トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

ズボラ料理

2021-04-29 06:44:34 | ステイホーム

こうなった以上はですね、ステイホームを楽しまなくてはもったいないですね!

楽しむ、と言ってもゲラゲラ笑う方法を探すと疲れちゃうので、

「あー、外に出たいなあ。」

と思わないで済むような生活をする、というだけなんですけど。

 

主婦にとっては当面の心配はやっぱりお食事!

日に3度、それが毎日となると週に21回、月に600回・・・

毎日、毎日、食べたら次の食事を考え、考えては用意し、用意したら片付けが待っていて、みたいな感じなんですよね。

 

先日、娘に聞かれました。

「こんなに頑張って用意したのに、アッサリ食べられてしまって悲しくないの?」

おお!我が娘よ、なんてかわいい質問をしてくれるのでしょうか?(親バカ)

でも、大丈夫なのよ。私はズボラ料理だから 笑

「実はね、そんなに頑張ってないんだ。ある程度慣れてきたから手を抜けるようになったかな?だから、ちっとも悲しくないよ。全部食べてもらってなくなる方がずっと嬉しいよ。」

娘はへえ!と目をまん丸くしていました。

最近料理を覚えさせているのですが、やっていることは完全に下働きで、大根切るとか、皮を剥くとか。そういうことですら結構大変だなと肩を落としているので、こんな質問をしたんだと思います。

 

ところで。

手抜きって技術ですよね。

ある程度全力投球してからじゃないと身につかない、技術だと思っています。

 

「離乳食、ちゃんと手抜きしなよー」と言われたことがあるのですが、そもそも離乳食のなんたるかも知らないのに、手抜きなんかもってのほかでした笑。そして慣れた頃には次の月齢の離乳食に移行する、みたいな具合で、なかなか手抜き離乳食に行き着くまでには時間がかかりました。

その後、リウマチ系疾患もあるし、具合も悪いので、キッチンに立っていられる時間がかなり限られる生活でした。

強制的に手抜き術を考えさせられるようになりました 笑

なんとまあ、それが今に生きてます!

 

大体ですね、豆腐と乾燥わかめと冷凍の葉物野菜は購入しておきます。

お出汁は粉末でもパックでも、とにかくおいておく。

とすると、絶対にお味噌汁は作ることができます。

ここに、最近売られているカットされたしめじとかを入れれば、もう朝ごはんです 笑

インスタント味噌汁。完成。

 

にんじんとたまねぎを切ったものを炒めておきます。それを個別に分けて冷凍しておくと・・・

カレー、シチューはもちろん、肉じゃがや中華の炒め物などに応用できます。

これ、本当にめっちゃ便利です。

もちろんポトフとかボルシチとかにもできるので、朝ごはんにもぴったり。

インスタントカレー。完成。

 

で。これらを作る際に使っているお鍋がこちら。ストウブさんのお鍋です。

 

圧力鍋とかもいいんですけど、私の場合健忘があって。

あ!これ入れ忘れた!が、できにくいんですね。圧力鍋って。一度火を入れてしまうと蓋をあけられないんです。

だから、ストウブは私の今や相棒で、なくてはならないお鍋になりました。

この子のおかげで、野菜料理がぐんと楽においしくなりました。

少しお値段が張るんですけど、もうそれ以上に助かるので、ぜひに!

