りして提供しています。

結局、言葉が一番嬉しいし、言葉はいくらもらっても迷惑じゃないかもなあって思う今日この頃です。


現場に復帰します!

2021-06-16 10:18:16 | 日記

ついに!この日が来るんだ、とふるふると嬉しい気持ちでいっぱいです。

 

明日から、実に、本当に久しぶりに、主人の職場に行くことになりました。

仕事はリモートや在宅で一応していたので、仕事復帰ということではないのですけれども。

現場復帰というのは、震えるほど嬉しいものなんですね。

 

というのも、私、医療者枠で、コロナワクチンを接種させてもらいました。

現場に主人が行っていて、おかげで私が仕事できる状況だったのですが、やっぱり会って仕事したいなって思う時も多かったです。

私の自覚症状的には働けるようになったのに、現場にいかないという選択をするのはつらかったです。

ほかのスタッフさんが闘う中で、私だけ家に閉じこもって、守りに入っている感じがして、とってもしんどかったです。

私もできれば一緒に現場で闘いたかった。

でも私が罹患したら、それこそ大迷惑どころの騒ぎじゃないので、感染から逃げることが私の闘いだと思って、律してきました。

逃げることが、私の仕事って。。

緊急事態宣言ってそういうことなんですけど。

仕方ないけど、なんか言えなかったです。今まで。

 

一応家では、感染対策とかも夫と一緒に必死に考えていました。

いろんな機械が鳴りまくって、患者さんの話す声が聞こえなくなっちゃうという、本末転倒なこともあったりして 笑

やりすぎたー!とか言われながらの、試行錯誤。

もちろんまだまだ闘いは続くし、私も今まで通り気をつけますけれども。

 

今までの恩返しも含めて、精一杯私のできることをしていきたいと思っております!!!

・・・と気合を入れすぎるといろいろ問題があるので、のんびりゆっくり、助けてもらいながら仕事していきたいと思っています。

病気の人でも働かせてもらえて、ありがとうございますと、今は感謝の気持ちでいっぱいです。