 

しかし、こういうズボラ料理と向き合っていた頃は痛くて、悲しかったものです。

素敵なキッチンに、凛とたたずんで、料理を楽しめる人になりたいと涙しながら。背中を丸くして、まるでやまんばのように調理していたものです。

今も、もちろん毎時間楽しい訳ではありませんが、立っていられる時間が増えて、何とありがたいことかと思っています。

それにして人生、どこで何が役に立つのか、わからないものですねえ。


お願いです、どうかがんばりましょう

2021-04-27 15:03:31 | 日記

私の持病の治療が、コロナ感染に基づく様々なからみで、滞ることになりました。

私にとっては命の綱のようなもので、ここが突然途切れるというのは、予測していたことではありますが、実際に起きると少しばかり動揺しています。

神経質であると思いながらも私は診療を続けてもらいたかったし、主人にも診療を続けてほしかったので、必死に頑張ってきました。

今まで、暗いニュースや陰鬱とする気持ちを吐露することは、頑張っている人たちの心に水をさすようで嫌でしたので、このブログでも書くことを控えていました。

 

でも、先日、友人によく生きてくれたね、と連絡をもらいました。

そして、もうこれ以上苦しんでほしくない、コロナのワクチンだけでもせめて早く、と驚くほどあたたかい言葉をもらいました。

このことを反芻するうちに、私は気を遣う先を間違えていると気づきました。

 

頑張っている人にとって、私が頑張ろうということは「神経質な発言」にはならないのです。

頑張っていない人にとってだけ、耳の痛い発言になるのだろうと。

そして、耳の痛い発言だという人からの中傷を受けたくなくて、私も口をつぐんでいた、馬鹿者なのです。

 

病気は人の人生を一変させます。

軽症で済めばいいですが、重症化するかはもはやくじ引きで、日頃の行いなんか誰も見てくれてはいません。

もし病気を避ける方法があるのに罹患したならば、苦しむだけ、ただの損にしかならないのです。

ならなければわからない。

でも、なった私だからいいます。

こんな生き地獄は他にありません。

 

どうか、自分の体と命と、他の方の命も助けてあげられるような行いをしませんか。

オリンピックも、人の命を危険に晒してまで行うものではありません。

人の命に勝るほどの価値のある事物は何ですか?私は知りません。

 

みなさん、隣で笑っている人が明日灰になってしまうとしたら、考えてみてください。

誰かを批判することは簡単ですが、それで生き返る命はないのです。取り戻せる健康もないのです。

どうか。どうか。


親子ゲンカ?兄弟ゲンカ?

2021-04-23 12:39:15 | 日記

今朝も我が家は大賑わいです。

何が大賑わいって、家族内の言い争いです。

 

大体は娘とパパで喧嘩です。

内容はすっごいくだらないです。

「早く着替えなさい。」

「今しようと思ってたのに、言われたからやる気なくなった。」

「はいはい。」

「こういう話をしているから遅くなった!パパのせいで遅くなった。」

「は?自分が遅いからいけないんじゃないの?」

「パパのおばかー!」

「呆れて物も言えないとはこのことだ。まったくうるさいなあ。」

そして、鬼ママの登場です。

「何やってるの?うるさいんだけど。」

ここであろうことか、パパは私を恐れます。

「ほら!ママが怒っちゃったじゃないか!」

「ママが怒ったのはパパのせいだもん。」

「はやくしないからいけないんじゃないか!」

そしてもう一度私の登場です。

「ふたりとも!いい加減にしなさいよ!」

一応、パパが言い訳をします。

「僕は注意しただけだもん」

私が怒りながら伝えます。

「伝え方が悪かったんじゃないの?結果が伴っていないなら、早くしろって言う意味ないでしょうが。遅刻するならするで困るのは本人なんだから放っておきなさいよ。」

と、怒る私をみて、娘、そそくさと朝の支度を始めます。

 

我が家はこんな風に、パパと娘の言い争いは親子ゲンカというよりも、兄弟ゲンカのような感じです。

こういうケンカのときは、私は親、みたいな立ち位置です。

ひとりっ子だからといって、兄弟喧嘩を経験していないか?と問われるとちょっと違うんじゃないかな、と思いたいくらい、兄弟喧嘩は毎日のように繰り広げられます。

娘による完全な言いがかかりのこともあれば、パパの八つ当たりもあります。

この間は、鉛筆がテーブルから落ちまして、その原因はどちらにあるのか、という点で争っていました。

家族内の喧嘩なんて、まあそんなものですよね。

 

実は以前、主人は苦悩していました。

「父親である僕の言うことを聞いてくれない!」

私はですね・・・呆れてものも言えませんでした。

母親である私の言うこともまともには聞いてくれない娘がですよ、どうして父親であるという立場を理由に、言うことを聞くと期待するのでしょうか。

何度このことを言っても、主人は理解できないようで、僕はみくびられているとか、見下されているとか、謎に落ち込んでいました。

ある日「もう僕は父親と思われてないよ!」と嘆きましたので「あ、そうよ。父親じゃなくなればいいじゃない。」と言ったところ、突然開眼したんです。

「え?僕はお父さんにならなくていいの?」

お!なんか引っかかったようだ!と希望が見えた私はたたみかけました。

「そうよ、どうせひとりっ子なんだし、この際兄弟になってみたらどお?」

「そっか!そうしよう!」

ということで、突然「お父さん」であることをやめた主人は、とても楽そうに家に鎮座するようになりました。

子どもとケンカもしますが、一緒にいたずらをして私を困らせてみたり、一緒におもちゃや食べ物をおねだりするようになったり、妙に楽しそうです。

一方で、自分の大切にしてる道理などは丁寧に伝えて、共有させています。

素晴らしい教育のひとつだと私は思っています。

その昔より、よほど父親らしいとすら思います。

 

私の中では、父親とか母親とか子どもとか、長女とか次女とか、第一子とか第二子とか、そういう立場で物事を考えることは、もったいないと思うようになっているので、主人にも立場で何かを考えるのはやめなよ、と心底思っていました。

父親である自分のいうことを聞かない

って、よく考えたら何を言ってるんだろうって感じではありませんか?

きちんと物事に道理があって、納得できることなら、人の話は聞くものです。

わかりやすい説明ができていない、理論が通っていないことは、聞かれないものです。

しかしそういうときは往々にしてそういう立場を利用して、わかってもらおうとねじこもうと思ってしまうのではないか、と思うのです。

私に言わせれば、「父親のいうことを聞かない!」という主張をするときは決まって、きちんとした説明のできていない主人に問題ありな事例ばかりでした。

 

娘という人は、生まれた時から納得しないと実行しない、にわかに厄介な子どもでした。

今でも非常に難儀することがあるのですが、私は娘からわかりやすく説明することを学びました。そして本当に正しいことは何なのかを考えるきっかけももらいました。説明しながら、自分であれ?ってなる常識もあるんですよね。

 

私も夫や娘と意見をぶつけ合い、ごめんなさいと謝ることも多々ありながら生活しています。

(友人に、謝ることができてるならいいんじゃない?と背中を押してもらいました!ありがとう友人さま! 笑)

この意見のぶつかり合いこそが、私を人として成長させてくれているな、と思うので、やめられない!と心底思います。

ということで、喧嘩の耐えない、でも一応仲良しなはずの家族であります。


ステロイド薬に教えられたこと

2021-04-22 13:55:39 | 日記

ステロイドというお薬は、時に依存してしまうほど、人を「元気」にしてくれる薬だそうです。

一方で、副作用もあげればキリがなく、それは現在だけでなく将来に影響があるということから、使用量と方法についてはかなり慎重を要する薬だということです。

 

私は一時期、割ととんでもない量を飲んでいたのですけれども、案の定ムーンフェイスと中心性肥満を発現しました。

顔はまんまる。

正直いうと、かわいいまんまるではなく、ぱんっぱんな感じなので、残念なまんまるです。

体も全体的に太りますが、お腹やお尻のあたりがぼーんと太ります。

経験した人からすれば、ああ、あの方はステロイドを飲んでるなというのが一発でわかるようなそんな容姿になります。

 

一方で、食べ止まらないという話もよく聞きます。

夜中も冷蔵庫の前で食べ漁ってしまった

カップラーメンをほおばってしまった

チョコレートを何枚も板チョコで食べた

など、正気か?というようなエピソードはさまざまに聞きました。

 

さて、元気な時には痩せ型ではなかったけれども、決して太っていなかったわたしにとって、食欲が抑えられないという事実は俄かに信じられませんでした。

極端に言えば、ま、いいじゃないの!と自分に甘くしている人たちにしか起こらない現象なんじゃないの?くらいの考えだったんですね。

 

ところが。

わたしが病気になって、ステロイド薬を処方されましたところ。

食欲がとまらないんですね。ほんと。

というよりも、満腹感が得られなくなりました。

なので、ずっとずっと飢餓状態みたいな感じで、食べ物のことを考えようものなら食べたくなってしまうのです。

さらに水を飲んでも太ると言いますが、そういう代謝状況になるらしくて、本当に今までと同じ量を食べているのに太ってしまうというようなことも起こるのです。

 

覚醒剤も。

一度やったらだめだ、と聞きますけれども、本当にそうなんだな、と私はステロイドを飲んで知ったような気がしました。

それなのに、悪い輩が純粋な人にぽんと打ってしまうとか、それで依存症になったなんていう、もう耳を塞ぎたくなるような事実はそこここに存在するのです。

何とかそういうことはなくなってほしい。

胸が詰まる思いです。

 

話は少し逸れましたが、自分の理性なんて、こんなにも弱いものなんだと、当初はかなり打ちひしがれたものです。

今は、その弱い自分と共に生きています。

ある意味、ステロイド薬との勝負ですよね。生きている限りは、負けないぞと。利用はするけど、駆逐されてたまるものか!と。

高らかに語ったわたしがやってることは、結局、散歩、なんですけどね 笑

 

この量のステロイド薬を飲んでこの程度の体重で済むなんて、なんてすごいの!みたいに褒めてもらえたりもしました 笑

この体型で褒められてもなんか申し訳ないですけど、でもそれくらい大変なことなんで、思いっきり自分を甘やかしてあげようと思います。

そして今日も1歩1歩歩いていきたいと思います!


山山アートセンターのご紹介

2021-04-20 10:46:56 | 日記

山を、広がる山々を舞台にした福祉を。

そしてアートという題材を基軸に。

 

・・・この凡人の私にはよくわからない「アート」という世界を展開しながらも、福祉や人とのつながりを構築しようと頑張っているみなさん、それが「山山アートセンター」です。

 

私にはですね、ほんっとにアートとか芸術とか、全くわからないんですね。

で、申し訳なく思っていたところ

「なんだかわからないでしょ?むしろごめんね。」とか

「ちゃんとしてる人だからさあ、私たちみたいな世界はまたほら!」とか

「とりあえずこねくりまわしてるのよ。」

とか、このようなことを言われました。

 

アートって、もっと小難しくて、こういう世界なのよっ!ってバーンと主張してくるものなのかな?と思っていました。

見る方も感じる方も、「この世界観は優美な中にも暗黒の帝国が広がり・・。」みたいな感じで、小難しい世界を理解しないといけないのかなと思っていたんですね。

ところが、このアートの世界は「へえー、なるほどねえ、なんか派手だねえ」とか、そういう感想でも大丈夫なくらい包容力があります。

要するに自分の思ったまま、感じたままを言葉にして、いや、言葉にしなくても大丈夫な場所です。

ありのままの自分でいていいんですね。私はこの空間に出会えて、とても救われました。

 

そこでテーマにしていることが「とにかく生きよう」だそうです。

ここでいろいろお話ししてみませんか?というオンライン上の相談会を5月以降に始めることになりました。

相談に乗るよ!というのとは全然違うスタンスで、カウンセリングとは違う。

みんなでいろいろ話してみましょう、みたいな会になるそうです。

よかったら覗いてみてください!